民衆革命後、エジプトのリーグ戦で起こった史上最悪の惨劇で判決

今回紹介するのは、アル=アハラーム(エジプト)が2017年2月21日に配信した、サッカー史上最悪の暴動、ポートサイドの虐殺事件で判決が下ったというニュースです(النقض تؤيد أحكام الإعدام والسجن بحق المتهمين فى قضية ستاد بورسعيد)。

これは不可解な点が多い事件です。2011年2月、エジプトでは民衆デモでムバラク政権が崩壊、その翌年、アル=マスリーというエジプトのクラブチームのホーム、ポートサイドで、国内リーグのアル=アハリーとの一戦が行われました。

アル=アハリーはアフリカチャンピオンとして、クラブワールドカップで来日したこともあるチームなので、日本でもよく知られているチーム。一方のアル=マスリーは知られてはいませんが、エジプト国内では人気チームの一つのようで、とくにアル=アハリーに強い対抗心を持っているようです。

試合はホームのアル=マスリーが3対1で勝利。ところが、試合終了直後、アル=マスリーのサポーターが、アル=アハリーのサポーターや選手たちを襲撃し、多数の死者、負傷者が出る世界のサッカー史上最悪の事件となりました。

「スタジアム内は逃げ惑うアル・アハリのサポーターや選手らでパニック状態となった。暴動を逃れようとしたアル・アハリ側サポーターはスタジアムの出口へ殺到したが鋼鉄製の門には鍵が掛けられ硬く閉ざされていたため、狭い回廊の中に閉じ込められた状態となり、多くの人々が窒息死した」(エジプト・サッカー暴動 – Wikipedia)といいます。

疑問の多い事件の真相は?

ところが、この事件少なくとも日本語メディアでくわしい報道がないので、よくわからない点が多いのです。

負けたホームチームが腹いせに勝ったアウェーチームを襲うという事件は、めずらしくありません(それでも死人が出る事件はめずらしい)。しかし、このときはホームのアル=マスリーが勝っているんです。しかも逆転勝ち。サポーターの精神状態として、負けたアル=アハリーの連中をこの際やっつけてやろうかといことにはなりにくいものだと思います。だって宿敵に勝って気分がいいんはずなんですから。

さらに、報道によると、襲撃は試合直後、はかったように発生している。しかも大量の武器もスタジアム内に持ち込まれており(エジプトでも入場の際持ち物検査をしているはずだが)、配置された警官は襲撃を止めようとしなかったといいます。

こういったことから、アル=アハリーの熱狂的なサポーター集団「ウルトラス」が前年のムバラク政権打倒デモで大きな役割を果たしたことと関連付けて、ウルトラスに復讐するために、治安当局やムバラク支持勢力が、アル=マスリーのサポーター集団との日頃の対立関係を利用して、事前に周到に準備した襲撃事件だと指摘されることが多いようです。

ただし、今回紹介する記事では、政治的背景については一切言及しておらず、この辺りの事情はわかりません。

エジプト・リーグは中止され、その後、無観客での試合開催で再開されました。一時観客の入場が許可されましたが、許可初日に再び大規模な暴動事件が起こってしまったため、今も無観客試合は続いているはずです(エジプトでサポーターと警官隊が衝突 22人死亡)。

裁判の流れ

さて、今回の記事、判決内容を述べた短いもので、文章構造もシンプルなもの。でも、苦労しました。エジプトの司法制度についてはまったく知らないことが大きな理由です。とくに刑罰についてどう日本語にしたものかわかりませんでした。下の翻訳文の中に、「重懲役」という聞き慣れない単語がありますが、きっと単なる懲役刑より重い懲役のことなのではないかなあと推測し、当てた言葉です。「重懲役」という刑罰自体、日本の旧刑法にもあるにはあるようですが。

記事本文がややこしいので、この裁判の流れを補足しておきます。

事件を捜査した検察は、犯行に加わった観客と、暴動を制御しなかった警備担当者らを起訴、ポートサイドの刑事裁判所(重罪裁判所という訳もあり)で判決が出た後、被告らは破棄院(最高裁に相当。エジプトは2審制か)に上訴。破棄院では下級審に差し戻す決定を出す。下級裁判所(ポートサイドの刑事裁判所だと思われる)での再審では再び有罪判決が出る。被告らは再び破棄院に上訴、それを受け破棄院が言い渡した判決というのが、今回紹介する記事というわけです。

エジプトの裁判制度について調べたわけではありませんが、記事を読み解くとそういう流れになります。

いつもに増して、あれこれ誤訳があるかもしれません。先回りしておことわりしておきます。


元記事URL:
http://www.ahram.org.eg/NewsQ/580043.aspx

掲載紙:アルアハラーム
掲載日:2017年2月21日
執筆者:サミーラ・アリー・イヤード

(小見出しは訳者によるもの)

ポートサイドの惨劇 死刑判決が確定 最高裁

 

写真 http://www.ahram.org.eg/NewsQ/580043.aspx より

破棄院(訳注:日本の最高裁に相当)は開廷(同裁判所副長官のリダー裁判長)し、ポートサイド・スタジアム虐殺事件で、被告10人を絞首刑とする最終の確定判決を言い渡した。同事件では、2012年2月初めに行われたアル=アハリーとアル・マスリー(ポートサイド)とのサッカーの試合での暴力行為により、死者72人、負傷者254人にのぼる犠牲者を出した。

判決は残り41人の被告に対する(下級審での)有罪判決も支持。裁判所は、事件発生当時のポートサイドの治安責任者だったイサーム・アッディーン・サマク少将を含む11被告の上訴を棄却、9被告に対しては懲役刑を重懲役刑に変更する判決を言い渡した。残りの被告の上訴は却下した。

(訳注:1審の)ポートサイドの刑事裁判所(サブハー・アブドゥル・マジード裁判長)は被告に対し、様々な量刑の有罪判決を言い渡した。被告らはこれらの判決を不服として破棄院に上訴。破棄院は下級審に差し戻し、裁判のやり直しを命じる決定を出した。2015年6月、下級審は再審(ムハンマド・アル=サイード裁判長)で次のような判決を言い渡した。

逃亡中ひとりを含む11被告に対して絞首刑、10被告に対し重懲役15年、14被告に対し重懲役10年(うち出廷した者9人、欠席した者5人)、11被告に対し懲役5年、5被告(事件発生当時のポートサイドの治安責任者のイサーム・アッディーン・サマク少将含む)に対し懲役5年、1被告に対し懲役1年、21被告に対し無罪。

これに対し、51被告が再度上訴したところ、破棄院は冒頭の判決を言い渡した。

用意周到な計画と治安部隊の傍観

検察は、被告らを事前に準備された計画殺人及び殺人未遂の罪で起訴していた。被告らは、「ウルトラス」と呼ばれるアル=アハリークラブのサポーターとの過去のいざこざに報復し、彼らに対し力を誇示するため、サポーターを殺害する計画を実行した。被告らは、ウルトラスを襲撃するため、様々な種類の刃物や爆竹、投石用の石片、その他凶器を準備して目的を果たそうとした。被告らは、ウルトラスがやってくることを事前に確認し、スタジアムで彼らを待ち構えていた。

捜査結果によると、被告らは、試合終了のホイッスルが鳴ると同時に、アル=アハリーサポーター側の観客席に向かい、彼らのもとに到達するや否や、先述の武器や凶器で殴りかかった。また、殺害する目的で、被害者の何人かを観客席最上部から投げ飛ばし、爆竹を投げつけながら彼らを出口に通じる階段や通路に追い詰めた。

また、検察は、複数の警察官についても、彼らが憲法や法律で課せられた秩序や公共の安全を維持する義務の履行を怠ったとして起訴している。

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