最多ユーザーを誇るアラビア語辞書「ハンスヴェーア」はナチスのために作られた

アラビア語学習

今回はサッカーとは関係のない話題をひとつ。

ハンス・ヴェーアというドイツ人研究者によって編纂されたアラビア語辞書があります。この辞書を使っている学習者の数は、日本では、あるいは世界的に見ても、最も多いのではないかと思います。辞書のタイトルは「Arabic English Dictionary of Modern Written Arabic」というんですが、学習者の間ではもっぱら、編纂者の名を取り「ハンスヴェーア」と呼ばれています。

この辞書の編纂過程に関し、とても興味深い事実を知りました。辞書の完成には、ナチスが深く関わっていたというのです。

アラビア語単語道場」というサイトに、「アラビア語辞書Hans Wehrの話」という一文が掲載されています。

アウシュビッツに送られた女性研究者

それによると、1952年に初版が刊行されたこの辞書。そもそも辞書の編纂が始まったのは、ドイツがナチス政権下の時代で、編纂の目的はヒトラーの『我が闘争』を翻訳することが発端だったんだそうです。

『我が闘争』アラビア語版を刊行するのに、なぜ辞書まで作らないといけなかったのかは、いまいちはっきりしませんが、身近なあの辞書にそんな来歴があったとは、驚かされます。

しかも、この辞書編纂プロジェクトに大きく貢献したスタッフの一人は、ユダヤ人の女性研究者だったというのです。「彼女の仕事のクオリティの高さを同辞書の編集スタッフ達は讃えていた」んだそうです

しかし、ナチス政権下ですから、いくら優秀な研究者だとしてもユダヤ人の彼女にも迫害の手が伸びていきます。1942年7月、彼女はアウシュビッツに強制収容され、殺害されてしまったのです。彼女の姉、母親、祖母もまた、ナチスに殺されたといいます。まるで映画のストーリーのようです。

ベルリンのホロコースト記念碑(2015年7月)

この一文の筆者は最後にこう書いています。

「ミネソタ大学のアラビア語の先生が指摘されているように、この辞書が「ハンスヴェーア」と呼ばれ、Hedwig Klein博士(注:殺されたユダヤ人女性研究者の名前)をはじめとした協力者達を無視して彼一人の功績であるかのように認識されていることは確かに倫理的に問題なのかなと思いました」

一方で、ぼくが思うのは、ヒトラーの著作のアラビア語版刊行のために立ち上げられ、ユダヤ人も大いに貢献したプロジェクトの成果が、日本でもおそらく世界中でもアラビア語学習、研究に大きな影響を与えているというのは、痛快なことといいますか、不思議な気がします。

半世紀以上前の辞書だのみの学習環境

いや、それはともかくとして、ろくにたいして改訂されていないにもかかわらず、半世紀以上も前に刊行された古い辞書を、日本の大半のアラビア語学習者は今もありがたがって使っている現状って、おかしくないですか。

奇異といいますか、非常に不健全なように感じます。他の外国語辞書、例えば英語なんかと比べると、この現状は怠惰と言ってもいいくらいではないでしょうか。

なお、原書はアラビア語-ドイツ語辞書ですが、日本の学習者が使っているのはその英訳版アラビア語-英語辞書です。ちなみにぼくは、購入はしたもののほとんど使っていません。英語がそんなにできるわけじゃないありませんからね。英和辞典を横に置いとかなきゃ使えないなんて、かなりめんどくさい。

幸い、この20年の間に、日本のアラビア語学習環境はずいぶん変わりました。

この、いわゆる「ハンスヴェーア」をベースにしてデジタルデータ化したアラビア語-日本語辞書(日本語-アラビア語辞書)サイトが複数立ち上げられています。ぼくはもっぱらそれを利用しています。この辞書なしには学習は1日も成り立たないと言ってもいいくらいです。

そういう意味では、ぼく自身も、そしてこのサイトも、「ハンスヴェーア」に依存する不健全な状況下にあるということになります。

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