ぼくがアラビア語をわりと本気になって勉強しようと思い始めたのは、2009年の夏のことです。ハイサム・クッジュというひとりのシリア人サッカー選手のことを知ってからでした。
当時滞在中だったダマスカスから、シリア北部、北東部を旅行した時のことです。途中アレッポに寄り、以前から知り合いのシリア人と再会しました。このシリア人というのはクルド人だったんですが、サッカーのことが話題になった時、彼の口から「ハイサム・クッジュ」という選手の名前が出たのです。クルド人でシリアサッカー史上最高のストライカーの一人だ、しかし、数年前、不幸にも交通事故で死んでしまった、というのです。
ハイサムが所属していたクラブは、シリア北東部、イラク国境に近いカーミシュリー(クルド語ではカミシュロ)という小さな町をホームとする「ジハードSC」だとも聞きました。
ジハードSCの名前は以前から知っていました。2004年3月、カーミシュリーで地元チーム(クルド系)とデリゾール(アラブ系)のチームとのサッカーの試合が行われた際、スタジアムで両チームのサポーター同士が衝突、これが長く続く差別に不満を募らせていたクルド人たちによる民族的な争乱として爆発、市内に広がりました。のちに「カーミシュリーの春」と呼ばれる事件です。争乱の発端となった試合の地元チームというのがジハードSCでした。
そんなクラブに所属していたハイサム・クッジュとはどんな選手だろう。俄然興味がわき、アレッポの次に、カーミシュリーを訪れることにしました。シリアではこの時サッカーはオフシーズンだったのですが、とりあえず争乱の発端となったスタジアムだけは見学してやろうと思い足を運びました。スタジアムに着くとサブグラウンドで数人の若者が体を動かしていました。ハイサムとジハードについて何か知らないかと、声をかけると、なんと彼らはジハードSCの選手(リハビリトレーニング中だった)で、ハイサムのことを知りたいのなら家族を紹介するよと言ってくれたのです。
トレーニング後、案内されたのは、ハイサムのお兄さんのご家庭でした。シリアではさほど珍しくありませんが、突然の訪問にもかかわらず、歓待してくれました。
ただこの時、重要というか致命的な問題があって、当時のぼくのアラビア語は、観光旅行をする程度ならさほど不自由を感じなかったものの、話題がちょっと込み入ってしまうシーンでは、まだ全然使いものにならないレベルだったのです。
おまけに、ぼくが片言で知っているアラビア語もフスハーという新聞や公的な場で使用されるアラビア語なのです。シリア人で日常、このフスハーで会話している人はいません。みんなアーンミーヤというフスハーとはかなり異なる口語アラビア語を使っているのです。
さらに加えて、ハイサムのお兄さん、それに案内してくれたジハードの選手たちもみんなクルド人なわけで、ふだんはクルド語で暮らしています(もちろんこちらはクルド語の知識は皆無)。つまり、せっかくの面談の機会を得たというのにほとんど身のあるコミュニケーションが取れないという悲惨な状況に陥ってしまいました。お兄さんからハイサムについて書かれた新聞記事のスクラップを見せられても、見出しすら理解することができませんでした。ほんと涙が出たよ。
悔しいというか、情けないというか、申し訳ないというか。日本に戻ったら、今度こそ真剣にアラビア語を学び直そうと誓ったものでした。とはいえ、ありがちなことかと思いますが、帰国したらしたで、その時の誓いはいつ間にか曖昧になり、これまで通り怠惰な学習態度に戻ってしまうことになるのですが…。それでも2011年にシリアで戦争が始まった後、いよいよ本腰を入れてこの言葉に取り組むことになりました。
10月16日はハイサム・クッジュが事故死してまる20年になります。以下は、ぼくがフォローしているジャーナリストがこの日、Facebookに投稿した記事です。
ハイサム・クッジュ
われわれはあなたのことを決して忘れない
ジハードSCの至宝よ
故人は1976年3月23日、カーミシュリーで生まれた。1986年、ジハードに所属。1990年から93年まで同クラブの育成組織でプレーした。
1994年、シリア・ユースリーグ得点王。
1995年、シリア・ユースリーグ2度目の得点王。
1996年、徴兵期間中は、ダマスカスのシュルタ(警察組織が所有するクラブ)でプレー、同クラブで大活躍した。
ジハードに復帰後はトップチームでプレーし、1998年から2002年の間に2度得点王のタイトルを獲得した。在籍中、国内およびアラブのクラブから多くのオファーを受けたが、どれも実現せず、ジハードにとどまった。
故人は1999年から2002年にかけてシリア代表でもプレーした。
2002年10月16日、デリゾールでの試合に向かう途中に痛ましい交通事故に遭い亡くなった。
彼の葬儀はその才能に相応しいものとなった。カーミシュリーのファンたちは一人残らず参列し、墓地までの道を埋めた。
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