今シーズンのシリア・プレミアリーグは、コロナウイルス感染が拡大する中でも、近年にない盛り上がりを見せているようです。盛り上がりに大きく貢献しているのが、ホムスを拠点とするカラーマというチームの存在です。
カラーマは2000年代、シリア国内だけでなく、アジアの舞台でも大きな躍進を遂げたチーム。強さだけでなく、人気の点でも国内トップレベルです。しかし、2011年に始まった戦争により、彼らのホームタウンであるホムス(シリア中部の都市)も激戦地となってしまったため、スポーツをできる環境が失われ、選手の多くは国外のクラブに去って行きました。
なので、ここ10年の成績はずっと低迷していたのですが、今シーズンは長いトンネルを抜け出したようで、開幕以来無敗でずっと首位を走り続けてきました。1月22日に行われた前半戦の最終節となる第13節でそれまで2位につけていたティシュリーン(ラタキア)に0−1で敗れてしまい、順位を3位に後退させてしまいましたが、首位ティシュリーンとの勝点差はわずかに2。まだまだわかりません。
カラーマはアラビア語で「尊厳」といった意味です。戦争で荒廃した都市のクラブが優勝するまで復活したとき、シリアにも「カラーマ=尊厳」が戻ってくるときであって欲しいと思います。
(下の写真:カラーマは2008年AFCチャンピオンズリーグ準々決勝で来日しガンバ大阪と対戦した)
シリア・プレミアリーグ2020/21順位表
(2021年1月23日第13節終了時点)
順位 | チーム名 | 勝点 |
1 | ティシュリーン | 30 |
2 | ジャイシュ | 30 |
3 | カラーマ | 28 |
4 | フッティーン | 26 |
5 | ワフダ | 24 |
6 | タリーア | 21 |
7 | ジャブラ | 17 |
8 | イッティハード | 16 |
9 | ワスバ | 16 |
10 | ハルジャラ | 11 |
11 | シュルタ | 11 |
12 | サーヒル | 6 |
13 | フッリーヤ | 6 |
14 | フトゥーワ | 4 |
(下の写真:シリア・ホムスの破壊された街を走る自転車の男性。2019年10月2日撮影)
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ホムスの瓦礫の山から、カラーマが輝きを取り戻す
掲載紙:マヤーディーン
掲載日:2021年1月14日
執筆者:ムハンナド・サルトゥーン
URL:https://m.almayadeen.net/news/sports/1448840/نادي-الكرامة-يستعيد-أمجاده-وينفض-غبار-الحرب-عن-مدينة-حمص
(小見出しの一部は訳者によるもの)
地獄
サウジアラビアのイッティハード、カタールのアルサッド、韓国の全北現代、そして日本のガンバ大阪などといったアジアを代表する名門ビッグクラブにとって、ホムスのスタジアムは言わば地獄のような場所だった。ハーリド・ブン・ワリード・スタジアムの観客席はホムス旧市街の各地区からくり出してきた人々によって埋め尽くされ、「待ちに待った水曜日」(*AFCチャピオンズリーグなどアジアの大会は水曜日に開催されることが多い)には、まちの路地の至るところからチームの旗を振りながらサポーターたちがうたう最も美しいいろんな応援歌が聞こえてきたものだった。
国民的監督ムハンマド・クワイイドが率いる黄金時代のカラーマSCが生み出したこういった光景は、シリアサッカー史においてカラーマの名を格段に高めた。チームは2005/2006から2007/2008にかけて3シーズン連続でAFCチャンピオンズリーグに出場、また、2008/2009シーズンはAFCカップに出場し、決勝まで進出した。その他アラブの様々な大会にも出場し注目を集めた。
戦争ですべてが破壊
しかし、これらのことはすべて、2011年に戦争が始まるまでのことである。戦争はこの国のスポーツ活動の様々な方面に打撃を与えた。サッカーはテロ行為の危険にさらされた。シリアの他の諸都市と同様ホムスにおいても、各種テロ組織が出現し、カラーマSCの主力選手の大半は国外のプロチームに流出していった。
その後、国内の状況が立ち直り、サッカーを含めスポーツ活動が次第に再開され出すと、カラーマSCは8年間に及ぶ復興計画に取り組み始めた。同期間中、サポーターたちや歴代クラブ指導部が再び栄光と挑戦に向けて進み出すことができるようになるまでは、クラブの各競技の成績はその歴史、名声からして不本意なものだった。それが今シーズンは、運営が安定し、多くの競技において技術的にレベルアップした結果、「カラーマの鷲たち」の名にふさわしい戦績を上げるようになってきている。
サッカー、バスケットでリーグ首位
カラーマのサッカーとバスケットボールの両チームはそれぞれのリーグ戦で首位に立ち、新年(2021年)を迎えた。サッカーのプレミアリーグでは、ジャイシュ戦での引き分けをのぞけば全勝で、勝点26をあげ、2020年末を終えている。首位で新年を迎えるのは2009年以来のことで、その年はリーグタイトルを獲得している。
サッカー同様バスケットボールでも、国内のスター選手の補強が成功し、無敗でリーグ戦の首位に君臨している。
多くの困難
カラーマSCの運営委員会メンバーで広報部長のイマード・ナクリーは、「マヤーディーン」のインタビューの冒頭、クラブの復興事業が直面している苦境について語った。
「10年以上も国を揺るがす危機が生じていることは隠しようがありません。この危機はすべてのものに影響を及ぼし、いろんなマイナス面を生み出しています。カラーマSCも例外ではありません。ここ数年間の活動環境はとにかくひどいものでした。歴代のクラブの執行部は様々な競技部門において復興に取り組んできました。ときにはうまく行くことがありましたが、目標を達成できなかったこともあります」
そして、ナクリーはクラブの施設状況についてこう語る。
「われわれは、国内で行われている大半の競技、サッカー、バスケットボール、ハンドボール、卓球、バドミントン、水泳、陸上、体操など各競技の強化に取り組んでいます。ホムスの治安が回復した後は、あらゆる競技の再生活動に着手しています。だが、それには様々な困難があるんです。われわれは練習するための不可欠な施設を失いました。ホムス市内のスポーツ関連施設は満足のいくレベルには達していないのです」
こういった施設再建のためにカラーマSCが依存している財源についてはこう述べる。
「財源はいろんなスポーツ組織から得ています。われわれはクラブハウス内に多くのスポーツ組織を所有しています。クラブの活動はそれら組織の資金供出によって行っています。しかし、これらの資金だけではクラブや各競技チームが必要とする金額のごく一部しかまかなうことができません。だから、財政はクラブの会長や役員たちが負担しているのです。彼らのポケットマネーから支払っています。だから、われわれはクラブのために資金的に支えてくれるサポーターを絶えず募っています」
組織のプロ化
おそらく、カラーマSCの際立った特徴の一つは、クラブ活動の隅々にまで行き渡るプロ意識の高さだろう。ナクリーによれば、
「われわれはクラブの活動にプロ組織を導入した初めてのクラブです。クラブは専門性に基づいて運営されています。あらゆる活動を専門的に行っています。これは誰か特定の個人が物事を決めていくことを意味していません。逆に、われわれはクラブが取り扱うあらゆる事柄に対し、議論し意見をたたかわせています。そうした経緯を踏まえ、最適、最良の方針を決めているわけです」ということだ。
未来を担うアカデミー会館建設
そして、ナクリーは歴代のクラブ執行部とは異なる現在のクラブの戦略について話す。
「現在、われわれはクラブハウスの裏側にアカデミー組織(*育成・教育組織のような部門だと思います)の建物を建設しています。クラブと若者たちの未来を担ういくつかのホールや設備を備えたものになる予定です。また、それはクラブの各競技のチームの活動に資するものになります。さらには、アカデミーはクラブや各競技チームの財源を豊かにするため、投資を呼び込むような施設を兼ね備えてものになるでしょう。つまり、現在のクラブの収入からするとまったく釣り合わない巨大な出費となります」
カラーマ出身のスター選手と獲得タイトル
カラーマSCは1928年設立。クラブのアカデミーからシリアサッカー界に名選手を送り出している。たとえば、フィラース・ハティーブ(クウェート・リーグ最高のストライカー)、ジハード ・フセイン、アーティフ・ジュニヤート、ムハンナド・イブラーヒーム、アディー・イード、ムサアブ・バルフース(国際的GK)らである。
また、2006年アラブ最優秀監督に選出されたムハンマド・クワイイドら、シリアの著名な指導者が何人もいる。
カラーマのクラブハウスには、多くの国内大会の優勝カップが保管されている。シリアリーグで8回、シリアカップで8回、シリアスーパーカップでも2回それぞれ優勝している。また、国内リーグ、カップ戦で準優勝した回数も多い。2006年AFCチャンピオンズリーグ、2009年のAFCカップでは準優勝している。
カラーマがシリア・プレミアリーグの主役に躍り出るときが復活を果たすときだが、まさに今、カラーマがついに帰ってきたのである。