「フットボールでこんにちは」難民支援ドイツの試み

前回に続き、サッカーを通して難民を支援を行っている事例の紹介記事です。ハフポストアラビア語版が、2017年12月31日に掲載した記事で、ドイツ、おもにベルリンでの取り組みについて紹介しています。

ドイツではサッカーを通した難民支援の動きが活発なことは、日本でもときおり報じられます。今回の記事、難民の境遇に関すること自体、目新しいものはないかもしれませんが、サッカーが彼らのよりどころになっていることはわかりますね。でも、こういった活動の対象とならない、女性や中高年はどうしているのか、気になります。

今回、ぼくがもっとも印象深く感じたは、ドイツでは、アマリュアリーグに600人もの難民がプレーしているとのくだりでした。母数が大きいから600人なんて微々たる人数かもしれませんが、サッカーが社会にうまく溶け込む機能を果たしているように感じました。

また、写真をごらんいただいたらおわかりの通り、難民の支援プロジェクトといえでも、なんかすばらしい芝のピッチで行われているという点も、さすがドイツという感じです。

(下の写真は、難民支援を目的に行われた親善試合。ザンクト・パウリ対ボルシア・ドルトムント戦です。このザンクト・パウリというハンブルクのチームは社会活動に積極的なことで知られており、世界中に熱狂的ファンを持つユニークな存在です)
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元記事URL http://www.huffpostarabi.com/2017/12/26/story_n_18908266.html

ベルリン 世界の難民が集うピッチの物語

掲載紙:ハフポストアラビア語版
掲載日:2017年12月31日
執筆者:ミラー・ハッダード

(見出しの一部は訳者による)

夕方6時、ベルリン中心部。2時間前、すでに日は沈み、気温は0度近くに下がっている。降る雨は、照明に照らされた緑のサッカーグラウンドの上で、氷の粒に変わりだした。グラウンドには長袖のスポーツシャツとパンツを身につけた選手たちが集まり始めた。

ドイツ人のコーチ、コンスタンチンさんのかけ声で、シリアやアフガニスタンの若者たちが飛び出していく。雨と雪と冷たい風の中、若者たちは1時間半もの間、ボールを追い続けた。ときおり、シリア人のメンバーどうしアラビア語で会話する声が聞こえるが、ほとんどの会話はドイツ語で行われている。

このような光景は、毎週水曜日の夕方ごとに見られる。メンバーたちは寒風などものともせず、サッカーをするために集まり、ボールを追い回している。

退屈にまみれた日々

3年前、コンスタンチンさんは、夕方の空いた時間に、各国からやってきた難民たちを集めて、サッカーのコーチをはじめた。コンスタンチンさんは昼間はスポーツ記者として働き、夜、サッカーをしている。

「ボランティア活動である難民支援センターを訪問したとき、このアイデアが浮かんだんです。若者たちが退屈そうに座っている姿を見たんです。といっても、彼らは許可証の関係で働くことができません。彼らは時間を言葉の勉強をすることと、ボーッとすることで埋めていたのです」とハフポストアラビア語版の取材に話し、こう続ける。

「そこで私は、彼らに向かってサッカーが好きな人はいますかと聞いてみたんです。すると大勢の人が興奮した様子を見せたのです。週に1回、彼らとサッカーをしてはどうかという考えが浮かんだのはそのときからです」

チームには20人が参加してスタートした。ときによって人数の増減があるが、いつも新しい選手が加わってきている。コンスタンチンさんは自らの取り組みについてこう話す。

「私たちはドイツ語で会話しながらプレーしています。というのは、さまざまな国籍の選手がいるからです。おのおの同じ言葉を話すわけではありません。このようにして、彼らは言葉を習得するとともに、有意義な時間を過ごしているのです」

http://www.huffpostarabi.com/2017/12/26/story_n_18908266.htmlより

コンスタンチンさんは、ときおり、グラウンドの外で選手たちを集めてミーティングの場を持つことがある。その場には彼の友人たちも呼ぶことにしている。

「こうした中で、彼らは、より良いイメージを持って自分たちが生活する社会になじんでいきます。ドイツ人と会話しながら、言葉以上のものを習得しています」

3人のムハンマド

今週、コンスタンチンさんは新たな選手を迎えた。シリアチームのメンバーだ。コンスタンチンさんは笑いながら、新メンバーを一人ひとり順番に指し示しながら、われわれに紹介してくれた。彼はムハンマド、隣の彼もムハンマド、そして彼もムハンマドです…。そして、万歳をしながら笑った。「みんなムハンマドなんですよ」。選手たちも笑い、ドイツ語で何か言葉を交わした。

新メンバー4人のうち3人がムハンマドで、残り一人がマフムードだ。名前だけが同じなのではない。彼らはみな、同じ理由、軍隊からの脱走という理由で、シリアをあとにしてきている。年齢もみな21歳から24歳と近い。また、いずれもダマスカス郊外にあるハーンシャイフというパレスチナ人難民キャンプからやって来ている。

そして何より、彼ら4人のシリア系パレスチナ人は、シリアにいる頃は「ラマラ」という名前の同じチームでプレーしていた。そしてここでの練習で着ているのは、シリアから持ってきたラマラチームの赤いユニホームだ。

数日前、彼らは知り合いから、難民を集めサッカーを教えているコーチがいると、この場所のことを聞いた。それは2015年にドイツにやって来て以来、彼らが耳にしたなかで最良のニュースだった。

4人は、トルコから陸路でドイツに相次いでやって来た。彼らの他にも何千人もの人がたどったルートを利用した。彼らは、言葉の勉強をして過ごしており、うまく会話できるようになるまでになっている。おそらく、近いうちに大学で勉強をすることになるだろう。シリアでは彼らは、教育学と化学を学んでいた。

私が彼らに、ドイツでの暮らしは楽しいですかと尋ねると、みんな一様にこう答えた。「サッカーをしているときだけはね」

彼らは笑い、一人目のムハンマドくんがこう話す。「サッカーが好きでたまらないんです。サッカーはぼくらにとって人生です」

二人目のムハンマドくんが補足する。「シリアではぼくらは毎日サッカーをしていました。今は週に1回。もっとたくさんやりたいんですがね。とにかく、サッカー以上に楽しいことはありません」

すると三人目のムハンマドくんも割り込んでくる。「何よりうれしいのは、ぼくらは同じチームでプレーし続けられているということです。またみんな一緒になれたことです」

他の選手たちとおしゃべりをした後、コンスタンチンさんの話があり、この日の練習は終了する。4人の若者たちも帰っていく。2人は借りているアパートへ、あとの2人は滞在している宿舎へ。彼らは次週もグラウンドで再会することをかたく約束し合っていた。

「フットボールでこんにちは」

以上のことは、サッカーに関するドイツでの唯一の取り組みというわけではない。難民のコミュニティの学生たちで、地元の学校に通っているものの中から優秀なものに、1年間のトレーニングが受けられる報償が与えられる。いくつかの団体でも、仕事や大学で勉強する機会の提供の手助けをしている。

ボルシア・ドルトムントのホーム、ヴェストファーレンスタジアムのそびえ立つスタンドの近くで、世界中からやってきた16人の難民たちが、熱いサッカーの試合をしている。2015年9月にドイツサッカーリーグ機構(DFL)によって立ち上げられた「フットボールでこんにちはプロジェクト」の一部だ。同様の取り組みは、国内24のプロチームが行っている。

このプロジェクトは、難民の子どもたちが、地元のクラブチームとつながることの支援を目的としている。

約65のトレーニング授業が行われており、ドイツに住む4歳から30歳までの難民約800人が、毎週これに参加しており、約600人の難民が、地元のアマチュアリーグでプレーを続けている。

今週の試合終了を告げるホイッスルをコーチが吹くと、ドルトムントの黄色の練習着を着た選手全員が帰り支度を始める。その前に、彼らのコーチであり、相談員でもあるハサン・マウリーさんが、締めの言葉を述べた。ハサンさんの家族は、1980年代にレバノン内戦の恐怖から逃れるため、レバノンからドイツに移住している。

ハサンさんは、熱っぽくこう話しかけた。

「とにかく重要なのは、相手に敬意を払うこと、そしてフェアプレーを学ぶことだ。きみたちがドイツにとどまりたいと思うなら、これは不可欠なことだよ。きみたちは今後この社会の中で間違いを犯すかもしれない。だけど、きみたちはよいお手本にならなければならないし、溶け込むよう努力しなくちゃならない。ピッチで決められているルールは、日常生活でも守らなければならない重要なルールと同じなんだよ」

フリーライター/書籍編集者。アラビア語学習者。サンフレチェ広島とザンクト・パウリ(ドイツ)を愛す。シリアに平和が戻れば、アル=ジハードというちいさなクラブを追っかける旅をしてみたいと思っている。趣味はシーカヤック。京都市在住。
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