シリア政府軍によるアレッポ奪還直後のダービーマッチ

シリア内戦/社会
イッティハードのFacebookページより

今回はちょっと古めの記事です。少し長いので、分割して紹介します。

2017年1月28日、戦争で傷んだままのアレッポの小さなスタジアムで、シリア・プレミアリーグの試合が行われました。同じアレッポ市内をホームとするチームどうしの対戦、5年ぶりのアレッポダービーです。長期間にわたる激戦の末、政府軍がアレッポ市内から反体制武装勢力を撤退させた直後のことでした。

戦争中のシリアでは、とくに代表チームなんかが活躍し、国際的な注目を集めるようになると、政権はサッカーを政治利用している、といった批判がくり返されます。今回紹介する記事も、そういった批判の一つです。

戦争で破壊されたまちでダービーマッチが復活した、なんていうニュースを聞くと、サッカーファンとしては、うれしくなってしまいますが、ことは簡単ではなさそうです。なにしろ戦争中のことですので、その背後には様々な思惑、駆け引きが入り乱れるのは、当然のことですね。

この記事が書かれたのはもう4年ほど前のことです。その後の事態の推移から見て、中にはこじつけめいた批判内容も含まれているように感じます。

執筆者のカリーム・ザイダーンさんはカイロ出身で、スポーツの政治的、経済的、社会的側面について研究している専門家、ジャーナリストだそうです。

日本でもわずかですが、このアレッポダービーを報じる記事がありました。
5年ぶりのダービー…戦乱のアレッポにサッカーが戻る

また、動画もYouTubeにアップされています。参考までにどうぞ。


5年ぶりのアレッポ・ダービー アサド政権のイメージ戦略(1)

 

掲載紙:SYRIA UNTOLD
掲載日:2017年5月30日
URLhttps://syriauntold.com/2017/05/30/كرة-القدم-في-حلب-ضوء-على-مناورات-النظا/
執筆者:カリーム・ザイダーン

(小見出しは訳者によるもの)

戦争でズタズタに引き裂かれた西アレッポの住民たちが、およそ5年ぶりに国内リーグにの試合を観戦するために集まってきた。2017年1月28日、スタジアムには様々な年齢層の人たちがこのワクワクする出来事を目撃しようと押し寄せた。

一部の人びとは、アレッポにサッカーが復活すること、そして、かつて活気に満ちていたこのまちに安心、安全が戻ってきたことを称えた。観客は、太鼓やラッパの音に合わせて叫び、歌った。シリアで最も成功したクラブのひとつ、地元のイッティハードSCが、同じくアレッポをホームとするライバル、フッリーヤSCを2−1で破ると、観客は熱狂的にその勝利を祝った。

苦境を忘れてさせてくれる機会

過去数年間、両チームは、戦争のためアレッポで試合を行うことがかなわなかった。だがこの日の午後、アレッポの大事なアイデンティティーに関わる甘くて苦い記憶が、ほんの一瞬だが蘇ったのだ。平穏な日常はもはや簡単には戻ってくることはないのだが。

多くの人びとにとって、この日の試合は、この数年間のつらい生活を忘れさせてくれる機会となった。ただし、損傷したままのスタジアムや、客席にいる完全武装の機動隊の存在、あるいは本来緑の芝で覆われているはずのピッチが黒ずんだ茶色に変わってしまっていることなどはいやでも目に入ってくる。今のアレッポには戦争の影響から逃れられるものは何もないのだ。

アレッポ奪還を誇示する場

国営放送によって中継されたこのアレッポダービーは、2012年以来分断されていたアレッポ市を政府軍が総攻撃を加えて反体制派の手から完全に奪還したことで、地元の様相が劇的に変わったことをアピールするための企てだった。

政府系メディアは両チームの選手、監督、サポーターらにインタビューし、スタンドにアサド大統領の巨大な肖像写真が掲げられているもとで、口をそろえ「アレッポ住民の心に幸せが戻ってきた」と称賛する声を報じた。

BBCや「ザ・サン」といった西側メディアも、戦争によって引き裂かれていたアレッポにスポーツが戻ってきたことを祝った。

政治ショー

だが、何人かの地元のジャーナリストは、ダービー開催に込められた政権側の意図に疑念を呈している。大勢の人々にとってこれは、数万人が犠牲となり、あるいは家を失った住民の犠牲と引き換えに行われた政府によるショーなのではないのか、と。

反体制派でトルコに在住しているシリア人ジャーナリストはCNNの取材に対し、次のように話している。

「これは、政権側がアレッポ市を奪還し、すでに治安を回復したことを知らしめるための情報戦です。…(しかしその一方で政権側は)アレッポ市の住民の半数に家から退去することを強制しているのです。そして彼らを世界中に難民として追い立てた。ごまかしですよ。あれだけの流血と犠牲者があったというのに、何事もなかったかのように体制側が振る舞い、アレッポのガレキの上で選手たちがサッカーをしているのを見ることになるなんて、残念でなりません」

サッカーの政治利用

1月28日は、いく人かの人たちにとっては、まちを襲った徹底的な破壊のあと、若干の幸福感を復活させた瞬間だったが、それは同時に、「まちの解放者」としてのイメージを強調するため、サッカーを道具として利用する政権側の企ての日でもあった。

さらには、この試合は、戦争で破壊された地域で行われているスポーツを見て幸福感を持つ世界の人々にとっては、表面的な気晴らしの道具となった。

しかし、こういったことは、独裁政権下でのサッカー外交が持つ手垢のついた手法なのである。体制が影響力を広げるために弄したスポーツの政治利用の最新のわかりやすすぎる事例に過ぎない。(続く)

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