ワールドカップのすべて

この記事の執筆者は、ジャーナリスト、作家で、パレスチナ人(レバノン国籍)です。「ハヤート」はアラビア語紙の高級紙として知られていますが、このコラムに関する限り、自慢話だけのつまらない内容です。タイトルもよくわからない。ただ、みんなサッカーが大好きだってことだけはわかります。

ぼく個人としては、1998年のフランスワールドカップの最後の出場権をかけたイランとオーストラリア戦のあっけにとられるような幕切れや、1974年の西ドイツワールドカップ決勝(記憶では日本で初めてのワールドカップの生放送がこの試合。小学生だったが真夜中ときどきボーとしながらも夢中になって観戦しました)の記憶などがよみがえり、懐かしい気持ちになりましたが。

元記事

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ワールドカップのすべて

アル=ハヤート 2014年7月13日
ジハード・ハーズィン

ジハード・ハーズィン(http://www.alhayat.com/Opinion/Jihad-El-Khazen/3558828/)

1998年のある日、私はダマスカスのイラン大使館にアーヤトゥッラー・ハサン・イフタリー大使を訪ねた。私はダマスカスで彼を取材することを熱望していた。彼は私に情報を出し惜しむことはなく、ヒズボラや喫緊の問題に関する私の質問に率直に答えてくれた。一人の大使館員が入室してきたとき、インタビューはまだ続いていたのだが、職員は、ワールとカップの最後の出場権をかけたイランとオーストラリアの試合が始まった、と告げた。

われわれは政治のことは政治家たちに任せることにした(訳注:政治情勢に関する議論を打ち切っテレビ観戦を始めたという意味)。オーストラリアが先制ゴールを決めると、大使はこう叫んだ。「アッラーよ、どうか弱きものとともにあれ、アッラーよ、どうか弱きものとともにあれ」
結局、試合はイランが2対1で勝ち(訳注:2対2の引き分けの誤り。ただし最後の出場権をかけたこのプレイオフは、ホーム&アウェー方式で行われ合計成績でイランがオーストラリアを上回った)、ワールドカップ出場を決めた。

アーヤトゥッラー・ハサン・イフタリーは歓喜で飛び上がり、ジュッバ(裾が長く広い民族衣装)を脱げ落ちそうになるまでつかんだ。彼は路地でサッカーに興じる子ども時代に戻ってしまったようだった。この年、イランは本大会から早々に敗退した。

サッカーは世界で最も人気のあるスポーツである。サッカーはアメリカには遅れて伝わったが、野球やバスケットボールといった伝統的なスポーツと競い合っている。しかし、アメリカ代表チームの好成績により人気は高まっていくことは間違いないだろう。アメリカは(2014年のブラジルでの)ワールドカップでゴールキーパー、ハワード・ティムの活躍でベスト16まで進出したのである。

本日、ドイツとアルゼンチンが優勝をかけて対戦する。私はドイツが勝つと予想している。大会を通してドイツのパフォーマンスは卓越したものがあった。ドイツ戦でブラジルは1対7という記録的な敗戦を喫した。ブラジルは過去、このような点差で崩壊し、打ち負かされたことは1度もなかった。

私は(準決勝で)オランダがアルゼンチンに勝っていたらよかったのにと思った。そうなれば、西ドイツ政府の招待で観戦した1974年大会決勝の再現となったのである。わたしはこの年の大会の準決勝と決勝に招かれ、ハンブルクやフランクフルト、そしてミュンヘンで最高に美しい試合を見ることができた。

私はその数週間前に結婚していたのだが、ワールドカップを生で観戦するチャンスなんて今後二度とないからと花嫁を説得した。しかし、西ドイツでは、妊娠している妻のことが心配で、人混みから守るために彼女の前に立たなければならなかった。

(1974年大会の決勝で)試合開始2分でオランダはPKで先制すると、ドイツもその後やはりPKで同点とし、さらに前半終了前にもう1点追加した。私は後半の間中、オランダが2点目を決めてくれないかと願い続けていた。それはオランダの勝利を願っていたからではない。延長戦となりあともう30分、両チームがプレーするのを見たかったからである。

今年のワールドカップは、快適なソファーの上で、清涼飲料水やナッツ類、果物に囲まれて観戦した。これはつまり、大会の試合を楽しみながら、心が落ち着いた状態で、夜を過ごすことになろうということである。というのは私はイギリスのテレビ局が放送する試合を見ることができるからである。一方、エジプト人やレバノン人の多くは今大会、ヘブライ語で試合を実況するイスラエルのテレビ局の放送を視聴することを余儀なくされている。アルジャジーラがワールドカップの視聴料を貧乏人には払うことができないまでに値上げしてしまったからである。

私はオリンピックを4回、生で観戦してきた。また、毎年ウィンブルドンでテニスの決勝、アスコットでの競馬のダービーを観戦している。だが、「ゴール」(サッカー)に匹敵するものはない。

私は「ハヤート」紙の発行人である、ハーリド・ブン・スルターン王子と一緒にベイルートで過ごした1994年夏のことを忘れられない。このとき、サウジアラビアは史上初めてワールドカップ本大会に出場した。サウジ対ベルギー戦で、ハーリド王子が所有するサウジのクラブチーム「シャバーブ」に所属するサイード・オワイラーンがゴールを決めたとき、われわれは王子とともにを中継するテレビの前に座っていた。オワイラーンはベルギーの選手を一人また一人でかわして、ピッチの4分の3以上を駆け抜け、ゴールを決めたのだ。

今年の大会では、われわれ(アラブ)はアルジェリア、とりわけゴールキーパーであるヒーロー、ラーイス・エンボリーという素晴らしい手本となるチームを持った。

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