シリア代表レジェンドの引退

シリア代表

ずいぶん長い間、ご無沙汰していました。前回やりかけのアジアカップ敗退を受けてのシリアサッカーの長期的展望に関する記事はまだ終わっていませんが、その記事は放っておいて、今日は、シリア代表の精神的支柱で、国民から絶対的な人気を持つフィラース・ハティーブ選手が引退表明をしたことに関する記事の紹介です。

紹介するのは、CNNアラビア語版の記事です。ハティーブ選手のサッカーキャリアを振り返るという感じの内容です。というか、同選手がこれまでどれだけ多くのクラブを渡り歩いて来たかについて述べたもので、文字数のわりには内容は今ひとつです。

ファンとしては、シリア政府軍が自国民を空爆していることを理由に代表チームに参加することを拒否していたことや、何を思って復帰を決意したのか、といったことが改めて知りたいところなのですが、そういったことには触れられていません。この先その種の記事は出てくるのかどうか。

しかし、幸いといいますか、シリア代表がロシアワールドカップ予選で、オーストラリアとのアジアプレーオフをたたかっている最中を取材したNHKの番組があります。その中でハティーブ選手の言葉を聞くことができます。NHKのホームページには、同番組の内容を文字起こししたのが掲載されています。ぜひ読み返していただきたいと思いますので、リンクを貼っておきます。

サッカーシリア代表 “英雄”と“裏切り者”の狭間で – 記事 – NHK クローズアップ現代+
https://www.nhk.or.jp/gendai/kiji/042/


馬から降りた騎士 フィラース・ハティーブの引退

掲載紙:CNNアラビア語版
掲載日:2019年9月30日
URL
https://arabic.cnn.com/sport/article/2019/09/30/profile-feras-elkhatib-epl-work-permit

(*は訳注)

【ドバイ(UAE)-CNN】攻撃的MFでシリアサッカー界のレジェンド。クウェートではあらゆるタイトルを獲得。そして、36歳の今に至るまでシリアサッカーに影響力を有する。そんな選手が競技からの引退を表明、緑のピッチ上で描いて見せた物語に終わりを告げた。

デビュー

ハティーブのキャリアのスタートは1999/2000シーズン、カラーマSCからだった。カラーマはホムス(*シリア中部の都市)最大のクラブだ。ハティーブはそれまで、同クラブの各育成年代のチームで数々のタイトルをもたらしていた。

のちにシリアサッカーの象徴的存在となるこのプレーヤーは2001年10月6日、シリアリーグのフトゥーワ戦でゴール量産の口火を切っている。

転機

ハティーブはヨーロッパの2クラブ、 KAAヘントとRSCアンデルレヒト(いずれもベルギー)での短い移籍期間を経て、2002年、クウェートのナスルSCとの契約書にサイン、クウェートのクラブでの輝かしいキャリアをスタートさせた。

ナスルへの移籍は、ハティーブにとって歴史の扉を開くものとなる。彼はクウェートプレミアリーグにおいて、史上最もすぐれた選手となるのである。

数々の栄光

ハティーブはその後クウェートのアラビーSCに移籍、約7年間在籍する。その間、アミールカップで3回、クラウンプリンスカップで2回、そしてクウェートスーパーカップで1回優勝を遂げている。

アラビー在籍中、134ゴールを記録、チームの絶対的エースとなった。サポーターたちから絶大な支持を得ていた。

カーディスィーヤとイングランドへの移籍

2009年8月、同郷のジハード・フセインとともに同じクウェートのカーディスィーヤSCに移籍。同クラブでも、リーグ優勝3回、得点王も1回獲得。アミールカップでも2回、タイトルをチームにもたらしている。カーディスィーヤ移籍前、ハティーブはイングランドのノッティンガム・フォレストFCへの移籍を希望していたが、ノッティンガム側がハティーブのイングランドでの労働ビザを取得することができず、イングランド挑戦を断念している。

渡り歩くクラブ

2012年9月、ハティーブはイラクのザーホーFCに移籍するが、翌2013年2月には中国の上海申花に渡っている。上海申花では加入1試合目でゴールを決めた。

だが、中国での挑戦は長く続かず、その後クウェートのアラビーと再契約することになった。

クウェートリーグへの復帰と王座君臨

上海申花との契約解除後、2013/14シーズンにアラビーとの契約書のサイン、サーラミーヤ戦ではクウェートリーグ100ゴールを達成した(*アラビーSC在籍中すでに134ゴールを記録しているはずなので、100ゴールというのはおかしいと思うのですがそのまま)。ハティーブはその後、そのサーラミーヤSCに移籍することになる。

2017年9月、サーラーミーヤに移籍、2019年まで在籍した。クウェートプレミアリーグで通算147ゴールを記録、同リーグ史上最高のストライカーとなった。

代表での活躍

各育成年代の代表で実績を積んだハティーブは2001/02シーズンにフル代表にも招集された。またオリンピック代表として2004年のアテネオリンピックのアジア予選にも出場している。

2001年5月4日、ワールドカップ2002アジア予選のフィリピン戦で交代出場でフル代表デビュー。同月11日のラオス戦では初ゴールも決めている。

ハティーブは代表レベルではアジアのいかなるタイトルも取ることはなかった。代表での一番の業績といえば、ロシア・ワールドカップ2018出場をかけてアジアプレーオフまで進出したことだろう。ハティーブは2012年から17年まで、祖国が置かれている危機を理由に代表チームへの参加を拒否していたが、その後復帰、ワールドカップアジア予選をたたかった。

引退

209年9月、シリア代表のファジュル・イブラーヒーム監督は、ハティーブが最近クラブとの契約解除となり無所属となったことを受け、ハティーブと引退問題について話し合い、ワールドカップ予選を含め、所属クラブを有しない選手の代表チーム参加を認めないことを告げたことを公表した。

同監督のこの発表の後、9月30日、ハティーブは出演した「スタジアムのこだま」というテレビ番組のなかで、現役を引退すると発表した。シリアサッカーの騎士(ヒーロー)は、栄光で満たされた旅を終え馬から降りたのである(*騎士・ヒーローはアラビア語で「ファーリス」といい、おそらくフィラース・ハティーブの名前とかけているだと思います)。

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