体制・反体制の狭間で生き抜くクラブ

シリア・クルド

今回は、シリアのクルド人地域に本拠に置くユニークなクラブ、ジハードSCに関する記事です。

シリア国内のトップリーグは、シリア・プレミアリーグと呼ばれるものです。同国にはその下に、1部から3部リーグまであります。ジハードSCは現在1部リーグに属するチーム。シリア北東部のトルコ、イラクの国境とも近いカーミシュリーという町をホームとしています。

シリア北東部は現在、おおむね「北・東シリア自治局」というアメリカの支援を受けるクルド人勢力が主導する機関が統治しています(カーミシュリーなどはシリア政府軍との共同統治が行われている)。クルド人勢力は、一応は反政府系と色分けされていますが、シリア軍と全面的な衝突はなく、逆に時には共同作戦をしたりしています。

シリアの国内リーグには、そんな地域から参戦するチームがいくつもあり、ジハードもその一つ。政治的な圧力にさらされながらも、したたかに生き抜いています。ジハードは、僕がもう10年以上前にシリアを訪れた時から気になっているチームでして、いつか現地のスタジアムで生観戦してみたいと願っています。


シリアで独自の立ち位置を取るジハードSC

掲載紙:イナブ・バラディ
掲載日:2020年4月26日
URLhttps://www.enabbaladi.net/archives/379506

(*は訳注)

シリア北東部のカーミシュリー市を代表するクラブ、ジハードSCは、シリアサッカー界において独自の存在感を示している。同地域に居住する様々な民族からなるクラブのサポーターと選手たちの多様性が生み出されているからだ。

現在、「自治局」(*クルド民族主義勢力が主導する「北・東シリア自治局」)が統治するカーミシュリー市には、クルド人、アラブ人、アッシリア人が暮らしているが、地元クラブ「ジハード」を応援することがこれら様々な民族の多様性をまとめているのだ。

クラブは、1971年にラーフィダイニ(*アッシリア人のクラブ)、カーミシュリー、アラビーのクラブが統合して現在の名称となった。

作家のサリーム・マタルは著書『アイデンティティ論争』のなかで、ラーフィダイニSCにとって、ジハードSCへの統合は自然なことだったと指摘し、こう述べている。

「(*ジハードは)いくつも国際大会に参加したシリアで最初のスポーツクラブである」

このことは、「語られなかった物語」というウェブサイトでも強調されていることである。同サイトでは、(*ジハードが)バグダッドやエルサレム、モスルなどで開催されたスポーツ大会に参加している事実をあげている。

無冠

ジハードの元選手および元監督で、シリアサッカー界の名選手の一人、ムーサー・シャンマースが「テレビジョン・ハバル」というウェブサイトの取材に対し、ジハードは「北の悪魔」といったニックネームで呼ばれているわりには、リーグにしろカップ戦にしろ、これまで国内のいかなるタイトルも獲得したことがない、とコメントしている。

クラブが輩出したすぐれた選手の中には、シリアリーグで1999年、2001年の2回得点王を獲得した故ハイサム・クッジュや、カダフィ・アスマト、GKのサーミル・サイイド、ハサン・ジャージャーンらがいる。

たび重なる交通事故

ジハードは、シリアリーグにおいて移動中、6回以上交通事故に遭っている。1回目の事故は1986年、サウラトンネル(*ダマスカス?)で起こり、2回目は、1988年、ラッカとタッル・タムル間で起こっている。翌年にはホムスとハマ間で事故に遭遇、カラーマと対戦するために移動中でのことで、この事故でドライバーが死亡した。

1991年にはホムス・タルトゥース間で事故に遭い、5人が死亡している。監督のアブード・イスカンダル、ドライバーのフォルムズ・ムハンマド、GKのアブドゥルガンニー・ウトゥーカ、看護師のバイディーク・ドゥーヌー、クラブ幹部のサイード・フセインである。

2002年には、デリゾールから20キロ離れた遅延でチームを乗せた車の前輪が破裂した事故で、選手のハイサム・クッジュを喪っている。政府系の「マウキフ・リヤーディ」紙によると、このとき車は何度も回転したという。

体制側とのたたかい

クルド人地域を代表するクラブとして、また、体制側とクルド人勢力との抗争という事情から、ジハードSCはシリアのクラブチームの中では独自の状況に置かれている。

2004年、「カーミシュリーのインティファーダ」で呼ばれる事態が勃発したが、これは、(*試合開始前の)ジハードSCとフトゥーワSCのサポーターどうしのいさかいをきっかけにしたものだった。シリア当局は、市営スタジアム(*ジハードのホームスタジアム)を閉鎖するとともに、ジハードに対し、以後4試合のホームゲーム開催を禁止する制裁を科した。また、同地域のスポーツ活動を中断する決定も行った。チームはサポーターから遠く離れた地で試合を行うことになった、などと「人民意志党」の「カシオン」紙は報じている。

さらに、2017年になるまで、ジハードSCの会長にはクルド人が就任することが許されなかった。クラブの元幹部および選手たちは、これはクルド人の権利を侵害する差別だと不平を唱えた。元選手のカダフィ・アスマトは、クラブの元会長ファーイド・クッスが、他の選手には手続きを踏まえば認めているプロ契約を自分に対しては禁じていたと告発している。

また、ウェブサイト「イエティ・メディア」によると、シリア当局は2015年、クラブの所属選手クーラーン・ムハンマドを「義務的奉仕活動につくためとして」(*なんのことか不明)ダマスカス国際空港で逮捕した。ウェブサイト「クルド・ストレート」によると、翌2016年には同じく選手のムハンマド・フッジュを予防措置リストに記載されたことを理由に逮捕している。

コメント

  1. […] ファアード・クッス氏(*クラブの元会長の一人。別稿でもちょっとだけ名前が出ている)もこう断言する。 […]

タイトルとURLをコピーしました