クルドとサッカー(1)─ダルクルドがもたらす希望

中東地域以外
「フィルゴール」のウェブサイトより

クルド人は「国家を持たない最大の民族」などとよく言われます。故にといいますか、サッカーの世界でもクルド代表という国際的に認知されたチームもありません。ところが、スウェーデンには世界中のクルド人から熱い視線が注がれているクラブチームがあるようです。

今回紹介するのはクルド人とサッカーにまつわる話です。2019年の「フィルゴール」というエジプトのスポーツ専門のネットメディアに掲載されたルポルタージュ。ちょっと古いんですが興味深い内容です。長文なので3回に分けて大要をお伝えします。


 

クルドとサッカー──アイデンティティを体現する二つのクラブ

 

掲載紙:フィルゴール
掲載日:2019年10月16日
執筆者:イスラーム・アフマド
URLhttps://www.filgoal.com/articles/374133

(小見出しは訳者によるもの)

1970年の自治協定(*イラク政府とクルディスタン民主党の間で合意)によって画定されたイラク北部のクルディスタン地域は、東をイラン 、北をトルコ、西をシリアとその境界を接する。

だが協定合意以降も、クルド人たちは、中東地域およびイラク国内、そして近年はトルコ、シリアに広がる戦争によって苦しめられ各地へ流出することになっている。

未承認のクルディスタン代表

クルド人は、独立した国家、あるいは国際社会によって承認された統一された政治体制を持たない最大の民族だといわれる。それはクルディスタン代表チームについてもいえることだ。

クルディスタン地域の代表チーム(*クルディスタンサッカー協会が結成した代表チームがある)は、国際的に承認されたチームとはみなされておらず、FIFA非加盟連盟や国際的に承認されていない国家の代表チーム間で行われる大会に出場することで、満足しなければならないでいる。

クルド代表は、イラクのクルディスタン地域を代表するアルビル、ザーフォーの2クラブに所属する選手たちでおもに構成されている。このチームは過去に、国際的に承認されていない国家の代表チームによるVIVAワールドカップに出場、2012年の大会で優勝し、2009、2010年の大会でも準優勝を飾っている(*VIVAワールドカップはNF-Board(FIFA非加盟協会会議)が以前開催していた大会。ConIFA(独立サッカー連盟)が主催するConIFAワールドカップとは別の大会)。

このクルド代表とは別に、紛争が続く中東地域の外、また、トルコの国外には、クルドの大義を擁護したり、クルドの抵抗のスローガンを掲げ、大義を平和的に訴えるたたかっている人々がいる。

世界のクルド人から注目されるクラブ

自らの思いを代表する国家代表チームを持てないでいる中、スウェーデンリーグ2部(スーペルエッタン)に所属するあるクラブには、世界に4000万人いるクルド人の代表チームとして、クルド人選手たちが集まってきている。

「ダルクルドFF」というクラブだ。クラブは、スウェーデンリーグの各ディヴィジョンを駆け上がり、そして2018年、ついに目標としていたアルスヴェンスカン(同国内リーグのトップディヴィジョン)昇格を果たした。

スウェーデンのダーラナ県ボーレンゲ市。そこは16世紀に、のちのスウェーデン国王となるグスタフ1世がデンマークからの独立を求めた闘いの最初の一歩を踏み出した町である。異なった形ではあるが、歴史はこの町で再びくり返されているのだ。

サッカークラブ以上の存在

2004年、このホーレンゲでダルクルドFFは、9人のクルド人難民によって設立された。それから14年、クラブは国内トップリーグに昇格し、悲願を達成した。

ラマダーン・キージールはこのクルド人クラブの運営の中核的存在だ。発展のためクラブを牽引してきた一人である。彼は、自身がスウェーデンにたどり着いた日のことを今も覚えている。1989年11月26日のことだ。

「私の体はスウェーデンにありますが、私の考えること、夢見ることは祖国に置いてきたままなのです。というのは、私は自分の意思でこの国にやってきたとは感じることができないからです。私の家族はそのことでいまだ悩んでいます。帰郷することができないからです」

スウェーデンにやってきて15年後、キージールはダルクルドを立ち上げた。

「この社会的プロジェクトは、一つのサッカークラブの創設以上の意義を生み出したアイデアです。われわれはクラブで、互いにスウェーデンにやってくるまでの道程について語り合い、安全な暮らし、恐怖に覚えることなく眠れることについて話し合いました。この国来る前までは、われわれは、恐怖を感じることなく眠れることがどういうものか知らなかったのです。四六時中、拘束されたり、発砲の危険に身を晒されていましたから」

解雇された選手とともに

キージールは続ける。

「われわれはクルド人としてあるいは親として、社会に対してできる多くのことをやろうと考えました」

キージールによると、2004年、「IKブラゲ」という地元ボーレンゲの最大クラブの若手選手(*おそらくみんなクルド系の選手だと思われる)が、懲戒処分により集団解雇されるという出来事があった。

この一見残念な出来事が、これらの選手たちとともに自前のクラブを立ち上げようというアイデアに火をつけることとなった。

2004年10月、ダルクルドは、IKブラゲから解雇された選手たちを中心としたメンバーで、国内リーグの最下部にあたる8部(ディヴィジョン6)からチームとしてのたたかいをスタートさせた。

キージールはイギリス紙「ガーディアン」の取材にこう話している。

「私たちは、(*IKブラゲから解雇された)彼らを支えたかったし、彼らに対して関心を持っているということを示したかったんです。私たちのクラブには運営の原則があります。たとえ6歳の子どもでも、たとえクラブの会長であっても、お互い議論し合い、互いを尊重するということです。私たちは家族なんです」

ユニホームの胸にはクルドの旗

通常、ディヴィジョン6に属するクラブの練習日は、週に1回か2回であるが、ダルクルドの選手たちは毎日2時間練習した。

クラブ結成から5シーズン連続で、チームは上位リーグへの昇格を果たし、グラウンドやその他の施設が整わない環境の中、3部(ディヴィジョン1)にまで到達する。

バシャラーウ・アジージーは12歳のとき、クルディスタンからセーデルテリエ(*スウェーデン中東部の都市)にやって来た。彼の父親は、クルド独立を掲げて戦うペシュメルガ(*イラクのクルド自治政府の軍事組織)の兵士である。

バシャラーウはほどなくして、シリアンスカFC(*セーデルテリエのクラブ)でプレーするようになるが、スタメンに定着することができず、ダルクルドに移籍する。

2011年、バシャラーウはチームのリーダーとなり、クルディスタンのテレビ局のインタビューに、チームの急速な成長について語っている。

「ユニホームの胸にはクルドの旗のエンブレムがあります。だからダルクルドはまるで祖国の代表チームのようなんです。…ぼくがこのチームにやって来たときは、まだクラブは今のように大きくはなっていませんでしたが、これまでクラブが成長するようともに努力してきました」

戦闘ではなくサッカーでたたかう

ダルクルドは急速に成長を遂げ、試合には5500人にもの大勢のファンが集まってくるようになっている。3部(ディヴィジョン1)で3シーズン過ごした末、2015年、クラブはスーペルエッタン(2部リーグ)昇格を決めする。

スーペルエッタンでの最初シーズンは、4位に終わったが、翌2017年シーズンは2位となり、ついにスウェーデンのトップリーグであるアルスヴェンスカンへの切符を手にした。

「クルドの旗がはためくのを一度見ると、また何度も見たくなるものですね。あらゆることが可能だということがわかったんですから。クルドの旗のもとでたたかうこと、これはぼくが選び取ったことです」

バシャラーウは続ける。

「ぼくの家族はクルド人の生活のためにたたかっています。父は長い間たたかってきました。今、ぼくはそれに続かないといけないと思っています。ただそれは、サッカーという方法でです。戦争ではありません。サッカーは、クルドの大義のためのたたかいにおける、ぼくなりの関わり方なのです」

(下の写真説明:ダルクルドのサポーター。2018年4月8日に行われたエステルスンドFK戦。ダルクルドが3−0で勝利し、アルスヴェンスカンでの初勝利をあげた。)
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難民の希望となるチーム

現在チームにはクルド系の選手が3人いるが、バシャラーウはその一人である。彼はここ数年、何度もクルディスタンに戻り、サッカーを通して、貧困や戦争で苦しむ人々を支援する活動を行っている。

この夏は、シリアとイラクの難民キャンプを訪れ、前シーズンにダルクルドの選手たちが使用したウェアやシューズなどを子どもたちに贈っている。

バシャラーウが以前、イラクのモスルにあるペシュメルガが運営する難民キャンプを訪れたとき、こんなことがあったという。

「兵士の何人かはぼくのことを知っていたんです。彼らはこう言ったんです。きみはここで何をしているんだって。ぼくはもうびっくりしました。この3年間、彼らはダルクルドでのぼくのプレーについてずっと見続けてくれていたんです。それで彼らはぼくにこう言うのです。こんなところにいないで、早く帰って、サッカーでまたおれたちのことを楽しませてくれよって。

彼らはダルクルドは自分たちのクラブだと感じていてくれているんです。彼らの言葉はぼくの思いをより強くしました。スウェーデンにいても忘れません。彼らはぼくらダルクルドの一部なんです」

(この記事続く)

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