シリアにとっての大一番、迫る

今回もまた、シリア代表に関する記事の紹介です。

今月29日、埼玉スタジアム2002でワールドカップアジア2次予選の日本の最終戦、シリアとの試合が行われます。日本の最終予選進出は固いところだとは思いますが、この試合、昨年9月のアウェー(オマーン・マスカットで開催。治安状況を理由にこの予選でのシリアのホームゲームはすべてマスカットで開催されている)での初戦以上に難しいものになるかもしれません。

というのもアジア最終予選には2次予選の全8グループの各2位チームのうち、成績上位の4チームも進めるからです。現在勝点15のシリアは日本の16に続き第2位。他のグループの2位チームの勝点と比較すると、シリアの第2次予選通過の可能性は十分あります。ですので、初戦以上、彼らの気合が入った試合になるのではないか、と思うからです。

以下、FIFA.comのアラビア語版に掲載されたのは、シリア代表のミッドフィールダー、オサマ・オマリー選手のインタビュー記事です(同サイトの英語版にも掲載されている)。現在の戦争に、サッカー選手としてのキャリアが翻弄されてしまった選手の一人だということです。おそらく埼玉での試合にも、彼もメンバーに名を連ねることになるでしょうから、テレビ中継では注目して見てみたいと思います。シリア国民の期待を背負っての大一番です。


元記事URL:

http://ar.fifa.com/worldcup/news/y=2016/m=2/news=سوريا-معجزة-كرة-القدم-وسط-الالم-2765531.html

シリア、苦難のさなかの奇跡

FIFA.com
2016年2月17日

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(写真 سوريا، معجزة كرة القدم وسط الألم – FIFA.com より) 

国際的なサッカープレーヤーについて語るとき、こんな固定的なイメージが考えに浮かぶだろう。ビッグクラブに所属し、世界的に有名で、静かで、かつサポーターたちを驚嘆と熱狂に駆り立てるような理想的な生活を送っている選手だ、と。

彼らと同様に、代表チームのユニフォームを汗で濡らす選手たちがいる。だが、この選手たちが置かれている生活の状況はまったく違っている。彼らはピッチの上で、祖国のためにたたかう準備を整えているが、彼らの日々の暮らしは、困難で過酷だ。危険でさえある。彼らは国民の希望の実現だけでなく、人びとの辛酸をやわらげる責任をも背負っている。それは勝利による高揚というつかの間のものであったとしても。

俊足ミッドフィールダー、オサマ・オマリー(訳注=ウサーマ・ウーマリー)選手は、戦争という大海にひこ込まれたサッカー界の犠牲者の典型だと見られている。

幾多の苦難

痛ましい戦争の渦中にいるシリア民衆が悲惨な環境で暮らしていることを、あらゆる人たちが知っているのは間違いないだろう。戦争は2011年にぼっ発したが、シリアがそこから抜け出す兆しはない。紛争は人びとの日々の暮らしに影を投げかけ、人びとは日常のあらゆるものの欠乏に苦しんでいる。こういった状況に置かれているのはサッカー界や選手たちも例外ではない。

オサマ・オマリー選手はFIFA.comに対して次のことを明らかにしている。

「戦争が始まったとき、ぼくは19歳で徴兵の義務を果たしていました。徴兵は通常2年間なんですが、今日のような状況になったことを理由に、継続されていたんです。すでにぼくのチームメイトたちの多くは国外のクラブに移籍するためシリアを離れていました。しかし、ぼくにはそういったことはできなかったんです。(訳注=国外のクラブから)多くのオファーがあったんですが断るしかありませんでした。というのも、まず徴兵を終えなければならなかったからです」

もちろん、こういったことはオマリー選手のみに起こったことではない。すでにシリアのサッカー界をとりまく状況は完全に変わってしまっている。選手たちは目の前の環境にしたがう以外選択肢を持っていない。シリアのアルワフダ(訳注=ダマスカスをホームとする強豪で中東地域全体でも伝統あるクラブ)に所属するオマリー選手はこう話している。

「かつて、シリアの国内リーグは強力で、多様性に富んでいました。チームはあらゆる町に遠征に出かけていました。現在はというと、多くのチームは消滅し、大勢の選手が被害を被っています。オマル・フリービーン(訳注=イブン・ハーリー・オマル・フリービーン。同選手もオマリー選手と同様アルワフダに所属していた)、彼も国際的プレーヤーですが、紛争地域で暮らしています。ところが家族が家を離れることを余儀なくされてしまったんです。それで生きるためにダマスカスに移住した。そうして彼はドバイでプレーするため出国するチャンスをつかんだんです」
(訳注=おそらくフリービーン選手の家族はシリア国内の激戦地域に暮らしていたが、比較的治安が安定しているダマスカス中心部に避難したことで、同選手はひとまず安心して国外に移籍する決心を固めることができた、という意味か)

苦境をはねのけて

現在の状況に目を向けると、2018年のFIFAワールドカップ予選でのシリア代表の成績は奇跡のようなことだ。カシオン山の鷲軍団(訳注=シリア代表の愛称)は、アジア地区第2次予選で、サムライ・ブルー(訳注=日本代表の愛称)と同組という困難な第5組に入ったにもかかわらず、最終予選進出を目前にしている。シリアは現在、この3月に行われるカンボジアと日本との計2試合を残した段階で2位につけているのである。

この戦績は、シリアが試合を行う際の環境を考えると、それが持つ重要性が増してくる。すなわちアフガニスタン戦(昨年10月実施、シリアが5対2で勝利)でハットトリックを決めたオマリー選手はこう話している。

「ぼくらは試合のわずか2日前に会場に集まっただけなんです。そこにはキャンプもなければ他のものも何もなかった。選手はみんな各チームで準備を積んでいました。こういったことはシリアのホームゲームのときも同様に起こることだ思います。ぼくらはシリア国内で試合を開催することができないんですから」

より困難なことがある。オマリー選手は昨年9月のシンガポールとの試合に向かう際、代表チームが移動した長い道のりについて思い出しながら、次のように言う。

「シリア国内のクラブでプレーするぼくらは、ダマスカスで集合しなければなりません。それからバスでベイルートに向かうんです。そかから飛行機に乗ってカタールへと向かい、空路マレーシアに旅立ちました。マレーシアでこの期間、実現できた唯一の親善試合を行いました。その後でワールドカップ予選のためシンガポールに向かったんです。ほんと長い旅でした。だけどぼくらはそれでも2対1で勝ったんですよ!」

数々の障害は、オマリー選手と彼のチームの前進を止めることができなかった。それどころか彼らが置かれた状況は予選をたたかうにあたってのエネルギーの源泉となり、また同時に、チームの結束を高めているようだ。オマリー選手は次のように話し、このことについて説明している。

「当然、ぼくらはドレッシングルームで戦争や国民が日常的に味わっている悲しみについて話し合っています。個々の選手はそれぞれ特定の意見を持っています。しかし、最後には、いろんな主義主張は脇において、ぼくらは祖国とシリアの旗のもとにプレーしようという結論になるんです」

現実と夢の間

ピッチ上でのこの団結(これはシリアの他の様々な分野で必要としていることであるが)は、明確な様々な困難にもかかわらず、シリアがFIFAワールドカップに初出場するという夢が続くことを可能にしている。24歳のオマリー選手はサッカーへの情熱を持ち続けることを決意して、こう話す。

「現在の状況では、ぼくらは外国人コーチを呼ぶことも彼らが持つ最先端の知識から学ぶこともできません。ぼくらは今いる選手の能力を組み合わせる以外ありません。その能力というのはたたかう意識や激しさに加え、以前からシリアのサッカー界に備わっていたものです。ぼくらはみんな戦争が一刻も早く終わることを望んでいます。しかし、今は、ぼくらにできることをやるだけです」

勝利の実現し続けること以外、彼ら選手にできることはない。だが、シリアの民衆とともに彼らが経験したことは、オサマ・オマリー選手をより用心深く、慎重にしている。同選手は次にように話し、インタビューをしめくくった。

「ぼくらにはたたかう意識と能力がある。しかし、最終ラウンドで日本やイラン、オーストラリアといったチームに勝つためには、ぼくらには本質的な準備が必要です。この大きな任務の達成のために努力し、また、それができることを願っています」

彼は、ピッチでの成功が、何百万人という人びとに対する贈りものになることを十分認識している。

コメント

  1. […] 意見を持っています。しかし、最後には、いろんな主義主張は脇において、ぼくらは祖国とシリアの旗のもとにプレーしようという結論になるんです」(シリアにとっての大一番、迫る) […]

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