「イスラーム国」と戦ったイラク代表選手 アリー・アドナーン

イラク
「マヤーディーン」のサイトより

数年前、ヨーロッパやアフリカのサッカー選手が、「イスラーム国」に加わり戦闘員となったというニュースは、何度か報じられたことがありましたが、逆に、「イスラーム国」と戦うために、スター選手の地位を捨て、祖国の軍隊に志願した選手もいたようです。現在、イラク代表としてもプレーするアリー・アドナーン・カーズィムがその一人です。

アリー・アドナーンはメジャーリーグサッカー(MLS:アメリカ、カナダのプロサッカーリーグ)のバンクーバー・ホワイトキャップスでプレーするDF(2021年7月で契約終了)。「アジアのガレス・ベイル」、「イラクのロベルト・カルロス」と評されている選手です。

イラク人初のセリエA選手

レバノンの放送局「マヤーディーン」が2021年7月4日に配信した記事(علي عدنان كاظم… نجم كرة عراقيّ ركل “داعش” | الميادين)によると、アリー・アドナーンは1993年12月、バグダッド生まれ。1970年代、80年代のイラクを代表するサッカー選手である父親と叔父を持っています。

国内やトルコのクラブを経て、ウディネーゼ、アタランタなどイタリア・セリエAでもプレー。イタリアのクラブ在籍当時は、ASローマやジョゼ・モウリーニョが監督をつとめていたチェルシーといったビッグクラブもアリー・アドナーン獲得を検討しているといった報道もあったそうです。

しかし、アリー・アドナーンという人間に魅力を伝える最も重要なエピソードは次のようなものです。

ボールを捨て武器を手に

選手として飛躍しつつあった時期にあたる2014年、それまで手にした地位や名誉や贅沢な暮らしをすべて捨て去り、テロ組織「ダーイシュ」(「イスラーム国」)と戦うためイラク軍に従軍することを志願したことである、と「マヤーディーン」は言っています。

この年の1月、「イスラーム国」はファルージャを支配下に置き、モスル(イラク北部の中心都市)に迫ろうとしていたときでした。

幼年期、青少年期をアメリカの占領下で送ったアリー・アドナーンは、これ以上「自分の愛するイラクが、テロ組織の略奪に遭い、人々が爆弾で殺され、虐殺される姿を、サッカーのこと以外に関心を抱かない傍観者のまま、黙って見ていることができなかった」。

そして、躊躇することなく、「ボールを捨て武器を取った。ボールを蹴る代わりに、敵に弾丸を撃ち込み、ピッチ上を縦横に駆け回る代わりに、砂漠の中を疲れたり不安を口にすることなく、匍匐(ほふく)前進したのだった。彼にとってイラクは何よりも大切な存在であり、その祖国の義務を果たすのは最優先すべきことなのである」と「マヤーディーン」の記事は言っています。

「あなたはすばらしいサッカー選手です。なのに今、『イスラーム国』との戦いに赴こうとしている。何があなたをそうさせているのですか」

当時、あるテレビ番組のインタビューでそう問われたアリー・アドナーンは、こう答えたと言います。

「ぼくは家族やきょうだいみんなで、イラク軍のために何かしたいと思っているからです。「イスラーム国」と戦う準備はできています。イラク軍が彼らを打ち破る日は近いと思っています」

(下の写真:MLSのCFモントリオール戦でプレーするバンクーバー・ホワイトキャップスのアリー・アドナーン(左)。2020年9月16日)
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反政府デモにも姿を見せる

この記事を読んだとき、なんかよく理解できませんでした。というのも、「イスラーム国」がイラクやシリアで台頭していた時期というのは、アリー・アドナーンは20歳代前半だったはず。それくらいの年齢のイラク人男性なら軍隊に徴兵されて当然だろうに、なぜそれを仰々しく称えるんだろうかと。

ところが、調べてみると、とても意外なことなんですが、イラクには徴兵制度はないんですね。「18歳~40歳までの志願制」だそうです(イラク基礎データ|外務省)。

つまり、アリー・アドナーンは、比喩ではなく、文字通りの意味で、成功した自らのサッカー人生をあえて捨て、「イスラーム国」との戦闘に参加していたということです。軍隊でどんな任務についていたのかの説明は、記事にはありませんが、しかし、命を落とす可能性は十分あったはずで、一時の気まぐれや、売名でできることではなかったはずだと思います。

とは言っても、アリー・アドナーンが現在のイラク政府に忠誠を誓っているというわけでは全然ありません。2019年10月から11月にかけて、行政サービスの削減や体制内の腐敗に対し、イラク国内で大規模な反政府抗議運動が起こり、騒然となったことがありました。

このとき、イラクの少なくないサッカー選手や指導者たちもデモ隊に合流したり、支持を表明しました。アリー・アドナーンも先頭に立って連日、運動の中心地バグダッドのタハリール広場に駆けつけ、デモ参加者に食料を配り、自身のSNSを通じて運動を励ましていたのです。

今回紹介した「マヤーディーン」では言及されていませんが、この時の行動もまた、この選手の魅力を表すエピソードだと思います。

残念ながらと言いますか、カタールW杯アジア最終予選では、日本はイラクとは別グループに入ったので、予選中、アリー・アドナーンやイラク代表のことが日本の主要メディアで大きく取り上げられる機会はほとんどないかもしれませんが、どんな活躍を見せてくれるか、注目していきたいと思っています。

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