BBCアラビア語版が2017年3月30日に配信した、シリアサッカーの様々な断面についての記事(سوريا: كرة القدم على خط النار)の4回目。最終回です。
今年(2017年)6月7日、東京で日本対シリアの親善試合が行われました(1対1の引き分け)。この記事の翻訳もその日までに終えるつもりでいたのですが、間に合わず。その後も日々のあれこれにかまけてずっと延び延びになってしまいました。
元記事の読了自体、もうずっと前に終えていたのですが、それを日本語に置き換える作業というのは、また別の作業です。頭では理解していても日本語に表すとなると同じくらい時間がかかりますね。
ワールドカップ予選も中休みとなってしまい、なんか完全にタイミングを逸した感じです。当初は、5回に分けて投稿するつもりでいましたが、今さらだし惜しみしても仕方がないので、2回分を掲載しています。なので、かなり長め文章となりました。
本文中に、シリアが1994年のアジアユース選手権で日本を破り優勝した時のことが出てきます。シリアがユース年代のアジアチャンピオンになったことがあるなんて、この記事で初めて知り、驚かされました。当時の日本代表のメンバーはというと、森岡隆三、松田直樹、田中誠、中田英寿といったその後日本のフル代表で活躍することになる選手がいたようです。(U-20サッカー日本代表 – Wikipedia)
追記 1994年のアジアユース選手権でシリアが優勝したことを初めて知ったと書きましたが、これは事実ではなく、単にぼくが記憶を失っていたに過ぎませんでした。このブログで、ハイサム・クッチュというシリアのジハードというクラブに所属したストライカーに関する記事を紹介したことがあります。そのなかで、ハイサムを擁するシリアがアジアチャンピオンになったと、自分で書いていました(ハイサム・クッチュとジハード | 中東 フットボールと人びと)。
元記事URL:
掲載紙:BBCアラビア語版
掲載日:2017年3月30日
(小見出しの一部は訳者によるもの。また、本文中のカッコ内の*印は訳注)
シリア:サッカー最前線(4)
サッカーの世界で最も困難な仕事
クタイバ・リファーイーは、不安にかられている。何週間も前から、彼はウズベキスタンとの決戦をひかえ、シリア代表チームとの親善試合の実施の交渉のため急ぎアポイントを取ろうとしているのだが…。
シリアサッカー連盟事務局長であるクタイバ・リファーイーの言葉によると、彼は世界のサッカー界の中で最も困難な仕事を担っていると言う。国際社会のほとんどの国から排斥されているとみなされている国の代表として、親善試合をアレンジするのは困難な仕事なのだ。
リファーイーはシリアサッカー連盟の本部事務所で、わたしたちに対し、様々な国が行った言い訳(*シリア代表と友好的に試合をすることを断るための)を数え上げた。シリアと対戦の意向を示してきたのはごくわずかの代表チームだった。連盟本部は爆撃にあっており、リファーイーの執務室の窓の一つは爆撃により割られたままの状態だった。
「われわれが対戦を打診したいずれの国も、われわれと試合をすることがかないませんでした。イラク代表とはテヘランで試合をする用意ができていたのですが、スケジュールの調整がつきませんでした。こういったことは、この6年もの間、われわれが常に直面していることなんです」と話す。
また同様に、とくに安全面の理由から、シリアには国内で試合を開催する能力はないとみなされているため、シリアは、ワールドカップ予選の(*シリアのホーム扱いの)試合会場を確保することの難しさという別の障害も抱えている。
しかし、中国のラスベガスとして知られるマカオとの間で締結していた試合開催の合意が破棄された後、ぎりぎりになってマレーシアサッカー連盟が、シリア代表のホームゲーム扱いの試合のアレンジを引き受けることに同意した。
マカオは、シリアがワールドカップ予選の試合をマカオで開催することに対して、15万ドルをシリア側に支払うことになっていた。おそらく、マカオ側の狙いは、シリアと同じグループに中国と韓国が入っていることにあったと思われる。両国との試合では、大勢の観客、ファンの注目を浴び、マカオのホテルやナイトクラブが潤うことになるからである。
ところが、シリアに課せられている経済制裁は、シリアに資金を投与することを禁じている。シリアに金を支払うというマカオ当局の計画は批判を呼び、このアイデアは完全に断念せざるを得なかった。ただし、計画をキャンセルした公式の理由は、「安全上の理由のため」とされている。
シリアサッカー連盟としては、経済制裁を受ける中で、国際サッカー連盟(FIFA)やアジアサッカー連盟(AFC)からの直接の資金提供だけでは十分ではない。シリアサッカー連盟は、職員の給料をやっとのことで支払っている状況なのである。
そこで、AFCは、ワールドカップ最終予選を行うためシリア代表に対し、旅費、滞在費などを、200万ドルに上る積立金から負担することで合意でした。シリアは、ホームゲームを開催するため、シリアから1万2000キロ以上離れた東南アジアへの移動を含めホームゲームを開催するためこれらの資金を得ることができた。
サッカーで真実のシリアを
だが、サッカーには資金面や政治的なこと以上の意味がある。
クタイバ・リファーイーは「私たちは、サッカーを通して国民を支援するよう最大限の努力をしています」と話す。
シリアサッカー連盟本部の彼の執務室のすぐ近くに、同連盟幹部の一人ファーディ・ダッバースのオフィスがある。われわれが政治や戦争、スポーツなどについてダッバースと話し合っているとき、彼は「サッカーはこれらの問題と密接に関連しているのです」と、密かに告白した。
「代表チームが試合をする際、試合前、必ず国歌が演奏されます。本当のところ、サッカーは政治において最も重要なんです。サッカーは、シリアに関する真実の姿を映し出すからです。戦争にもかかわらず、シリアは良い状態にあることを明らかにしてくれます」
そしてダッバースはこう続ける。「政治とサッカーとは切り離せません。われわれは国家を代表していますし、シリア代表は、シリアのあらゆる階層、あらゆる地域を体現しているのです」
だが、政治がサッカーの世界において占める場所はないというのがFIFAの立場である。FIFAがシリアに対し、国際試合を中立地で開催するよう裁定しているのはこのためである。
このような困難な環境に置かれている中で、シリア代表は、中国戦、韓国戦(そしてウズベキスタン戦においても)で、好成績を残しているのだ。
1994年の歓喜
シリア代表のアシスタントコーチ、ターリク・ジャッバーンは祖国への愛情を抱いて今の仕事に携わっているという。そのことには疑いがない。とくに、彼の報酬が月100ドルにしかならないと知らされたあとではなおさらだ。
ジャッバーンは、シリアサッカー史上最高の選手の一人であるにもかかわらず、この微々たる報酬額を受け入れている。彼はダマスカスのジャイシュというクラブでサッカー人生を過ごした。国内リーグで6回、カップ戦でも5回タイトルを獲得。また、代表として国際試合に約100試合出場している。
最近の代表チーム状況について、首都ダマスカス郊外にある彼の自宅で話してくれた。家には妻と4人の娘たちもいた。娘たちは、午後の間ずっとケーキを焼いて私たちを歓迎してくれた。一家のあるじは、ワールドカップ本大会への出場権をシリアが獲得したとき、私たちがもう一度シリアに戻ってきてほしいと語った。
彼らの暮らしは簡単ではない。他のシリア人と同様、停電を含む戦争がもたらす不便と付き合って生活していかなければならないからだ。停電は日常的に発生しており、電力を節約するため、町の通りは漆黒の闇に包まれている。なのでジャッバーンは重要な試合を視聴するためにバッテリーで動く受像機を使っている。
「私たちの前には困難だらけですが、しかしいつも楽観的であろうとしています」と話す。
彼は今、代表選手たちの生涯において、最も重要となる今後数試合の準備に追われている。自分のこれまでの様々な経験がその助けになればと願っている。
ターリク・ジャッバーンは、1994年、決勝戦で日本を2対1で撃破して、アジアユース選手権で優勝した時の代表メンバーの一人である。ジャッバーンは、優勝カップとともにダマスカスに帰ってきた時の、サポーターたちの熱狂ぶりについて誇らしげに話す。
「もうそれは本当に絶対忘れられない出来事です」
ジャッバーンは決勝戦の前に隣人と交わした約束を果たした(*おそらく必ず勝つぞといった約束だと思う)。そして、彼の両親が住んでいた住居、12階の天井裏にそのときのメダルを保管した。
ジャッバーンはこれまで彼が獲得したメダルやトロフィー類を隠している。というのも、盗難に遭うこと、とくに彼が所有する最も価値のあるこのときのメダルが盗まれることを恐れているからだ。なので、彼が私たちに見せるため、そのメダルを取り出すまで、娘のジョリーですらそれを初めて目にしたくらいだった。
ジャッバーンは、現在のシリア代表選手たちが、自分たちが1994年に味わったような勝利の味を味わってほしいと言う。
「われわれは自分たちにできることをするまでです。初戦(*2017年3月23日のウズベキスタン戦)が終われば、ワールドカップ出場という奇跡を遂げられるかどうか、わかると思います」
選手が背負うもの
一方、シリアのファンたちが奇跡の実現の期待を寄せる代表チームのメンバーたちは、彼らの両肩にのしかかる大きな責任を感じている。
オマル・ミーダーニー、22歳以下の選手なのだが、彼は、シリア代表のディフェンスラインの統率に関して大きな不安を感じている。
ダマスカスのワフダ・クラブでプレーするミーダーニーはシリア代表として17試合出場し、1ゴールを記録している。最近のシリア代表があげた好成績の主要な要因として、ディフェンスラインにいる彼の存在が大きいとみられている。
世界の様々な国の選手たちは、ファンたちが自分たちに抱く期待が重すぎると、不平を漏らす。だが、シリアでは、戦争で疲れ果てている国民に、少しでも休息を与える責任を背負っている。
ミーダーニーは、「国民は苦しみの生活を送っているにもかかわらず、今もぼくたちのことを信じてくれていますし、いつも支えてくれています。だから、ぼくたちができる唯一のことは、わずかの時間でも彼らに幸せな気持ちになってもらうことなんです。アッラーにぼくらの力になってくださるようお願いしています」と話す。
そしてこう続ける。「戦争前は、サッカーは多くの点で最良のものでした。ぼくたち選手は幸福でした。ぼくたちは二つのこと、サッカーと勉強のことだけに集中していればよかった。今はというと、ぼくたちが関心を向ける唯一のことは、かつての状態に国が復興することです」
しかし、現在、それは不可能なことである。クタイバもジャッバーンもミーダーニーも、それぞれの仕事をすること以外、できることはない。
マレーシア
シリア代表の選手たちは、心地よい気候の春のシリアを離れ、多雨多湿の熱帯のマレーシアにやって来た。マレーシアは、昨年(*2016年)9月以来、シリア代表の本拠地となり、ここでホームゲームを開催している。
チームはウズベキスタン代表との試合が行われる1週間前にマレーシア入りしていた。長旅や国内チームとの練習試合による疲労、そして蒸し暑い気候に順応することを考えてのことだ。
シリア代表は、首都クアラルンプールから1時間離れたスレバン町にあるホテルに滞在した。ホテルのスタッフとはよい関係を築くことができた。コックはチームの食事に関する要望に応じてくれたし、選手やスタッフは、その日のトレーニングを終えると、各自の部屋に向かう前に、ホテルの専用の一角でくつろぐことができた。
代表選手たちは、この臨時の本拠地を自分たちのための利用しなければならないと思っていた。彼らは、すでに試合が開催されるトゥアンク・アブドゥルラフマン・スタジアム周辺の環境や粘土質のピッチ状況についても研究ずみだった。
実際、このスタジアムでシリアと対戦した2チーム(イランと韓国)は、いずれもシリアのゴールを割ることができなかった(*2016年9月6日の韓国戦、同年11月15日のイラン戦はともに0ー0のスコアレスドロー)。
しかし、今回のマレーシアでの試合は事情が異なる。というのも、スレバン町の地元当局は、すでに国内大会の予定が入っているとの理由で、トゥアンク・アブドゥルラフマン・スタジアムの使用を認めない旨決定したからだ。そのため、スレンバンから南へ60キロ離れたマラッカで試合が開催されるよう調整が行われた。
このため、チームは、決戦のキックオフ72時間前に南へ向けてホテルを発つことを余儀なくされた。とはいえ、6年におよぶ戦争の間、サッカーのために機敏に対処することは、シリア人にとっては慣れっこになっていることだ。
前線のレフリーとピッチの兵士
わたしたちがダマスカスに滞在していたとき、毎週金曜日になると武器を脇に置き、代わりにホイッスルを受け取るという前線の一兵士の話を聞いた。
この兵士は、国内のサッカーの試合で審判を務めるために、軍服を黒いレフリーのユニホームに着替えて、首都に戻る。そして試合が終わると彼は再び軍服に着替え、武器を手に取り、戦闘の前線に戻っていくのだった。
こういったエピソードは、シリアにおけるサッカーに対する熱情ぶりが、ヨーロッパや南米のそれにも劣らないことを裏付けている。
同様に、このレフリー/軍人のエピソードは、戦争が、シリア国民の日常生活と切り離せないものになってしまっていることをも示している。軍隊に関わる人たちだけではない。サッカーについて言うと、その現状は他の分野の状況と変わらない。サッカーは大勢の敵対勢力を放逐するという政府の目的に合致するものでなければならない。
そのため、結果として、ダマスカスの人びとの生活を、息苦しいものにしている。あらゆる場所に展開されている検問所や、検問運動(*何を意味するか不明)、交通渋滞、アサド体制が人びとに植え付けた疑心暗鬼の感情などによるものだ。さらには、日常的な停電、水不足、また、ビザの規制により、人びとが旅行の際に被る困難なども付け加えなければならない。
なので、大勢の人たちは、サッカーに興じたり、サッカーの試合を観戦することが息抜きになっているのである。
プロサッカーについてみると、多くの選手たちにとって仕事を確保する場になっている。シリアの国内サッカーは危機的な状況にあるが、選手たちは満足している。というのも、彼らは(*選手でいる限り)痛ましく、血みどろの戦争に加わることを強制されないからである。
だがシリア国内のチームに所属する選手たちは、挫折も感じている。彼らは他の選手たちのように、夢を実現することができないからだ。しかし、彼らは現状に満足している。
シリアを出国することができる選手たちは、真の意味での自由を享受していない。異郷の地で個人的な意味での安全を享受しているかもしれないが、彼らの家族はまだシリア国内にいるのである。
彼らは、政治的な問題に関する議論をちゅうちょしなければならないことを、長く続いているアサド体制の中で学んでいる。そしてこの6年間、1100万人ものシリア国民は、自らの家から離れることを余儀なくされている。そういった人たちの多くは、親戚や友人を頼って、政権側が支配する地域やザアタリキャンプのような難民キャンプに逃げ込んでいるのだ。
だが、シリアを離れて新しい生活を模索する人の多くは、より危険を冒すことを選択し、ボロボロの船に乗り込み、難民受け入れと拒否の間で分裂するヨーロッパ大陸に向かった。
体制を支持、もしくは反対しているにかかわらず、全てのシリア人を結集する共通の要素、それは祖国への愛情である。この愛情というのものは、親せきを亡くしたり、あるいは、命を守るための住み慣れた家を離れざるを得なかったような人びとをも巻き込む。
シリア人はみんなよりよい未来を待ち望んでいるのだ。
アサド政権の勝利
ある一人の選手は以前、政府に対して否定的な見解を表明したことで、プレーの場を奪われたが、彼は代表チームに復帰することを決心した。
選手の名前は、フィラース・ハティーブ。彼は間違いなくシリア最高の選手とみなされている。2012年、シリアの反体制派支持を表明したが、それ以来代表に加わることはなかった。
しかし、今、代表監督の仲介により、代表チームに合流、シリアに幸福をもたらすため自らの役割を果たすべく、準備を行っている。
戦争の悲惨さの中にいるにもかかわらず、シリアがワールドカップに出場する可能性に関するニュースは、人びとに歓喜をもたらしている。もしチームが来年の夏のロシア行きの切符を勝ち取ると、それは、1994年のアジアユースで優勝したとき以上の最高の未来を期待させることになる。
代表チームのアシスタントコーチ、ターリク・ジャッバーンが話しているように、もし、サッカー連盟の危機的な財政状況を考慮するなら、シリアの選手たちがめざしていることの重要性は、単にワールドカップ本大会に出場することにとどまらない。それは真の奇跡の実現を意味することになる。
このサッカーの冒険の結果がどうなろうとも、それはシリア政府にとって宣伝戦での勝利をもたらすことになろう。またそれは全般的に見て、シリア国民にとって、希望と誇りの源となり、(*日々の苦しみを)忘れさせてくれるものになるであろう。
選手たちは、マラッカでのウズベキスタン戦に勝利したが、次の韓国戦では敗れた。次戦はホームでの中国戦が予定されている(*6月13日、シリアの「ホーム」マレーシアで行われた中国戦ではシリアが試合終了間際のゴールで追いつき2対2の引き分けに終わる)。
おそらくシリアが本大会出場権を勝ち取るのは難しいであろう。だが、とくに彼らが克服しなければならないことの困難さを考えると、今のシリア代表の躍進は賞賛に値するものである。