シリアサッカー最前線(3) 難民キャンプの中のサッカー

シリア内戦/社会
練習するザアタリーキャンプの少女たち http://www.bbc.com/arabic/sports-39430462

BBCアラビア語版が2017年3月30日に配信した、シリアサッカーの様々な断面についての記事(سوريا: كرة القدم على خط النار)の3回目です。

今回は、平穏なはずの首都ダマスカスで記者たちが遭遇した大規模テロの生々しい現場、難民キャンプで暮らす将来を嘱望されていたサッカー選手の思い、NGOなどが、子どもや若い女性を対象にしたサッカーを活用した支援プロジェクトの様子などの紹介。

終わりの見えない現状の中、難民たちにサッカーがわずかながらも支えになっていることが語られています。


元記事URL:
http://www.bbc.com/arabic/sports-39430462

掲載紙:BBCアラビア語版
掲載日:2017年3月30日

(小見出しの一部は訳者によるもの。また、本文中のカッコ内の*印は訳注)

シリア:サッカー最前線(3)

 

 

「シリアの暮らしは平穏です」

マウフィク・ジュムア会長は、少年テコンドー大会の取材に訪れたわたしたちに対し、ダマスカス郊外の反体制派の拠点から、また軍から同郊外へと双方から打ち込まれている迫撃砲の轟音は、シリアの首都においては日常生活の一部となっていると、話していた。ジュムア会長は、シリアオリンピック委員会を率い、また、国会議員もつとめている。彼は、この国の最も有力なスポーツ関係者であり、体制側のスポークスマンでもある。

そのマウフィク・ジュムア会長は、「ここは安全ですよ。同様に、シリアの多くの都市、ホムスやラタキア、それにアレッポだって安全ですね」と言うのである。

ジュムア会長のその言葉は、わたしたちが目撃したいくつもの砲弾炸裂の事実と矛盾している。空から爆弾が降ってくる場所が、どうして安全だと言えるのか。

だが、ジュムア会長はこのように話すのだ。「ここの生活は平穏ですよ。ただし、戦争勃発前のようにはいきませんがね」

そして、こう続けた。「迫撃砲やテロは、われわれの生活を挫くことが目的なんです。しかし、われわれはこの国がずっと持ちこたえていくことを確信しています」

シリア政府が病院や学校を爆撃し、国民に対する戦争犯罪を犯しているとして、シリアの国際大会参加を禁じるべきだと主張する人たちがいることに関して、ジュムア会長の見解を尋ねた。

「シリア政府の真実の姿は、国民や病院、学校が安全だった2011年以前を見れば、わかりますよ。シリア政府は、自国の軍隊で戦い、領土と国民を守っているのです」

テロの現場

翌る日、わたしたちは実際に、シリアの危機的な状況を示すリアルなシーンを目にすることになった。

わたしたちが取材に没頭していたとき、1.5キロも離れていないところから連続した爆発音が聞こえた。爆発は数秒足らずの間に続けざまに起こった。被害を最大限に広げることがその狙いだった。

(✳︎爆発現場である)ダマスカス旧市街内に位置するバーブ・サギールの墓地までの短い距離を移動した。そこで、2回の爆発はバスの駐車場近くで起こったと聞いた。1回目の爆発は、道路脇に埋められた爆弾を使って行われた。2回目は自爆によるもので、1回目の爆発で生き残った人びと──大半がイラク人観光客だったが、救助活動をしていた救助チームもいた──の真ん中に爆弾を持ち込んだ犯人が爆発させた。

わたしたちはベテラン捜査員の許可を得て、攻撃現場に踏み入った。地面から立ち上ってくる匂いは猛烈だった。(✳︎バスの)ディーゼルオイルの匂いが犠牲となった人びとの血の匂いと混じり合っていた。

バラバラになった手足を踏まないよう注意深く歩かなければならなかった。爆発の現場では、壊れた座席、引きちぎられた靴、かばん、粉々になって飛び散ったメガネなどを目にした。これが、シリア人権監視団が、犠牲者74人に達したと発表した事件現場だった。

ダマスカスでこれだけの規模の攻撃はめずらしいことだったのだが、破壊現場に集まっていた人びとは、事件について無関心でいるように見えた。

人びとのその姿は、6年以上シリアの人たちが苦悩している短く、おぞましく、私的なワンシーンのようだった。この戦争の結果に翻弄されているこれらの人びとと互いに強く慰め合うこと以外、誰も何もできないのだ。

わたしたちが取材で利用しているレンタカーの運転手が、わたしたちに、血痕のついた靴を洗うよう求めてきたことも、印象的だった。運転手は車の敷物を血で汚れないようにすることに熱心だった。

ジュムア会長はここの状況は安全で平常通りだと言っていたが、その主張は現実からかけ離れているように思えた。

ザアタリー難民キャンプ

「危機が勃発し、戦争が始まりました。砲撃がぼくたちの家を破壊し、きょうだいを亡くしました。それで、別の場所に避難するため逃れなければならなかったんです」

ムハンマド・ハルフ選手 http://www.bbc.com/arabic/sports-39430462

これは、難民のムハンマド・ハルフが語ったことだ。だが彼の話は、現在ヨルダンの北にあるザアタリー難民キャンプで暮らす8万人のシリア人の物語でもある。

ハルフは、「このキャンプの他の家族もみんなだいたい同じ境遇ですよ。死んでしまったり、けがをしたり、行方不明になったり、捕らえられたり、なんらかの被害を被っています。これがこのキャンプの物語なんです」と言う。

わたしたちはザアタリー難民キャンプにやって来た。というのも、今日のシリア人の苦難の物語は、難民問題抜きには語れないからだ。サッカーについても例外ではない。

わたしたちは、他の建物同様、国連から寄付された金属板で建てられたキャンプ内にあるカフェの外に置かれたボロボロの古いソファーに座った。カフェは、「シャンゼリゼ通り」と名付けられたキャンプのメインストリート沿いにある。

もちろんここはフランスではない。多くの点で違っている。

ムハンマド・ハルフは、ダマスカスのカダム地区を本拠とするマジドというサッカークラブでプレーしていたが、戦争により、スポーツ選手としての活動を断念せざるを得なかった。他のシリア人と同じように、ハルフは怒りを感じている。だがシリア人の中では数少ないのだが、彼はこの怒りをあらわにすることを躊躇しない。

「ぼくたちは怒っているんです。戦争が家族を追い立て、傷つけたんです。シリアのあらゆる家族は、離れ離れになった。腹立たしいことです。しかし、ぼくたちに何ができるでしょうか」と話す。

ザアタリーキャンプは2012年、シリアとの国境から15キロの地点に建設された。

ここは現在、ヨルダンで4番目に大きなシリア難民を収容するキャンプとなっている。キャンプで暮らす人びとは、なんらかの形で自らの生活を立て直そうと試みている。ハルフも同じだ。彼はすでにNGOが行うプロジェクトの仕事についている。だが、より重要なのは、彼はあるサッカーチームへの入団を決めたことだ。

ハルフは、キャンプを離れることができる特別許可を取得している。これにより、ハルフは新しいチームでトレーニングを積むことができる。しかし、彼はこの特別許可を2週間ごとに更新しなければならない。たいていの場合、キャンプの住人にはキャンプを離れる特別許可は年に1回しか認められていないという。

ハルフが入団したクラブは、弱小チームではあるが、それでもヨルダンの国内リーブ2部のチームだ。ハルフはこれを新たなスタートだと考えている。

練習するザアタリーキャンプの少女たち http://www.bbc.com/arabic/sports-39430462

難民になっていた有望選手

私たちは、イサーム・マスリーと会うため、キャンプのさらに奥に向かった。マスリーは、サッカー選手としてのキャリアを断念して、シリアから逃れてきた。当時まだ18歳だった。

マスリーは「シャンゼリゼ通り」の近くの金属板の集積所で、両親と姉妹6人、兄弟1人とともに暮らしている。シリアで戦争が始まる前、家族はヨルダンとの国境近くのダラア市で生活していた。ダラアは2011年、シリアでの民衆蜂起が最初に起こった町である。

戦争勃発の2年後の2013年、家族は、家を離れ、各自スーツケースを一つだけ持って、ヨルダンとの国境を越えた…。

マスリーは、「他の人たちと同様、ぼくたち家族も、勃発した戦争と耐え難いほどの苦しい生活で、国を離れざるを得ませんでした。それで、ザアタリーキャンプにたどり着いたのです」と言う。

そして続けて、「(✳︎しかしこの難民キャンプでは)わたしたちは、子どもたちや家族を養うために働くことができないのです」と話す。

わたしたちはマスリーに、いまあなたが感じているのは怒りか、それとも悲しみかと聞いた。彼は両肩を揺らし、微笑んでこう答えた。

「気持ちを抑えておかないとここでの生活はやっていけません」

家族が集まるリビングには、マスリーが選手時代に獲得した数多くのメダルやトロフィーが飾られていた。本当にそれは目を見張るようなコレクションだった。

マスリーはこのキャンプでは最高の選手だというが、これらメダルとトロフィーのコレクションからもそのことがうかがうことができる。

家族でシリアを離れる前までは、マスリーの前にはダラアのショアラ・クラブでの輝く将来が約束されていた。

彼は希望を失ったが、こう話すのである。

「ぼくはまだ、たくさんの希望や夢をあきらめていません。第一の夢は、有名チームで活躍する選手になることです」

マスリーによると、シリアで獲得したトロフィーの多くを置いていかざるを得なかったという。そして、悲しみと誇らしさをないまぜにしてこう話した。「この倍くらいの数のトロフィーを持ってたんですよ」

わたしたちが帰ろうとしたとき、マスリーの母親がわたしたちに、息子がサッカー選手としてキャリアを続けていくことに関して何か協力してくれないかと頼んできた。母親は息子にとってそれがどれだけ重要か誰よりもわかっているのだ。わたしたちは彼女のこう答えた。きっと、(✳︎報道されることで)息子さんのことを大勢の人たちが知ることになるでしょう。しかし、わたしたちはそれ以上のことをお約束することはできないと。

イサーム・マスリー選手の母親と弟 http://www.bbc.com/arabic/sports-39430462

マスリーは、まだどのクラブへの入団もかなわないでいるが、難民キャンプ内で選手としてのトレーニングを続けている。また、ヨーロッパサッカー連盟の資金提供で行われているプロジェクトや、アジアサッカー連盟のサッカー発展プロジェクトでの仕事を得ている。このプロジェクトは技術習得のため、さまざまな年齢層の子どもたちをトレーニングすることを目的にしたものだ。

子どもたちと若い女性 サッカーでケア

マスリーとのインタビューを終えると、わたしたちは学校の運動場のようなところに到着した。

6歳以下の子どもたちがこのキャンプでは、子どもらしく笑ったり、振舞ったりすること以外、味わうことのできないことに熱中していた。石ころだらけのグランドで、ボールを追い回していた。

子どもたちのプレーはでたらめで、組織だったものではなかったが、誰も彼らを指導しようとしない。最も大事なのは、子どもたちが楽しく過ごすことにあるのだ。

一方、舗装された一部のエリアでは、年長の若者たちが、マスリーからシステマティックなトレーニングを受けていた。キックやヘディング、トラップ、ボール保持の方法などの練習をしている。マスリーの指導方法は、激励的なものと教育的なものとを織り交ぜている。絶えず、「ブラボー」という言葉が彼の口から発せられていた。

先ごろ、プロジェクト開始4周年を記念するイベントが行われた。プロジェクトの目的は、たとえほんのわずかな間でも、サッカーを通して、子どもたちが今経験していること、これまで経験してきたことを忘れるよう支援することだった。

プロジェクトの調整官は次のように話す。

「ここの子どもたちはみんな、戦争の恐ろしさを知っています。戦争というのは、大人でさえそうですが、どう受け止めるていいか難しいものです。とくに、人が殺されたり血が流れたりすることについてはなおのことそうです。子どもたちがここに来た当初というのは、住んでいた場所を離れたことに対応すること自体が課題でした。しかし、次第に、置かれている状況に順応しつつあります」

そして、こう続ける。

「当初、このプロジェクトは、子どもたちのみを対象としたものでした。ところが、何人かの若い女性たちも参加してきて、とても楽しそうだったのです。それで結局、子どもたちと若い女性たち、両方を支援することにしたのです」

若い女性たちを対象としたトレーニングプロジェクトをスタートさせたとき、参加者は3人しかいなかった。難民たちの多くがもつ過敏な反応のためだった。彼らの多くはシリア南部の郊外からやって来ているのだが、ここの親たちは他人の前で自分たちの娘をプレー(練習)させることに躊躇したのだ。

そこで、グランドの周囲を幕──ユーロ2016のロゴが入っている──でおおうことにより、親たちの恐れや過敏な反応に対処し、今では1000人以上の若い女性たちがこのプロジェクトに参加するようになっている。

プロジェクトは、このキャンプの様々なエリアを代表する12チームで争う大会を組織している。また、ここで活動するNGOや慈善団体も独自にチームを持っている。サッカーは、キャンプでの生活の基本的な部分をになっていると確信を持って言うことができるのである。

実際のところ、スポーツ、ここではサッカーのことなのだが、競技を通じてお互いを結びつける力をもつ。また、マスリーやハルフのように、ワールドカップ本大会出場に向けて、祖国の代表チームを応援することをもたらす。

ハルフは、「スポーツと政策の間には何の関連もありません。ぼくたちは前に進まなければならないんです。スポーツにはメッセージを発する力があります。ぼくらはこのメッセージを担わなければならない。シリア代表の試合は、それがどの代表チームとの試合であっても、ぼくは全力で応援しています」と話している。

もしマスリーが、難民キャンプで生活をしながら、どこかのチームに入団することをができたら、それはおそらくマスリーのような難民の中の若い世代の人たちに、シリア国外にいてもサッカー選手としてのキャリアを築ける可能性があるという希望を与えることになるであろう。

ここでは希望があることが重要なのだ。それはサッカーについても同じだ。

タイトルとURLをコピーしました