今回紹介する記事は、シリア代表チームをめぐって沸き起こっているスポーツへの政治介入問題に関するもの。シリア反政府系メディア「イナブ・バラディー」が2017年9月10日に掲載したمتلازمة الرياضة والسياسة في سوريا.. هل يمكن الفصل؟ – عنب بلديです。長い記事なので、2回に分けて紹介します。
この記事は、今年9月、シリアがワールドカップ3次予選最終戦で、イランと引き分けてアジアプレーオフ進出を決めた後に出されたもの。本ブログでは、当時の国民の喜ぶ姿を紹介したことがありますが、その一方、試合直後、アサド政権を支持するかのような発言を選手たちがしたことで、国民の一部の中には、代表への不信感が生じたようです。
このテーマ、正直に言ってちょっと食傷気味なんですが、まとまった分量の記事なので、読んでみることにしました。
政治がスポーツに介入するのって、アサド政権、あるいはシリアに限らず、日本を含め世界のどこの国でも見られることだと思います。とくに厳しい戦争を戦っている国の政府が(しかも長期間続く独裁政権が)、スポーツに限らずあらゆることを利用して、国民をコントロールしようとするのは、ある意味当然のことでしょう。
そういったことを前提に、議論はなされるべきで、選手や関係者の発言をどう受け取るかについても同様です。言葉づらをとらえて、あれこれ批判したり、逆に賞賛したりするのって、賢明な態度ではないと思います。
なお、この記事は、分量の割には内容が今ひとつで、そのまま日本語に置き換えても散漫になり、逆に文意が不明確になるように感じます。で、ある程度端折りました。英訳記事(というか英語記事をアラビア語訳して発表しているのかも)も出ていますので、正確なところを知りたい方はこちらをどうぞ。
Syndrome of Sports and Politics in Syria… Can they Be Separated?
元記事URL https://www.enabbaladi.net/archives/171950
シリアにおける「スポーツと政治」症候群 切り離すことは可能か?(1)
掲載紙:イナブ・バラディー
掲載日:2017年9月10日
執筆者:イナブ・バラディー調査班
(小見出しの一部は訳者 文中の*は訳注)
切り離せない関係
サッカーのシリア代表(反政府勢力はこのチームを「樽爆弾の代表」とか「アサドの代表」と呼んでいる)が、史上初となるロシア・ワールドカップへの出場をかけて行われるアジアプレーオフ進出を決めて以降、「スポーツを政治から切り離せ」というプロパガンダが、様々な角度からの議論とともにシリア国内を席巻している。
このプロパガンダは、多くの議論や分析を巻き起こしている。とくにアジアにおいては、アジアサッカー連盟が規約3条2で定める「アジアサッカー連盟は、あらゆる政治及び宗教において中立である」の遵守を求めてきたが、この10年間、この問題に関してはっきりとした結論には至っていない。
スポーツやスポーツを行うことは国民の権利であり、政治であれ宗教であれ、いかなる勢力もこれに介入すべきでない、と考える人たちがいる。その一方、スポーツはこれまで、政治家の支配や介入から免れることはなかった。政治的な宣伝や、政治問題を引き起こすこと、さらには他国と関係改善にも利用されてきた、と考える人たちもいる。
あらゆる国の政府は、スポーツを重視してきた。スポーツ以外の分野に対して与えることのない、経済的、学術的な支援を行っている。そのため、スポーツと政治の関係は入り組んだものとなり、両者を切り離すことができなくなっている。
大統領写真入りシャツ
2011年のシリア革命勃発から数年、サッカーの代表チームがワールドカップ出場をめざし、アジア地区予選に挑んだ。シリアがアジアプレーオフに進出すると、国民は代表チームの応援をめぐって、政権派と反政府派に分裂した。ある人たちは、シリアでは政治はサッカーに関与していないとし、代表チームは、さまざまな政治的立場に立つシリア国民全体を代表したものだ、と考えている。
だが、別の人たちは、体制側が、自らの政治的目的の実施や宣伝のために、代表チームと選手たちの活躍ぶりを利用している、と見なしている。
シリアがプレーオフ進出を決めた直後、バッシャール・アサド大統領は、大統領府のfacebookに次のように書き込んでいる。
「この数年間、われわれをとりまく危機的な環境にもかかわらず、選手たちは、国際舞台において、シリア国旗を掲げて快進撃を成し遂げてくれました」
ここで、2015年、アジア2次予選のアウェーで行われたシンガポール戦前日の記者会見の際、当時の代表監督ファジル・イブラーヒームが言ったことが思い出される。イブラーヒームはアサドの写真がプリントされたシャツを着て会場に現れ、そのことについて質問を受けた際、こう答えた。
「われわれの大統領はいつもわれわれのことを見守り、支援してくれています。だからわれわれは国のためにたたかい、また、大統領のためにたたかうのです」
バアス党と秘密警察
「シリアにおいて政治とスポーツは入り組んでおり、両者を切り離すことはできません」
これは元シリア代表選手で、アレッポのイッティハードに所属していたアブドゥルカーディル・アブドゥルハイイが強調していることだ。アブドゥルハイイは、シリア代表として、1986年のメキシコ・ワールドカップ予選に出場した。
アブドゥルハイイは本紙の取材に対し、シリアスポーツ界の舵取りは、他の分野同様、政治家や軍人によって行われている、という。
「体制の特徴は、国中張りめぐらされている秘密警察です。おそらく、スポーツ選手であれ、それ以外の誰であれ、バアス党や秘密警察の承認なしに、自分の地位を得ることはできません」と話す。
このかつての国際的プレーヤーには、スポーツを政治から切り離すべきだという議論は奇妙なものにうつっている。「だって、体制が、国民の日々の食べ物にまで介入していることは、みんな知っているじゃないですか。彼らはすべてお見通しなんです」と話す。
アブドゥルハイイの見方について、本紙が取材した多くの選手たちの意見も一致している。彼らは、「シリアサッカー連盟は、バアス党内の地域指導部によって運営されている」と断言している。そしてその指導部は、「腐敗と私欲にまみれている」のだと。
「地域指導部」による統制
シリアサッカー連盟の詳細な内部事情について、ナーディル・アトラシュに話を聞いた。アトラシュは、「シリアスポーツ機構」傘下の「自由シリアサッカー連盟」代表を務めているが、1999年から2012年までシリアサッカー連盟で働いていた。2007年ユースシリア代表のスタッフを経て、2010年から2012年まで連盟会長ファールーク・サリーヤの事務局幹部も務めた。
アトラシュによると、当時スポーツに関することは、サイード・ハマーダ、マージド・シュッドゥード、シャヒーナーズ・ファークーシュ(いずれもバアス党地域指導部メンバー)によって運営されていた。彼らは全員スポーツの専門家ではなかった。
アトラシュによると、2009年、サッカー連盟(アフマド・ジャッバーン会長=当時)は1回目の解散をしている(2012年には2回目の解散をしている)。理由は、リーグ戦運営での八百長と汚職だった。アトラシュは、このときの解散の方法は、正規の手続きにのっとったものではなかったと断言している(※ここでいう「解散」とはおそらく「執行部の総辞職」といった意味だと思います)。
すなわち、(*バアス党地域指導部の)シャヒーナーズ・ファークーシュがサッカー連盟幹部に対し、「国家の評判と祖国の安全のため」辞任するよう要求したのだ。だが、何人かが辞任を拒否したため、バアス党の事務所で無理やり辞任させたのだという。辞めさせられた中には会長のジャッバーンも含まれていた。
反対派への脅迫
2012年のサッカー連盟(ファールーク・サリーヤ会長=当時)の2回目の解散は、ヨーロッパでプロ選手としてプレーしていたジョージ・ムラードに関わる問題が原因だった。シリア代表は、2003年にスウェーデン代表として試合に出場していたジョージ・ムラードを、ブラジル・ワールドカップのアジア3次予選でシリア代表として出場させてしまった(*FIFAの規定では一度ある国の代表として試合に出場した選手は、それ以外の国の代表選手にはなれない)。
アトラシュによると、現在のシリアスポーツ連盟会長で当時サッカー連盟事務局長を務めていたムワッファク・ジュムア少将が、「シリアとスウェーデンの両連盟間を調整して隠蔽した責任者」だったという。
FIFAがこの問題でくだした裁定により、シリアは失格となり、2014年のブラジル・ワールドカップアジア第3次予選から追放された。
アトラシュは、連盟解散以前、連盟メンバーに対してムワッファク・ジュムアが行った脅迫行為についても語っている。たとえば、国際審判員のハマディー・カーディリーは、辞任を拒んだとき、バーバー・アムルー・スポーツ施設に異動するよう脅されている。そこは当時、アサド軍による封鎖されていた施設だった。
シリアスポーツには発展はない
サッカー元シリア代表のジハード・アシュラフィーにも話を聞いた。
アシュラフィーは、世界のどこの国でもスポーツは政治から距離を置いており、両者は互いに関与しないものだが、「シリアの政治家たちは、あらゆることに干渉してくるんです」と断言する。
アシュラフィーは、「シリアのスポーツは世界レベルに達することはなく、おそらく現在のレベルにとどまり続けるでしょう。というのも、スポーツの専門家でなければ、関心を持たないものが、実権を握り、利害関係者がそれを支援することで、スポーツを政治の巻き添えにしているからです」とみている。
だが、同選手は予選をたたかうシリア代表を応援している。「代表チームは、バッシャール・アサドのチームでも、政府のチームでもありません。反体制派のチームでもなく、シリアを体現しているチームだからです」
つまり、代表は、国内のあらゆる地域を統合するチームであり、「国民全体を代表しているのです」というわけだ。
勝利は誰に捧げられるべきか
「自由シリアサッカー連盟」代表のアトラシュは、スポーツへの政治の不介入を望んでいるが、シリアにおいては両者は常時絡み合ったものになっていると強調する。
また、イラン戦の引き分け(*アジアプレーオフ進出)をアサドに捧げると選手たちが言ったのは、理解できないことだという。
「選手たちが勝利をアサドに捧げるなんて間違っていますよ。勝利を捧げる先はシリア国民でなければなりません。イランまで来てくれた人たち、シリアの各地の広場(*パブリックビューイング)に集まってくれた人たち、国外から応援してくれた難民たちにです。心を一つにして応援してくれた彼らに対して捧げるべきでしょう」
ワリード・バイタールにも電話取材を行った。彼は元シリア代表選手で、フッリーヤやショルタでプレー。現在はフィンランドに住んでいる。バイタールは、本紙の取材の中での質問で「シリア革命」という言葉に用心深く反応し、コメントすることを拒み、次のように述べた。
「わたしたちはシリアとともに、シリア軍とともに、そして国とともにあります。…コメントは勘弁してください」
そして、こう付け加えた。「これは革命じゃありませんよ。外国人やトルコマン人によって支援された破壊行為です。…イスラーム教や祖国とは関係ないことです」
ハティーブとスーマの復帰…なぜだ?
政治とスポーツの関係の議論の中で、シリアでは、国外でプレーするプロ選手たちの代表への復帰をめぐって意見が分かれている。彼らは、代表に復帰する前までは、当初から革命を支持する立場を表明していた。ここでは、クウェートでプレーするフィラース・ハティーブ、サウジアラビアでプレーするオマル・スーマの2選手について述べていこう。
ハティーブは2012年、クウェート在住の反体制派シリア人によって組織されたある催しの中で、シリアにおいて砲撃が行われている限り、自分はシリア代表でプレーすることは決してない、と宣言した。
一方、スーマは、2012年にクウェートで開催された第7回西アジア選手権で、シリアが優勝を決めた直後、シリア革命旗を持っていた代表チームのサポーターたちに向かって、自らも革命旗を掲げた。スーマが2015年、自身のfacebookに投稿した記事によると、勝利を彼らに捧げたことで、以後、「祖国への裏切り行為」だとシリアサッカー連盟から見なされ、代表入りを禁じられてしまった、という。
ところが、シリア代表がワールドカップ予選で快進撃を続け、出場権獲得が近づくと、ハティーブもスーマも代表に合流した。
「代表への復帰は、純粋にサッカー選手としての評価によるもので、スポーツ以外のいかなる事情も関係ない」とするサッカー連盟との協議の結果である。ハティーブが、今年(*2017年)4月、サウジのテレビ局「リヤーダ」のインタビューでそう話している(*ハティーブが代表に復帰したのは、この年3月のウズベキスタン戦からだった)。
元代表選手のジハード・アシュラフィーは、ハティーブの代表復帰は、「彼自身のこの国への関心を持ち続けていることの現れです」と見ている。ハティーブは金も土地も持っているからだという(*金に釣られて復帰したわけではないという意味か)。
一方、元代表のアブドゥルカーディル・アブドゥルハイイは、「革命を放棄したことや、名声と金のために復帰したことは、断じて正当化できない」と見なし、こう説明する。
「体制側は、スポーツを使って自らのイメージを上げるため、選手を利用しようとしているのだから」
革命への裏切り
「自由シリアサッカー連盟」代表ナーディル・アトラシュによると、ハティーブの復帰の理由は、個人的なことと物質的なことだ、という。一方、スーマの復帰は、シリア以外の国籍取得に失敗したことが、復帰をうながしたと見ている。「つまり、自らの履歴書に〈国際的選手〉との肩書きを書くためにね」
スーマとハティーブの代表復帰について、一部の人たちは、体制側によって逮捕され拷問によって殺されたり、強制的に拉致されたあと、今なお消息がわからないままでいるチームメートたちへの裏切り行為だ、と見なしている。とくに、彼ら二人が(*イラン戦の後)プレーオフ進出をアサドに捧げ、またはアサドのスポーツに対する支援に感謝するとコメントした後、そういう声は強くなった。
殺害されたサッカー選手
本紙が「スポーツ青年総合機構」から入手した最新の統計によると、2011年の革命勃発以降、シリアにおけるスポーツ選手の犠牲者数は、400人以上に達している。一方逮捕されたスポーツ選手数のデータはないが、100人以上が拘留されたままである。
殺害された著名なサッカー選手は次の通り。
イーヤード・クワイダル
ダマスカスのワフダ所属。1991年ダマスカス生まれ。2013年に逮捕され、その6か月後、家族のもとに、殺害されたとの知らせが届いた。治安部隊215支隊から流出した複数の写真によりクワイダルの遺体が確認された。
ジハード・カッサーブ
ホムスのカラマ所属、元シリア代表。1975年ホムス生まれ。3人の子どもがいる。
2014年、政治警察部隊によりバーバーアムルー地区で逮捕され、その2年後、サイドナヤーの軍の刑務所で拷問により殺害(*カッサーブ選手に関しては以下の記事も参照:消息不明の元スター選手は生きているのか – 中東 フットボールと人びと)。
ルワイ・アムル
1980年代、カラマに所属していたスター選手。「シリア黄金世代」の一人。
2013年治安部隊により逮捕され、「シーザー」(*シリア政府による投獄、拷問状況に関する国際的な調査グループのことだと思います)がリークした複数の写真で遺体が確認された。
ザカリヤ・ユーセフ
イッティハード及びウマイイヤ所属。アレッポ生まれ。2012年、アサド軍によるアレッポのマシュハド地区に対する砲撃で殺害。
その他殺害された選手
自転車競技のシリアチャンピオン、アフマド・ラフラフ。
バスケットボールのワフダ所属ワーイル・ワリード・カーニー。
同じくカラーマとジャイシュ所属ルーディーン・アジク。
レスリングのシリアチャンピオン、マーリク・ハリール・ハージ・ハマド。
さらには、サッカーのシャルアのユースチーム所属のマフムード・ジャワーブラ。
「自由シリア人スポーツ協会」創立者のジュムア・ドゥーリー。
水泳のアブドル・サラーム・ファーイズ・ハマド。
サッカーのイッティハード所属のサーリム・ヒジャージーとザカリヤ・ユーセフの二人(*ザカリヤ・ユーセフは既出)。
バレーボールのショアラ所属でシリア代表のラジク・カティーファーン。
サッカーのワスバ所属のターリク・アンタブリー。
卓球審判員サミール・スウィード。
空手シリア代表ファーリス・ムサーラワ。
スポーツジャーナリストのヒサーム・マワス。
国際的レスラーのムスタファ・ナクダリー他がいる。
行方不明者
消息不明の拘留者については、有名選手では、ラーニヤ・アッバーシーがいる。彼女は歯科医でチェスのシリア及びアラブチャンピオンだった。2013年3月、首都ダマスカスのドゥムンル地区で、6人の子どもと夫で医師のアブドル・ラフマン・ヤーシーンとともに逮捕された。
バスケットボールのサーミフ・スルール、サッカーのシュルタ所属でユース代表のアーミル・ハージ・ハーシム、さらには、ターリク・アブドル・ハック、ムハンマド・ハージ・スライマーン、アフマド・アーヤクらも、今日に至るまで消息不明だ。
一方、釈放された関係者の中で著名な人物では、サッカーの代表チームコーチのヒシャーム・ハルフ、同じくサッカーのザイン・ファンディーとフィラース・ティトの2選手がいる。
また、2014年、政府によって恣意的に逮捕された馬術競技のシリア代表のエースだったアドナーン・カッサールが21年ぶりに釈放されている。(この記事続く)