連盟で内紛勃発? シリアサッカーは復活するか(1)

シリア代表

今回紹介するのは、アジアカップでの落胆を受け、シリアサッカー界の問題点を改めて検討した内容の記事です。イナブ・バラディーという反体制派のネットメディアの記事で、かなり長文なので4回くらいに分けて掲載します。

本ブログは、サッカー関連の記事を通して中東の人々の暮らしや社会の様子を垣間見ようという試みです。趣旨からすると、今回の記事はちょっとはずれるかもしれません。なんせシリアサッカー連盟のちまちまとした内紛(のようにぼくの目にはうつります)を扱ったものですから。

日本では、ワールドカップ予選などで日本代表と対戦でもしない限り、中東地域のサッカーに関心を持たれることはとても少ないのが実情でしょう。まして日本のライバル国ともいえないシリアの、それもサッカー連盟のゴタゴタに、興味を持つ人がいるとは、われながらちょっと思えません(ぼく自身、この手の話嫌いじゃないんですが)。

でも、もしかしたらそういった内紛もこの地域の社会の実情をいくぶんかは反映しているかもしれないと、思っています。

中東地域に共通する傾向なのかもしれませんが、シリアのサッカー連盟って、ちょっとすごいんですよ。絶えず内部抗争が発生しています。しかも数年前、現政権が反体制武装勢力に包囲され、崩壊するのではないかと思われた時期ですら、暗闘をくり広げていたのですから。皮肉ではなく、かすかに感動を覚えてしまうほどです。

代表チームが調子がいいときは、そんな内部の不団結はいくぶん見えにくくなっていたようですが、いったん失速し始めると、途端に足の引っ張り合い、責任の押し付け合いが始まっています。

今回の記事は、シリアのスポーツ界を統括する機関のトップを務める人物と、昨年、彼にサッカー連盟会長の座を追われた人物との対立の話が中心です。背景事情がいまいちよくわからないうえ、言わんとすることがはっきりしないインタビュー内容(支離滅裂ではないかと思われる発言)がおりまぜられており、読み解くのに苦労しています。読み違いがあるような気がしますので、あらかじめお断りいたします。

この記事、延々と内紛話が続くのではなく、次回は、シリアサッカーのプロ化の現状について話題が移ります。

(下の写真:アジアカップのグループステージ第3戦でシリアはオーストラリアに2−3で敗れ大会から去る。試合後うなだれるムハンマド・ウスマーン選手)
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世界は進歩する中なぜシリアは停滞するのか…シリアサッカーは復活しない(1)

掲載紙:イナブ・バラディー
掲載日:2019年2月3日
執筆者:ムハンマド・ホムス、ムラード・アブドゥルジャリール(イナブ・バラディー調査班)
URLhttps://www.enabbaladi.net/archives/280135

(*は訳注 小見出しの一部は訳者によるもの)

アジアカップで上位進出を煽るメディアの報道やキャンペーンがあふれたが、シリア代表は、グループステージ2試合で1点も奪えないなど低調なパフォーマンスに終始。サッカー連盟はドイツ人監督ベルント・シュタンゲ氏を解任し、後任にファジル・イブラーヒーム氏を任命した。しかし、不可能を可能にすることなど、イブラーヒーム氏にはどだい無理なことだった。

サッカー連盟への批判

シリアサッカー連盟は(*アジアカップでシリアがグループステージ敗退後の)1月26日、声明を発表。この中で、代表チームのコーチング部門および管理部門の解散と、引き続きファジル・イブラーヒーム氏を代表監督に任命することが明らかにされた。

声明が発表されるや、サッカー関係者やファンからは失望や落胆の声があふれた。代表的なのはこんな声だ。

「シリアのスポーツについてはもうあまり考えないようにしょう。だって、この40年…あらゆるカテゴリーで失敗をくり返しているからね。化石のようなこの発想をぶち壊さない限り、絶対うまくいくことはないよ。たとえ名前を付け替えても、システムが変わらない限り、また失敗し続けるに決まっている」(*結果が出ないと見るや、すべて現場だけにその責任を押し付けたり、長期的視野に欠けた小手先の対応策に終始してきたことを批判した意見だと思います)

競技組織の幹部のポストにだれが就くかによってコロコロ変わるこのシリアサッカーに関する発想や方法を変えることができるだろうか。シリア代表はカタール・ワールドカップ2022に初出場を果たすことができるのだろうか。それともそれは見果てぬ夢なのか。

カタールで開催が予定されているワールドカップ開幕へのカウントダウンとともに、各国の代表チームは、大会に出場するチャンスをつかむため、準備を始めている。しかし、ロシア・ワールドカップ予選での敗北と、カタール・アジアカップでの屈辱は、シリアサッカーの癒えない古傷を開いた。この二つの敗戦は、「国際大会における「名誉ある参加」から脱するためには、血の入れ替えなど根本的な変革を求めている。

アジアカップのシリア戦で2点目のゴールを決め喜ぶヨルダン代表の選手たち(1月10日)

シリアサッカーはなぜ発展しないのか

シリアのスポーツは当局者たちの(*権力闘争の)手段と化している。つまりスポーツは政治的な様々な目的を実現するためのツールであり、(*本来の)スポーツとは関係がないのだ。このことは、スポーツの本当の目的について話すスポーツ機関の新旧当局者の発言からも明らかである。

スポーツ界の内部抗争

その最もわかりやすい事例は、昨年(*2018年)3月、シリアとカタール両サッカー連盟間の合意文書への調印に関し起こったトラブルである。調印直後、シリアサッカー連盟のサラーフ・ラマダーン会長が、全シリアスポーツ連盟及びシリアオリンピック委員会のムワッファク・ジュムア会長からの要求を受け、辞任したのだ。

シリアサッカー界にとって多くの利点があったにもかかわらず、調印文書が撤回されたことは、ラマダーン、ジュムア両氏の確執の戦端を開いた。このたたかいの結果は、今回のアジアカップでのシリア代表の敗退の後、浮き彫りとなった。

サポーターらから、全シリアスポーツ連盟とサッカー連盟会長の辞任を求める激しい抗議行動の波が起こるや、サラーフ・ラマダーン氏(*サッカー連盟会長の座を追われた人)は、ジュムア氏と、サッカー連盟のファーディー・ダッバース会長をはじめジュムア氏に追随するスポーツ機関の幹部たちへの批判を始めたのだ。

ムワッファク・ジュムア氏はシリア国内の放送局「シャームFM」のインタビューで、次にように述べ、ラマダーン氏に反論している。

「彼は政治はスポーツから切り離すべきだという考えを持っているようだが、私はこれまで、スポーツのそういった側面を見たことがありません」(*スポーツに政治が介入している事実はないという意味か?)

これに対し、ラマダーン氏は、

「(*本来)スポーツは国の政治の支えのもとに存在しているんです。スポーツが政治に奉仕するわけではない。私は、カタールとの合意文書への調印を、シリア国旗が掲げられるまでサインすることはありませんでした。委任統治領時代の旗(*第1次世界大戦後の一時期、シリアはフランスの委任統治下にあった。現在シリアの反体制派は当時の国旗をシリア国旗に定めている)の下サインしたわけじゃありません」と述べ(*この部分何を主張しているのか不明)、こう付け加える。

「しかし問題はカタールとの間に結んだ協定の中身にあるのではないのです。(*自分が辞任に追い込まれたのは)ファーディー・ダッバース氏(*ラマダーン氏の後任のシリアサッカー連盟会長で、ジュムア派の代表的人物とみられる)の私益のためにしくまれた計略に過ぎないのです。つまり、ジュムア少将は国家の利益より個人的利益を優先させたということです」

また、ラマダーン氏は、

「ジュムア氏は私に辞任するよう要求し、私はすぐに応じました」と言う。というのも、ジュムア氏がサッカー連盟役員から辞表を集めていたため、「私は連盟内部になんらかの動きがあったことを確信したのです。これが私の辞任の理由です」(*ジュムア氏らがサッカー連盟内部の役員らを抱き込んでいたため、辞任せざるを得なかったという意味か。たとえば「お前が今辞めなければ、他の役員はみんな辞めるぞ」などと言われたとか)

ラマダーン氏は辞任後、レバノンに向かった。アジアサッカー連盟の調査委員会の聴取を受けるためだ。ラマダーン氏によると、聴取に対して、自分の辞任は自発的なものだと答えたと言い、こう続ける。

「もし私が政治的理由から辞表を提出していたら(*そう返答してしまったら)、この国のスポーツ活動は(*国際競技連盟からの制裁を受け)完全に凍結されてしまいますからね」

ラマダーン氏によると、全シリアスポーツ連盟はラマダーン氏の出国を禁じていたが、ジュムア氏との合意にもとづき、シリアからレバノンへの出国が認められていた。そして(*アジアサッカー連盟による調査を終え)ラマダーン氏がシリアに帰国すると、再び出国が禁じられたと言う。

「これらはすべて政治的にしくまれたことなんです。しかし、こんなこと正しいことではありません。ムワッファク・ジュムア氏があらゆる決定権を握っているなんて」

ラマダーン氏によると、ジュムア氏は(*アジアカップに向けた代表チームの強化のため)カタールでキャンプを行うことを、シリアとカタールとは政治的国交関係がないことを理由に拒絶したという。当時の代表チーム監督(*アジアカップ期間中成績不振で解任されたドイツ人のシュタンゲ監督のこと)が、カタール、UAE、ヨルダンのいずれかでキャンプを行いたいと要望したとき、ジュムア氏はUAEで行うことにこだわったとし、こう強調する。

「というのもそうすることにより、彼らはそこで個人的な利益が得られることになっていたからです。しかし、UAE側から拒否されてしまったんですがね」

勝利とは国歌が演奏される回数だ

ムワッファク・ジュムア氏にとって、シリア国外で「国旗」の掲揚や、「国歌」の演奏回数が、シリアスポーツの勝利なのである。

ジュムア氏はこのことに関して、シリアスポーツは、(*戦争が始まった)2011年から2018年の間に、数々の「幻の」金メダルを獲得している、のだと言う。

「現在の戦争の目標は、バッシャール・アサド大統領とシリア軍による統治の第一の象徴である祖国の旗にあるのです」と言い、こう指摘する。

「この戦争の間、シリア国外で国旗は1985回掲揚され、国歌は683回演奏されています。この数こそがメッセージです」

全シリアスポーツ連盟のムワッファク・ジュムア会長。2018年1月30日(SANA)

コメント

  1. […] アメリカのスポーツ専門チャンネル、ESPNアラビア語版に2017年7月に掲載されたものです。原文の英語記事はその2カ月前の5月に掲載されています(How the Syrian government brought soccer into campaign of oppression)。本格的なルポルタージュで、かなりの分量なので、5回くらいに分割して紹介することにします。(ちょうど去年の今頃も、このブログでアジアカップ後のシリア代表の総括的な長文記事の紹介に取り組みながらも、結局途中で放り出してしまったことは思い出さないようにしよう) […]

  2. […] この記事、1回めはサッカー連盟内の内紛、2回めは国内の未整備で行き当たりばったりのプロ化事情に関する内容でした。正直いって、記事を読んでいて、組織の問題点、後進性をい […]

  3. […] 前回に続き、アジアカップでのシリア惨敗の背景に関するレポート「世界は進歩する中なぜシリアは停滞するのか」の2回目です。 […]

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