シリアサッカー最前線(2) 閑古鳥鳴くスタジアムの熱狂

前回に続き、BBCアラビア語版が2017年3月30日に配信した、シリアサッカーの様々な断面についての記事です(سوريا: كرة القدم على خط النار)。

とても長い記事なので、分割してお届けしています。今回はその2回目です。代表メンバーの経済的苦境に関する元代表選手の証言、代表監督インタビュー、国内リーグ生観戦記、再出発にこぎつけた女子サッカーチームなど盛りだくさんの内容です。

なお、本文中に出てくるアジアカップ予選に参加したシリア女子チームの試合結果について、紹介しておきましょう。

グループDに入ったシリアは2017年4月3日から11日かけてハノイで、シンガポール、ベトナム、ミャンマー、イランの順に対戦しましたが、残念ながら、全敗で予選敗退となりました。4試合で失点38、得点ゼロでした。

数字だけをみると、シリア女子チームの準備不足は明らかで、選手たちにはつらい結果になったのかもしれません。しかし、彼女たちは、国際舞台で祖国の女子サッカーの姿をアピールすることに意味を見出していたそうです(参考記事:内戦続くシリアのサッカー女子代表、「世界に私たちの国を知ってほしい」)。


元記事URL:
http://www.bbc.com/arabic/sports-39430462

掲載紙:BBCアラビア語版
掲載日:2017年3月30日

(小見出しの一部は訳者によるもの。また、本文中のカッコ内の*印は訳注)

シリア:サッカー最前線(2)

代表選手たちも抱える経済的問題

ムハンナド・イブラーヒームは、2011年の戦争勃発前に国を離れたサッカー選手の一人。ホムスを本拠とするシリア最高の名門クラブが運営する若い選手を対象としたトレーニングプロジェクトの卒業生だ。シリア代表でもプレーしたが、サウジアラビアのクラブに移籍、その後チェコのクラブに移った。現在は、ヨルダンのカフルスウムというチームでプレーしている。

中央にいるのがムハンナド・イブラーヒーム(背番号43)http://www.bbc.com/arabic/sports-39430462

ムハンナドはこう話す。

「現在のシリアの全般的な経済状況は厳しいのです。当然、スポーツ分野においてもそうなんです。わたしは多くの代表選手を知っていますし、今もつねに彼らとは連絡を取り合っていますが、彼らはとても困難な生活上の問題に直面しています」

ムハンナド・イブラーヒームが最後に代表でプレーしたのは2011年だ。その後も代表には何度も招請されているというが、政治的な理由とは関係のない個人的な理由で断っている。

「もちろん、わたしもみんなと一緒に代表でプレーしたいと思っています。でも、ご存知の通り、代表招集を引き受けることができない諸事情があるのです。申し訳なく思っています。しかし、わたしの心はいつも代表のみんなとともにあります。そして、彼らの幸運を祈っています。彼らが持てる力を発揮して、予選を突破すること、トップの成績で突破することを願っています」

ガラガラのスタジアムに響く声援

わたしたちは、シリアリーグの試合の一つ、ショルタ(*ダマスカスを本拠)対ジャブラ(ラタキア近くに位置する町が本拠)の一戦を観戦するために出かけた。

試合は首都ダマスカスのティシュリーン・スタジアムで、とある金曜の午後行われた。完全武装の兵士たちが、スタジアムの周囲を取り囲んでいた。これは、観戦に行こうとする大勢のサッカーファンたちの足を阻む治安上の不安があることを示している。

ティシュリーン・スタジアムはこのことを明確な形で証明したことがある。4年前、スタジアムに隣接するホテルの近くに迫撃弾が落ち、ホムスを本拠とするワスバに所属するユーセフ・スレイマーン選手が亡くなった。リーグ戦の試合のため準備しているときの出来事だった。

そういうことがあったにもかかわらず、サポーターたちは、強い勇気を持って、このスタジアムに足を運ぶという苦難を引き受けているのである。彼らは歌をうたい、太鼓とチャントをほとんど誰もいないスタジアム中に響かせている。この日の入場者数は300人を超えていなかったはずだ。

わたしたちは、観客の一人と知り合った。彼は若い家族を連れて来ていた。彼はスタジアムにやって来ることには不安を感じていないと言う。

「希望を持ち続けること、そして、楽観的でいることが、とても大切なことだと思います。ぼくたちは、スポーツの場でも、他のことでも、平常心で生きていかなければなりませんから。子どもたちには普通の生活が必要です。起こっていることについて子どもたちに罪はありません。子どもたちにはサッカーを見に行ったり、学校や公園に行ったりすることが必要なんです」

荒れたピッチと低レベルのゲーム

試合の前半が終わった後、わたしたちはピッチを囲むトラック競技用レーンのところまで降りることが許可された。そこで、ワールドカップ予選で目覚しい成果を上げたシリア代表監督と関係者にインタビューすることになっていた。

監督がやってくるのを待ちながら、わたしたちは、ピッチの状態を確かめてみた。すると、通常のスタジアムのピッチを覆うような芝とは似ても似つかない状態だった。ピッチ全体が完全に荒れ果てていた。選手がなんども負傷した結果、前半の終了が遅れたのも無理はないと思った。シリア代表のアイマン・ハキーム監督は、この問題を強く憂慮していた。

ハキーム監督はこう話す。

「これまでわれわれが成し遂げたことは奇跡そのものですよ、われわれを取り巻くきわめて劣悪な環境を考えればね。われわれ以外の他のすべてのチームは自国で試合ができわけです。なのにわれわれは全試合国外で試合することを余儀なくされています。だから、われわれの成績は、選手たちの強い精神力を証明しているのです」

ハキーム監督の後方、ゴール裏のガランとしたスタンドには、バッシャール・アサド大統領の巨大な看板が掲げられているのが見えた。それは、シリアのあらゆるものの背後には、戦争が存在していることを象徴しているようだった。つまり、代表チームが中立国のスタジアムでのゲームを強いられていること、また、強化試合がわずかしか組めないことを含め、国内のサッカーにおける戦争の影響は、他のどの国も直面することのないさまざまな障害に、シリアが直面していることを意味している。だが、ハキーム監督はこれを妨害だとは考えていないようなのだが…。

われわれが監督と一緒に、メインスタンドに戻ったとき、観客が「ロシア、ロシア、ロシア…」とシュプレヒコールをはじめた。わたしたちははじめ、シュプレヒコールはロシアで開催予定の2018年ワールドカップ予選に関係するものだと思っていた。ところが、同行していた通訳によると、観客はわれわれのことをロシア人だと思い込んで、このようなシュプレヒコールを叫んでいるのだと言う。シリアのサッカーに関心を持つヨーロッパの報道機関といえば、ロシア以外考えられないからだとのことだった。

試合は、3対2でジャブラの勝利で終わった。それにしても、得点がたくさん入る試合が多いことからもわかるように、予想はしていたものの、試合のレベルが低い。

男女代表チームがつくり出した「微笑み」

だが、以前からこのようなレベルだったわけではないのだ。シリアのサッカー文化は人びとの間に根を張っていた。戦争勃発前は、シリアのレベルは頂点にあった。2005年に女子のシリア代表チームの初めての試合が行われたが、それに対する関心の高さが、この国におけるサッカー人気を典型的に表している。

男子の代表チームの成績はいつの時代にも、アサド大統領の興味を引きつけている。その一方、女子の代表もまた、ワールドカップの出場権獲得に向けた活動をスタートさせようとしているのだが、多くの人びとは関心を払っていない。だが、女子の活動は男子のそれに比べて重要性が低いわけではないのだ。

ヌール・ジャリース http://www.bbc.com/arabic/sports-39430462

男子とは対照的に、女子サッカーは戦争のため完全に活動を停止していた。シリアの女子チームは、2011年以来、いかなる国際大会にも参加していない。それが6年の時間を経て、ようやく今、ベトナムで8日間で4試合を行おうとしている(*女子アジアカップ予選。アジアカップはワールドカップ予選を兼ねている。正しくは9日間で4試合)。

21歳になるヌール・ジャリース選手は、女子のシリア代表のメンバーの一人だ。チームは、ベトナムの首都ハノイに向かう前の本部として、シリアサッカー連盟事務所を使用している。

ジャリースはこう話す。

「わたしたちには大会に参加するだけの力があるし、コーチのおかげでよい準備ができたので、大会では結果を出す希望も持っています。すばらしい結果を達成することができると思います」

実際のところ、女子でも男子でも違いはない。あるいは、代表でもクラブレベルでも違いはない。この国を深刻な事態が覆っているにもかかわらず、サッカーはシリアにおいて、はげしい熱狂を博しているからだ。

ムハンナドによると、シリアのサポーターというのは、競技の顔の上にある「微笑み」なんだという(*意味不明です)。ここ数年間、シリア人には微笑む理由となることなどまったくなかった。だが、シリアサッカーの男女代表チームは、自らの持てる力をすべて注ぎ込んで、この状況を変えようとしているのである。

町中あふれる独裁者の視線

目を閉じて、他の中東の町にいると想像してみよう。アザーンの声やなりやむことのない警察車両のけたたましいサイレンは、他のどの町とも変わらない。

だがしかし、目を開けると、他のどの町とも違っていることに気がつくだろう。ここはダマスカスなのだ。ダマスカス、ここは、6年以上にもわたり、反体制派との戦争を率い続けてきたバッシャール・アサド大統領の牙城だ。

ティシュリーン・スタジアムで見たように、アサド大統領の写真は首都のいたるところに広がっている。シリア政府は個人崇拝により成り立っているのだ。すべての商店、タクシー、公共機関、検問所、カフェで、あなたを見つめる大統領の顔を見ることになる。

おそらく、外国人ならこういった光景を見ると、笑ってしまうかもしれない。シリア・レバノン国境の小さなパスポート検問所には、アサド大統領の写真が9枚もあり、そのうちの1枚はハート形の額に入れられていた。

しかし、独裁者のくびきのもとにあるシリアで生きることを余儀なくされている人びとにとって、これは笑い話でもなんでもないのだ。シリアでは多くの人びとは、政治的なことでアサド大統領について言及することを避けている。体制に対する恐怖は、シリア人の心の奥底に流れているのである。

引き裂かれた国

「アラブの春」として知られるようになった動きの一つとして、2011年に始まった平和的な抗議行動は、すぐに流血の内戦に転化した。

シリア政府側から見ると、これは、トルコ、カタール、サウジアラビアといった外国勢力が、政府の弱体化、転覆、そして、シリアと同盟関係にあるイランに打撃を与えることを狙ってこの戦争を利用していることになる。また、シリア政府によると、政府は、アサド大統領が属する少数派のアラウィー派撲滅をめざすスンナ派の過激集団と戦っているのだという。

シリア戦争は、混沌とする情勢の中、世界の大国の介入も招いた。また、この国を揺さぶる混乱に乗じて、イスラム国などの組織の登場を許してしまった。戦争はこの歴史ある国を最悪の形で引き裂いてしまった。

すでに市民数十万人が犠牲となり、都市はガレキの山と化し、数百万人もの人びとが住む家を追われた。また、この戦争は第2次世界大戦以来例を見ない難民危機も生み出した。シリア政府には、国民に対する絶え間のない残忍な人権侵害という戦争犯罪の疑いがかけられている。化学兵器の使用、水源地への攻撃などだ。

反政府勢力は国の広大な地域を支配していたが、2015年からのロシアによるアサド政権に対する支援が、戦況を根本的に変えてしまった。ロシア軍の支援を受けた政府軍は昨年末、重要拠点アレッポ市東部を奪還することに成功した。

その間も、首都ダマスカスでは、一見平静な生活が続いている。だが、暴力は常に遠くないところに存在しているのだ。

このことについては、すでに直接的な形でその影響について触れたとおりだ(*1回目冒頭で紹介した砲撃の中で行われていた少年テコンドー大会のことを指しているのだと思います)。(つづく)

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