クルディスタンからシリアリーグに参戦する意味 ジハードSCのあゆみ

シリア・クルド

今回もシリア北東部、トルコ、イラクとの国境線に近いカーミシュリーというまちをホームとするジハードSC(スポーツクラブ)の話です。クルド人を中心とした多民族チームの苦闘の記録。前回投稿記事の後半部分です。

ジハードはクルド人を中心に、様々な民族、宗派が入り混じるチームですが、内外には様々な圧力があるようです。それでも今回の記事では、こんな興味深い事実を紹介しています。シリア北東部は現在、クルド人勢力を中心とする自治政府が統治しており、同地域では自治政府系組織が主催するリーグ戦も開催されています。なのにジハードはそれには参加せず、シリア政権側が開催するリーグに参戦しているという事実です。現在のシリアで自治政府を形成するクルド人勢力の政治構想を垣間見ることができるのではないでしょうか(現政権とは対立はしつつも、分離独立ではなく、シリアとしての一体性は保持する)。今年初めて開催された女子のシリアリーグで優勝したアームーダも同様のケースですね(参考:シリア女子リーグ アームーダSCが優勝)。

なお、前回、今回とで紹介した記事では、政権側、あるいはアラブ側による差別に焦点を当てていますが、現政権は必ずしもそういった対応を取るばかりではないことにも留意すべきでしょう。記事でも出てきますが、過去、ジハードの選手らが交通事故で死亡したことがあります。事故後、ジハードは受けた痛手により当該シーズンの活動を続けることができなくなってしまいます。ところがこのときシリアサッカー連盟は、「人道的な救済措置」として、当時1部リーグにいたジハードをプレミアリーグに特例的に昇格させているのです。一方的に迫害されているわけではないということです。(参考:ジハード、1部昇格

前回記事の冒頭で、クラブの元会長が、1990年代後半、シリアサッカー連盟はリーグ前半戦のジハードの勝点をすべて剥奪する制裁を科した旨発言していますが、それがどういう事情からなのか、結局明らかにされずじまいでした。全体として、今回の記事は僕にとってとても勉強になりましたが、この点残念でした。


社会状況を体現するジハードSC その歴史と闘争(2)

 

掲載紙:SYRIA UNTOLD
掲載日:2019年3月10日
URLhttps://syriauntold.com/2019/03/10/نادي-الجهاد-نادٍ-برتبة-مدينة/
執筆者:アーラーン・ハサン、ジャーンディ・ハーリディ

(見出しの一部は訳者によるもの *は訳注)

差別か、あるいはスポーツ上の見解の相違か?

ジハードSCは、シリア最北東部のクラブとして、国内リーグにおいて比較的好成績をおさめた初めてのチームである。困難な環境にあるにもかかわらず、ジハードはシリアの社会とスポーツ界において際立った存在となっている。

だが、民族の違いを理由とする緊張と処遇の違いがクラブに影響をもたらしている。

チームの司令塔で、2016年に引退したカダフィ・アスマト氏は、選手に対する差別的処遇について明らかにする。

「クラブの何人かの役員によって、クルド人選手に対する人権侵害が行われていたのです」

アスマト氏は、クラブの元会長で、長期にわたってクラブを率いてきたファアード・クッス氏に対して不平をうったえる。アスマト氏によると、クッス氏は当初からアスマト氏がプロ契約を結ぶことを妨害する一方、アッシリア人、アラブ人の選手に対しては容認する態度を取っていたという。

アスマト氏は、妨害の理由は自分がクルド人だったからだと考えている。

一方、クッス氏は、アスマト氏のうったえについてこう反論する。

「2004年にジハードの降格が決まったとき、カダフィ(*アスマト)はフッリーヤ(アレッポのクラブ)への移籍を要求してきました。それに対し、私は彼にジャイシュ(ダマスカスのクラブ)への移籍を提案しました。というのも、ジャイシュから報酬など魅力的な契約内容のオファーが届いていたからです。この時期、ジハードのために力を尽くしてくれる5選手がチームに復帰することが決まっていましたしね」

カダフィ・アスマト氏はジハードの育成チーム出身で、トップチームのゲームメーカーとして活躍した。国内の複数のクラブでもプレーした。現在は、ジハードでアシスタントコーチをつとめている。

だが、こういった差別的処遇は、選手たちの間に広がることはなく、むしろ選手どうしは一体感を持っていたとアスマト氏は言う。

「(ところが)当時のクラブ執行部は、ファンたちの前で、選手間に対立があるなどと事実と違うことを言っていたんです」と言い、続ける。

「クッス氏はぼくに対していろんなことをしてきました。トレーニングメニューを作ってくれなかったりね。クラブ所属選手、それも元代表選手がトレーニングメニューにしたがって練習するのは、当然の権利じゃないですか」

しかし、これについてもクッス氏は根も葉もない主張だと反論する。

「アスマト氏がトレーニングメニューを受け入れなかったんですよ。われわれはクラブすべての選手たちにトレーニングメニューを与えていました。彼にもメニューを伝えていましたが、彼が練習に加わることはありませんでした」

シリアで初めてプロスポーツ選手制度が導入されたのは2000/2001シーズンだったが、それは狙い通りの結果を生んでいない。

クラブのあゆみ──紛争勃発前まで

─シャビーバSC(現ジハード)は1962年、弁護士のニザール・アブラシュほか5人によって設立された。政府によって、ラーフィダイニ、カーミシュリー、アラビーの3クラブの閉鎖決定を受けてのことだった。

─クラブはヨルダンへ遠征しエルサレム(当時ヨルダン領)で、また、モスルやバグダッド、アルビル(クルド語名ハウレール)、キルクークなどイラクでも試合をしている。

─1971年、シリアにおけるスポーツ活動に関して法令38号が発布、翌年施行され、シリア政府によってクラブ名がジハードに改称される。

─1979年、シリア・プレミアリーグ昇格。

─プレミアリーグ昇格後の初戦はイッティハード戦で、スコアはスコアレスドロー。

─クラブ本部事務所は、カーミシュリー市の施設だったが、のちに所有権を取得した。

─プレミアからの最初の降格は1986年。ウンマール・ユーセフ選手のレフェリーへの暴行を理由に、シリアサッカー連盟がジハードのリーグ戦での勝点を14ポイント剥奪するとともに、5選手の資格停止、ホームゲーム開催禁止の処分を科したことの結果だった。

様々な時代のジハードのメンバー

様々な時代のジハードのメンバー

様々な時代のジハードのメンバー

様々な時代のジハードのメンバー

─クラブは3度、痛ましい交通事故に見舞われている。1度目は1991年、地中海沿岸の道路上で、土砂を積載したダンプがチームのバスに激突した。この事故で選手とスタッフ5人が死亡した。死亡したのは監督のアブード・イスカンダル、役員のフセイン・サイード、GKのアブドゥルガンニー・ウトゥーカ、医療スタッフのバイディーク、ドライバーのフォルムズ。

2度目は1994年で、アレッポ・ダマスカス間のサラーキブ市付近でのことだった。一行が乗ったバスのエンジンが炎上した。炎が車体を焼き尽くし灰に帰したが、チームは奇跡的に救助された。

3度目の事故は2002年、デリゾールの路上で起こった。1台のトラックが選手数人を乗せたバンタイプのミニバスに衝突した。この事故で選手のハイサム・クッジュとバス運転手のムハンマド・リシャード・ユーニスが死亡した。

─クラブのエンブレムは、二つの穂と石油のシンボル、それに3つの星を組み合わせもので、それはプレミアリーグのチームであることを意味したものとなっている(*なんでそういう意味になるのかはわかりません)。図案は、クラブ執行部と当時クラブのメンバーだったアーティストのジャーン・カーラート氏によってデザインされた。

─公式ユニフォームのカラーは赤だったが、チームが遭遇した悲惨な事故の後、白を基調に黒のラインが入るものに変わった。

─ジハードの年間を通した過去最高の成績は、2000/2001シーズンで、トップチームはリーグ戦でジャイシュに次いで2位に入り(*間違い。実際はこのシーズン優勝はジャイシュだったが、2位はカラーマ、ジハードは3位だった)、得点ランキングの1位2位もジハードの選手が占めた。また、同シーズン、ユースリーグ(*シリアでは年齢制限を設けた若手選手による全国リーグが行われている)では優勝している。

自治政府体制下でのジハード

2011年に始まった戦争の後、カーミシュリーの数千人もの住民はイラクのクルディスタン地方や、トルコ、ヨーロッパに逃れた。多くはクルド人とアッシリア人だった。

逆に、シリアの各地から(比較的安全とみられている)カーミシュリーに数千人もの避難民が逃れてきた。彼らは人口構成上の問題を生じさせている。つまり、シリア政府による公式の統計はないが、同市の多数派はクルド人である状況は今も変わらないものの、アラブ人の人口が、アッシリア人を上回ってしまったのである。なお、2016年、自治政府が人口調査を行っているが、その結果はいまだに公表されていない。

シリア・ジャジーラ地方のスポーツ活動は、2014年に設立された自治政府(*西クルディスタン移行期民政府。通称ロジャヴァ)内のスポーツ青年機構の管轄下で組織されている。ジャジーラ地方スポーツ連盟は同機構の一部門で、この連盟はジャジーラ地方のスポーツ活動全般を取り仕切っている。

自治政府はスポーツ連盟に対して資金を供出しているが、2017年のジハードSC宛の援助金は、200万シリアポンド(*約42万円)、2018年は150万シリアポンド(*約31万円)だった。

ところで、ジハードSCは、自治政府の公認クラブではなく、シリア政府が管轄する全シリアスポーツ連盟及び同連盟ハサカ県支部に所属している。なので、ジハードはシリアリーグに参加しているのである。

アウェーで試合をするチームの苦労について、GKのイマード・イーサーはこう話す(*ジハードは現在、ホームであるカーミシュリーでの試合開催が認められていない)。

「ぼくらはダマスカスへは、貨物機に乗って行くこともあります。これは選手にとって大変な負担ですよ。最近もハマへ遠征したんですが、バスで17時間かかりました。全シリアスポーツ連盟(シリア政府傘下)は試合が行われる際、カーミシュリー・ダマスカス間の移動にチームのためにバスを用意してくれていますが、ぼくらは1週間で3試合することを余儀なくされることもあります」

ジハードのGKイマード・イーサー。カーミシュリーの3月12日スタジアムで。2019年1月)

ジハードに選手を供給する地元クラブ

イーサーはチームが悩まされている問題について不平をうったえる。イーサーによると、シリア政府の全シリアスポーツ連盟とクラブとの関係は、国内の他のクラブとの関係と同じではないと言う。物質的支援は不足しているし、ホームでの試合開催が認められていないといい、こういった連盟の対応は政治的なものだと見ている。

「これらのことの理由は政治的なものです。スポーツは政治から切り離せないものですからね。そうでなければ、僕らはサポーターに囲まれてホームで試合ができているはずです。ぼくらはファンの声援を見てみたい。カーミシュリーのサッカーに輝きを取り戻したいと思っています」

自治政府傘下のハサカ地方スポーツ連盟サッカー部門では、年間を通じて男女のリーグ戦とカップ戦をそれぞれ行っている。男子は20チーム、女子は6チームが参加している。

これらのチームは、すべての年代のカテゴリーのチームにおいて、ジハードに選手を送り出し支援している。ジハードの基本的な戦力強化において、これらのチームが基盤となっているのだ。

ジョルジュ・フズーム氏(*ジハードSCの元選手で、監督及びクラブ会長もつとめた)は、クラブの未来について楽観的に見ているようだ。

「カーミシュリーは多くの可能性をひめたまちです。女性たちが子どもを産み続ける限り選手たちを供給し続けることでしょう。カーミシュリーはシリアのブラジルなんですよ。今はクラブを取りまく環境は厳しいですが、ジハードはきっとわれわれが知っているジハードのままであり続けるでしょう」

(この記事終わり)

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