命と生活を守るためイラクに移籍するシリア人選手

今回紹介するのは、戦火を逃れてシリアからイラクのクラブに移籍した選手の思いを紹介した記事です。AFPが配信し、エジプトのネットメディア「ヨウム・サービウ」が2017年10月26日付けで掲載したأندية العراق ملاذ آمن لنجوم سوريا من ويلات الحرب – اليوم السابعです。

6年半続く戦争により、シリア国民の半数が国内外に難民・避難民となって逃れていると言われています。ヨーロッパに100万人、トルコ、ヨルダンなどの近隣国に500万人、国内に600万人(ただし最近は帰還者が増えてきているようです)。

ニュースでは、ヨーロッパに難民が大勢やってきたので大変なことになっている、といったものをよく見かけますが、考えてみれば、その5倍もの人びとを受け入れている周辺国のほうがよっぽど大変なはずだと思うのですが、あまり関心を持たれませんね。

国外に脱出したシリア人の中には、サッカー選手も大勢含まれています。

日本で海外移籍というと、ステップアップというか、ふだんの活躍が評価されてのケースが大半だと思いますが、シリア人の場合、少数の例外をのぞけば、そういったいいものではなく、生活のため、そして自分と家族の命を守るため、といった理由からのことが多いようです。

移籍先の一つが、イラクのクラブ。ワールドカップ3次予選で日本と同じグループに入ったイラクは、ホームゲームをすべてイランなど第三国で開催していたことからもわかるように、治安に大きな問題を抱えている国です。

北部のクルディスタン地方は戦火の影響も少なく、経済的にも活況を呈しているようなので、この地方のチームに移籍するのはわかります。しかし、バグダッドなどに本拠を置くチームにも移籍しているのです。シリア国内の今の環境がプロ選手にとっていかに困難なものか、示していると思います。

この記事、いろんなチームの選手に労力をかけて取材していることがうかがえます。ただ、惜しいのは、シリアとの報酬の比較などのデータがあると、もっと読み応えのあるものになったのになあという点。

なお、記事中に出てくる選手、クラブは日本ではまったく知られていないと思いますので、ウィキペディアのリンクを貼りました。日本語版記事が少ないので多くは英語版です。リンクをチェックしていて気がついたのですが、アラブのサッカー関連の記事だというのに、ウィキペディアのアラビア語より英語のほうが圧倒的に情報量が多いということです。アラビア語を学習しているものとして、なんか虚しくなる事実です。


元記事URL http://www.youm7.com/story/2017/10/26/أندية-العراق-ملاذ-آمن-لنجوم-سوريا-من-ويلات-الحرب/3481670

イラクは戦災したシリア選手の避難場所

掲載紙:ヨウム・サービウ/AFP
掲載日:2017年10月26日

(小見出しの一部は訳者 文中の*は訳注)

(AFP)

パラドックス

10年ほど前、シリア人のナディーム・サッバーグは、ティシュリーンSC(*シリア地中海沿いのラタキアのクラブ)の中心選手としてプレーしていた。そして、当時メソポタミアの地で燃えさかる戦いから、シリアに逃れてきたチームメートのイラク人選手を支援していた。

Syrian football players Nadim Sabbagh (L) and Hussein Jawid, who now play for Baghdad’s Al-Zawra FC, attend a training session on October 8, 2017, in the Iraqi capital.
A decade ago, Iraqi footballers used to take refuge in neighbouring Syria to pursue their career but the tables have turned in the tumultuous world of Middle East conflicts. / AFP PHOTO / SABAH ARAR

それが現在は、状況が逆転してしまっている。サッバーグは、イラクのザウラーSCでの2シーズン目に入る準備をしている。同クラブはイラクの他のクラブ同様、2011年以来シリアで吹き荒れている紛争から逃れたシリア人の選手やコーチたちにとって、安全な避難場所となっているのだ。

このかつての国際的DFは、AFPの取材に、「本当にパラドックスのようですね」と話す。

「2006年から2007年にかけて、シリアのクラブが、イラクでの戦争から逃れる大勢のイラク人選手の向かう先だったんですから。アレッポ(*ラタキアの間違い)のティシュリーンSCには、ザウラーSCからやってきたイサーム・ハマドもいましたよ。それが今はというと、状況は変わってしまいました。イラクのチームがシリア選手の向かう先になっています」

戦争と経済的苦境

2003年にサダム・フセイン体制が崩壊した後の暴力行為の影響から、イラクの選手やコーチたちをシリアに押しやった環境自体、シリアの選手たちをイラクの向かうことを余儀なくさせている現状と同じである。バグダッドやその他の都市の治安状況は、最良の状態とは言えないのではあるが、シリア人選手たちは、傑出したスポーツ選手としてのキャリアと、唯一の生活の糧を得る能力を維持するため、イラクへの移籍を選択している。

サッバーグはイラクでプレーすることについて、「サッカーで生計を立てていたシリアの選手を暗闇に放り込んだ戦争の影響から逃れる機会だ」と話す。

サッバーグは、シリア紛争が始まった2011年に家族とともにイラクに逃れ、アルビルSCでプロ選手としてのキャリアをスタートさせた。アルビルSCは、東クルディスタン地方最大のクラブだ。

同選手は、シリアでの戦争は、とくに「たとえばアレッポ、ここにはイッティハードの本部がありますが、町が破壊されたクラブの選手たち」に影響を与えている、と指摘する。

また、サッバーグは、シリア危機が勃発以前の状況について、「ぼくらは国外でプロ選手としてプレーする必要はありませんでした。戦争が選手たちに移住することを余儀なくさせたのです。サッカー以外、ぼくたちには生活の糧を求める手段がありませんから」

紛争が始まってしばらくして、シリアの国内リーグは中断した。2012年には再開したものの、以前とは異なった方式だった。町のあちこちでリーグ戦を行うのではなく、ダマスカスとラタキア(シリア西部の都市)に限定して、2グループに分かれて試合を行うことになった。ダマスカスとラタキアは、33万人もの人びとが犠牲となった紛争の影響をあまり受けずにいた都市だった。

しかし今年は、リーグ戦は通常の方式(*グループ分けはせず、全チームと対戦する方式)に戻り、また、シリア軍によって支配が奪還された他の諸都市でも試合は開催されることになっている。

サッバーグの代表でのチームメートで、イラクのナフト・ワサトSCに所属するマフムード・フドゥージュは、イッティハード(*アレッポ)のスタジアム周辺が爆撃されたときのことを覚えている。アレッポが炎にまみれていたとき、彼はチームメートとトレーニングをしていた。

Syrian football player Mahmud Khadduj, who now plays for Najaf’s Naft Al-Wasat FC, attends a training session on October 25, 2017, in the Iraqi capital.
A decade ago, Iraqi footballers used to take refuge in neighbouring Syria to pursue their career but the tables have turned in the tumultuous world of Middle East conflicts. / AFP PHOTO / SABAH ARAR

最近になってイラクのクラブに移籍してきた30歳代のフドゥージュは、「ぼくはその2015年のつらい瞬間のことをよく覚えています。爆弾が投下されたり銃弾の雨が降った場所で、ぼくらはときどきトレーニングをしていたんです。ぼくらのクラブへの愛着は強いものがありました。しかし、そのことがあって、この戦争から脱出することを決めました。それで、カルバラーFCに向かい、それから今はナフト・ワサトSCに移籍しています」と話す。

「移籍したのはぼく一人ではありませんでした。チームメートの何人かも、国外のクラブに向かいました。それに金銭的なこともシリアを離れる大きな理由でした」

経済的な苦境が、シリアの選手たちがイラクに向かう主要な理由となっている。アルビルSCでは、シリアやイラクのクラブに比べて、高い報酬を選手たちに支払っていたのだった。

「イラクで選手生活を終えたい」

イラクで最も古い歴史を持つクラブ、クーワ・ジャウウィーヤのホームスタジアムには、アシスタントコーチのムハンマド・アキールが、練習する選手たちに対して放つ激しい声が響いていた。アキールは、アレッポのイッティハードからやったコーチだ。

35歳になるアキールは、「戦争勃発以来、シリアのクラブはここ数年、クラブの施設も被害を受けて、活動を停止しているのです」と言い、こう強調する。

「このことが、シリアの選手たちを国外移籍に向かわせている理由です。イラクだけではありません。他のアラブ諸国やヨーロッパのクラブにも移籍しています」

Mohammed Aqil, 35, a former coach of Aleppo’s Al-Ittihad who is now assistant coach of Baghdad’s Air Force Club, attends a training session on October 14, 2017, in the Iraqi capital.
A decade ago, Iraqi footballers used to take refuge in neighbouring Syria to pursue their career but the tables have turned in the tumultuous world of Middle East conflicts. / AFP PHOTO / KHALIL AL-MURSHIDI

シリアの選手にとって、イラクのクラブは、アラブの有名クラブへの移籍の道をひらく足がかりになっている。たとえば、オマル・フリービーンは、イラクのミーナーSCで経験を積んだのち、サウジアラビアのアル=ヒラールに移籍している。これ以外にも、ムアイヤド・アジャーンアラー・シャルビーの二人は、エジプトのザマーレクとの契約を果たしている。

アレッポのフッリーヤSCからも、5年前、フセイン・ジュワイドも家族とともにイラクに渡った。プロ選手になる計画を果たすためだ。そしてジュワイドは、ザウラーSCでプレーする初めてのシリア人選手となった。ここで彼は精神的、物質的安定を得たのである。

国を離れたものの、この27歳になる若者は、こんな希望を口にすることにちゅうちょしなかった。「ぼくのサッカー選手としてのキャリアをこのチームで、民衆的なこのチームで終えたいと思っています」

イラクから代表入りめざす

シリア国外でプレーしていても、シリア人選手たちは故国のこと、とくに、ロシアで開かれるW杯出場にあと一歩のところまで近づいた代表チームを、今月、アジアプレーオフでオーストラリアの前に屈し敗退するまで、見守り続けた。

ザウラーSCでは、予選期間、サッバーグが代表チームの活動に専念できるよう保障していた。また、シリア代表には、シリア国外でプレーする他の多くの選手たちも加わっていた。たとえば、クウェートのサーラミーヤSC所属のフィラース・ハティーブ、サウジアラビアのアル=アハリー所属のオマル・スーマなどもそうである。

次の試合では代表入りをねらっているフドゥージュは、「ぼくの心はこれまでもこれからも、いつもシリア代表とともにあります」と話す。

いつもだれかが死んでいる

だが、こういった思いにもかかわらず、選手たちの心にある痛々しい記憶は、自分たちを離郷させた原因に関する永遠の証言者として、残り続けている。

今年(*2017年)夏、アレッポのイッティハードからナフト・ワサトSCに加入したナスーフ・ナクダディーは、「ぼくは、多くの出来事の中で何人かの友人を亡くしました」と話し、こう続けた。

「(*シリア国内のチームに所属していた当時)トレーニングが始まる前に、ぼくはfacebookをチェックすることにしていました。すると、チームのだれか、あるいは近所や親戚のだれかが亡くなったことを知らされるのです…。ぼくはひどく動揺してしまい、(*facebookをチェックし)続けることはできませんでした」

フリーライター/書籍編集者。アラビア語学習者。サンフレチェ広島とザンクト・パウリ(ドイツ)を愛す。シリアに平和が戻れば、アル=ジハードというちいさなクラブを追っかける旅をしてみたいと思っている。趣味はシーカヤック。京都市在住。

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