現時点で、シリア・ダマスカスの近郊にある反体制派の数少ない拠点の一つ、東グータ地区をめぐって、激しい戦闘が継続しています。今回紹介するのは、その地区めがけて、かつてはシリア代表チームの試合のメイン会場だったスタジアムから砲撃が行われているという記事です。イナブ・バラディーという反政府系メディアの記事です。
元記事URL:
https://www.enabbaladi.net/archives/205918
首都最大のスタジアムはサッカーに使えない
掲載紙:イナブ・バラディー
掲載日:2018年2月11日
(小見出しは訳者によるもの)
サッカーのシリア代表の指揮をドイツ人監督ベルント・シュタンゲ氏に委ねられたが、その任務の遂行はけっして簡単なものにはならないだろう。監督就任後の初仕事として、シリア国内のスタジアムを視察したが、そのとき首都ダマスカスで最大の規模のアッバースィーン・スタジアムの視察は含まれていなかった。
変わり果てた姿
新しい冒険をはじめるにあたって、監督が直面する大きな困難が、シリアスポーツ連盟に課せられている経済制裁に関するものであることは明らかだ。また、治安上の課題から、代表チームの試合を、国内のスタジアムで開催することが認められず、国外の中立国で開催することが課せられている問題もある。
直面する困難でいうと、シリアのスポーツ施設は、他の公的機関のそれと同様に、兵営に転用されることを避けられなかったこともある。とりわけ、反政府勢力が支配する地域の近くにある施設においてはなおさらだった。シリアの首都ダマスカスの最大規模を持つアッバースィーン・スタジアム(*反体制勢力支配地域に隣接している)は、これら兵営のひとつとなった。地元の複数のメディアは、(*現在の)スタジアム内部の映像を公開したが、ピッチには、土のうやバリケードが積み上げられ、観客席やフェンスは取り壊されていた。
首都の東部地区(*反体制勢力支配地域)に対する軍事作戦が開始されるに伴い、スタジアムのピッチには、アサド政権軍によって強力な砲撃施設が設置され、同スタジアムや東グータ地区に近接するジャウバル地区を標的とする砲撃拠点と化したのである。
アッバースィーン周辺の住民は、かつては金曜日ごとにこのスタジアムからの騒音に悩まされていた。とくに、首都のチームの試合後は、なおさらそうだった。しかし、現在は砲撃音によって住民は毎日悩まされている。ただしそのことについて不平を言い立てるものはいない。
充実の施設
アッバースィーンは、首都ダマスカスで最大、シリア全体では4番目の規模を持つスタジアムとされている。また、バラディー・スタジアムに次いで首都で2番目に古いスタジアムでもある。その建設は1957年にさかのぼる。
アッバースィーンが建設されるまでは、バラディー・スタジアムがサッカーのシリア代表や、首都のクラブチーム、アル=アハリー(現マジド)、ジャイシュらの試合を行うメインスタジアムだった。
その一方、アッバースィーンは1967年まで陸上競技にも使用されていた。第5回パン・アラブ競技大会(*1976年)がダマスカスで開催された際、当時観客1万人しか収容能力のなかったスタジアムの改修工事が行われた。これにより、土の陸上レーンはタータンに生まれ変わり、スタンドの下層には体育館や宿泊施設なども設置された。
第5回パン・アラブ競技大会開催後、ウマイイヤ広場近くにある古い見本市センター東に位置するバラディー・スタジアムは取り壊され、アッバースィーンが代表チームの公式戦を行うメインスタジアムに採用された。
アッバースィーン・スタジアムの面積は6万平方メートルに達する。これは10万平方メートルの敷地を持つスポーツセンターの一部を構成する。競技に使用されるフィールドのサイズは、長さ105メートル、幅70メートル。芝は天然芝で、周囲にはタータン製の陸上レーンが設置されている。観客席はプレストレス工法で建造されており、観客席は2層構造、内部には運営組織の事務所、サービス施設、トレーニング施設などが備わっている。
最後の改修工事は2010年に行われ、非公式の数字だが、最大収容能力が3万人に制限された新しい観客席がつくられた。
軍事拠点
スタジアムは3つの機関によって運営されている。一つ目は、シリアスポーツ連盟シリア支部。試合や選手、観客の他、あるいはスタジアムを利用するクラブチーム、競技会の開催などに関することを管轄している。
二つ目は、建物全体やピッチ、内部の施設、観客席の維持管理や、施設に関係するロジスティックに関することを管轄している。
三つ目はと言うと、スポーツとは縁もゆかりもない組織である。スポーツ連盟が、スポーツ施設の復旧やスポーツ活動の活性化について論議しているさなか、この組織は、ジャウバル地区に対する軍事作戦、さらには、東グータ地区に対する砲撃を行っている。