クルドとサッカー(3)─サッカー人生を狂わされたデニス・ナキ

トルコ
「フィルゴール」のウェブサイトより

クルドとサッカーをテーマにした、エジプトのスポーツ専門サイト「フィルゴール」の記事紹介の最終回。今回はクルド民族紛争に関わる暴力によって、サッカー人生を狂わされた選手の話です。

「フィルゴール」の記事がちょっとわかりにくいので(ぼくの読解能力のせいとばかりではないと思うんですが)、あらかじめちょっと補足しておきます。

2008年、チェコで開催されたU-19欧州選手権で優勝したドイツ代表チームにはドイツ生まれのクルド系選手がいました。デニス・ナキ。1989年生まれでポジションはフォワードです。

バイヤー・レバークーゼンの下部組織から国内のいくつかのクラブを経て、2013年にトルコの首都アンカラをホームとするゲンチレルビルリイSKに移籍するのですが、これを機にナキのサッカー人生は大きく変わっていきます。

ナキはトルコのクラブに移籍する以前から、トルコ政府のクルド人に対する迫害を批判していました。そのことで、アンカラのクラブに移籍後、すぐにナキは民族憎悪に燃える男たちから暴行を受けることになります。ナキは暴行された後いったんはドイツに帰国します。しかし、トルコ軍とクルド民族主義勢力との抗争がいっそう激化していたさなかの2015年、あえてトルコリーグ、しかも3部のアメド・スポルへの移籍を選択したのでした。

アメド・スポルというクラブについては前回紹介しています。トルコ南東部ディヤルバクルをホームとし国内のクルド人を代表するような存在です。当時のトルコ社会には、ナキのこの選択を自分たちへの挑戦・挑発だと受け止めた人たちもいたと思われます。

アメドのアウェー戦では、ブーイングはすさまじいものがあったようで、また、サポーターたちはしばしばホームでもアウェーでも入場が禁じられることがありました。これについても前回紹介した通りです。

移籍2年後、ナキは、トルコ政府がテロ組織と認定しているクルディスタン労働者党(PKK)のテロ行為宣伝を拡散したとして、裁判にかけられ有罪判決を受けてしまいます。この辺りの事実関係が「フィルゴール」の記事では曖昧で、裁判の1審と2審判決や、裁判とは別に行われているトルコサッカー連盟の処分内容との区別がはっきりしません。ネットで検索しても、明確なことはわかりませんでした。

仕方ありませんので、かなり類推して書いています。間違っている可能性もありますので、お断りしておきます。原文自体が事実誤認しているような気もします。

有罪判決を受けたナキは所属クラブも失い、再びドイツに戻ることになります。しかし、ドイツでも安心した生活を送ることができず、今度は車を運転中、殺されかけるという尋常ではない事件にも見舞われてしまいます。

トルコやドイツでの迫害により、プレーへの意欲を失ったのか、あるいはどこからもオファーが届かなかったのか、ドイツ帰国後、ナキはどのクラブでもプレーすることなく、一線から身を引いているようです。

ドイツで長期間生活を送っている日本人女性が、「ドイツ片田舎から日々のあれこれ」というタイトルのブログを書かれています。ナキの生まれ故郷の近くにお住まいとのことで、ナキが今も地域のサッカー関係者からいかに尊敬されているか、銃撃事件や迫害についていかに衝撃を受けているかについて、触れられています。ぜひご一読ください。
ドイツ片田舎から日々のあれこれ エジルのドイツサッカ-連盟のトルコ人差別問題とクルド人問題の真実

ところが、最近、デニス・ナキに関するかなり残念なニュースが伝わってきています。2021年6月、麻薬密売や脅迫など犯罪組織に関わったとしてドイツ当局に逮捕、起訴され、裁判にかけられているんだそうです。


 

(以下の訳文は逐語訳ではなく概要です。原文の文意を変えない範囲で、適宜省略、補足を行っています)

クルドとサッカー──アイデンティティを体現する二つのクラブ

 

掲載紙:フィルゴール
掲載日:2019年10月16日
執筆者:イスラーム・アフマド
URLhttps://www.filgoal.com/articles/374133

(承前)

過激な民族主義集団に狙われる

デニス・ナキが、分離主義的宣伝活動を行ったとしてトルコで起訴され、2017年、裁判の結果トルコ国内において3年間サッカー活動を禁じる有罪判決を受けた。これにより、ナキは所属クラブを失った。

クルドに出自を持つナキは2018年(*有罪判決を受けた翌年)、生まれ故郷のドイツ・デューレン近くのハイウェイを車で走行中、何者かにより発砲された。政治的意図を持った銃撃ではないかとみられている。

ナキはドイチェ・ヴェレ(DW)に対し、「おそらく事件の背後にはトルコの民族主義グループがいると思います。それ以外考えられません。ぼくはまたしても標的にされました。彼らが今後何をしてくるのか、わかりません」と話している。

銃撃事件に関し、当時の複数の関係者は、ナキがトルコの治安機関の関与を疑っていると語っていた。だが、ナキの弁護人によると、それは誤りであり、ナキ自身は「おそらくドイツ国内で活動するトルコ人の過激な民族主義グループが事件の背後にいるのではないかと考えている」とのことだった。

ナキは、以前からトルコ国内のクルド人に対する政府の差別政策や、シリア北部のクルド人居住地域へのトルコ軍の侵攻について、厳しく批判していた。

(下の写真:ドイツのザンクト・パウリに所属していた頃のデニス・ナキ。サポーターからかなり愛されていた選手だったようです。2010年5月2日)
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政権批判のツイートで懲役18カ月

ナキは、ドイツが7回目の優勝を飾ったU19欧州選手権のドイツ代表の一人である。当時のチームメイトには、スヴェンとラースのベンダー兄弟、エメル・トプラク、マッツ・フンメルス、トニ・クロース、ジェローム・ボアテングのほか、現在ブンデスリーガで活躍する多くの選手がいる。

その後、バイヤー・レバークーゼン、ザンクト・パウリなどドイツの複数のクラブを経て、2013年、トルコのゲンチレルビルリイに移籍、その後(2015年)アメド・スポルにプレーの場を移した。

(*下級審で)有罪判決を受けた翌年、(*上級審で)ナキは、SNSを通じてクルド労働者党(PKK)の「テロ行為の宣伝」を拡散した罪で、懲役18カ月の執行猶予付き判決を言い渡された(*1審よりかなり減刑されたことになる)。

判決理由の「テロ行為の宣伝」の拡散というのは、PKKに対するトルコ軍の攻撃や、アナトリア半島南東部の7都市での外出禁止令に関して、ナキが行っていたツイートのことだった。各界の反対派からエルドアン大統領に対する批判を沸き起こっている中での判決だった。

ガザール・エイセル(*トルコのジャーナリスト)によると、「ナキに対する判決はかなり特異なもの」だったと言う。

(下の写真:U19ヨーロッパ選手権2008でイタリアを破り優勝したドイツ代表。中央がデニス・ナキ。2008年7月26日)
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「お前があの薄汚れたクルド人か」

ナキは2014年にも暴行されている。そのときの様子をBBCに語っている。

「彼らは神への誓いの言葉を述べた後、ぼくにこう尋ねたのです。お前があの薄汚いクルド人なのかって。そして、コバネはクソだ。シンジャールもクソだと言いました(*コバネ〔アラブビア語名アインアラブ〕はシリア北部のトルコとの国境付近の町。シンジャールはイラク北部のニーナワー県シンジャール郡の郡都。いずれも当時クルド民族主義勢力が「イスラーム国」との激闘をくり広げていた)。ぼくは彼らを落ち着かせようとしました。すると彼らの一人がいきなりぼくに殴りかかってきたのです。ぼくは身を守ろうとすると、彼らはどこかへ逃げていきました」

クルド人だから──それが、ゲンチレルビルリイに移籍して間もないナキが、攻撃の標的にされた理由だった。

「まさかドイツでこんなことが…」

2018年、(*トルコサッカー連盟は)30歳になったナキに対し、3年間の出場停止処分(*第2回目では「永久追放処分」と記されている)と罰金5万8000ユーロを課す処分を行った。彼は争いから身を置くためドイツに戻った。現在はどのクラブにも所属していない。

しかし、ドイツに帰国しても、なおナキは暴力にさらされることになる。前述の通り、彼は車を運転中に何者かにより銃撃されたのである。銃弾は、乗っていた車のフロントガラスに命中していた。

「ぼくは常にこういった事件が起こるのではないかと覚悟していましたが、まさかドイツでこんな目に遭うなんて」

ナキはDWの取材にそう答えている。

ナキは現在、選手としてはアメド・スポルやトルコのクルド人社会から身を引いているが、PKKの支持者としては知られた存在であり続けている。

トルコ軍とクルド人勢力との抗争は今も広がり続けているが、クルド人は少なくとも夢をあきらめていない。現在、あるいは未来において、サッカーはそれを成就する一助になるかもしれない。

(この記事終わり)

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