以下の内容は、2020年9月12日に開催された「お家で学ぶシリアオンラインスタディツアー第8回【シリアと沖縄で!サッカーと国際協力を考える】」という催しで、本サイト運営者寺園敦史が報告した内容をもとに文章化したものです。
はじめに
本日はシリアのサッカーについてお話しする機会をいただき、とてもうれしく思っています。シリアのサッカーの魅力をうまくお伝えすることができればいいのですが、精一杯つとめますので、どうぞよろしくお願いします。
これからお話しする内容は、戦争のさなかでもサッカーを愛してやまない人たちの姿とそのパワーについてです。これまでわたしが接してきたアラビア語メディアの記事をもとに、動画を交えて紹介していこうと思います。
1 ブログ「シリアサッカー事情」の紹介と動機
2015年6月、「シリアサッカー事情」というブログ(当初のタイトルは「中東 フットボールと人びと」)を開設して、ネットメディアに掲載されたアラビア語のサッカー関連の記事を紹介しています。開設して5年ほどになります。
わたしはふだんはフリーライターとして仕事をしていますが、シリア、あるいは中東地域をテーマに取材してきているわけではありません。ただし、アラビア語はずっと以前から好きで勉強してきており、2009年には数カ月間ですが、アラビア語学習のためダマスカスに滞在したことがあります。
学習の一環として、アラビア語の新聞記事を読んだりしていました。読み始めてしばらくして、どうせ読むなら好きなサッカーの記事を読んでみよう、関心を持っているテーマだし勉強の効率も上がるのではないか、と思い立ちました。それで読んでいくと、数こそ少ないのですが、日本のメディアや、あるいはおそらく英語の記事からでは知ることができないようないくつかの興味深い記事と出会うことができました。個人の学習教材だけで終わらせるのはもったいない、これを日本語にして紹介すれば面白いのではないかと思い、ブログを立ち上げることにしたわけです。
シリアのサッカーについての記事といっても、ブログでは代表チームの戦績や有名選手の動向、あるいはシリアの現状を国際情勢の観点から解説するといった内容よりも、戦争で疲弊しながらもサッカーを愛し続ける人々の営みが伝わるような記事に注目しています。戦争、破壊、難民、国際政治、国際協力といった文脈だけではない、シリアの姿を伝えていけたらという思いからです。
2 動画紹介:サッカーに注ぎ込む熱量
みなさんの中には、いまシリアは大変な戦争下にあり、全人口の約半分が住処を追われて国内外に避難していると言われているので、人々はとてもサッカーどころの暮らしではないだろう、と思っている方もおられるかもしれません。しかし、実際には国内の状況は様々でして、というか一部の地域を除き、国内は少なくとも表面上はかなり平穏さが戻ってきているようです。国内リーグはけっこう盛り上がっているのです。
熱狂のホムスダービー
まず、現在、シリアの国内リーグはどんな雰囲気の中で行われているのか、いくつか動画をご覧いただこうと思います。
初めに紹介するのは、2020年2月15日に行われたシリア・プレミアリーグ第3節、カラーマとワスバというホムス(シリア中部の都市)をホームとするチームどうしの対戦、いわゆるホムスダービーですね、その試合後の様子を写した動画です。カラーマというチームはシリアを代表するクラブの一つで、Jリーグのガンバ大阪のファンの方でしたら、ご記憶の方もおられるかもしれません。AFCチャンピオンズリーグで準優勝もしたことのある名門で、来日してG大阪とも対戦したことがあります。
このときのホムスダービーは1対0でそのカラーマが勝ちました。動画を見て驚かされるのは、カラーマの選手、スタッフ、ファン、みんな優勝でもしたかのように大喜びをしていることです。ファンの熱狂ぶりがよく伝わってきます。実際にはリーグ戦序盤の1試合で勝っただけのことなんですがね。
圧倒的な迫力 ウルトラスイーグルス
次に紹介するのは、ラタキア(地中海沿岸の都市)をホームとするティシュリーンのサポーターをとらえたものです。ティシュリーンは今シーズン(2019/20シーズン)24年ぶりに優勝を果たしたチームです。そのサポーター集団はウルトラスイーグルスと呼ばれ、シリア国内で圧倒的な動員力と熱量を有していると言われています。シーズンが開幕してすぐ、2019年11月6日に公開された動画です。
さきほどのカラーマも、このティシュリーンも、かつての平和だった頃のシリアの映像ではなく、現時点でのスタジアムの様子を記録したものです。かなりの盛り上がりを見せていることがわかると思います。サポーターの熱量はJリーグ以上ではないでしょうか。
クルド系クラブののどかな応援
三つ目に紹介するのは、この2チームとはかなり様相の異なる応援風景です。カラーマやティシュリーンのように若い男たちを中心に荒々しく、時には過激な応援をしているチームだけではありません。シリア北部、トルコとの国境付近のアフリーンという町に、1部リーグ(日本のJ2に相当)でたたかうアフリーンSCというチームがあります。そのサポーターたちです。アフリーンは現在トルコの侵略を受けていますので、拠点を一時的にアレッポに移して活動しています。アフリーンはクルド人が多く住む地域で、応援もクルド風の音楽を使っています。
下部リーグで観客も少ないということもあるのでしょうが、カラーマやティシュリーンなんかに比べると、のどかで、かわいらしい雰囲気が伝わってきます。女性や子どもの姿も見ることができます。
いずれにしましても、国内のサッカー人気が戻ってきた大きな要因の一つは、ロシアW杯のアジア最終予選でのシリア代表の活躍があると思います。代表チームについては最後にお話ししたいと思います。
チャンピオンズリーグ・ファイナリストの5年後
さて、もう一つ、見ていただきたい動画があります。2006年AFCチャンピオンズリーグでは、決勝に進んだのは、シリアのカラーマと韓国の全北現代でした。動画はカラーマのホーム、ホムスで行われた決勝第2戦です。シリアで戦争が勃発する5年前の試合ということになります(この試合は2-1でカラーマが勝ったのですが、1週間前に韓国・全州で行われた第1戦で全北が2-0で勝っていたので、2試合合計3-2で全北が優勝しています)。戦争が始まる前、シリアのスタジアムがどんな雰囲気だったか知ることができると思います。
冒頭、試合開始前にアサド大統領を満員の観客が大歓声で迎えるシーンがあります。まあその映像もいま見るといろいろ感慨深いのですが、ここで注目したいのは、3分55秒あたりから始まるカラーマのスタメンが紹介されているところです。
今日のお話をする準備のため、この映像を久しぶりに見返してみて、新たに気がついたことがありました。それは、スタメン11人のうち、少なくとも4人が2011年に勃発したシリアでの戦争で、反体制派支持を表明した選手だという事実です。
GKのムサアブ・バルフース、DFジハード・カッサーブ、ジハード・フセイン、MFのムハンナド・イブラーヒームの4人です(イブラーヒームはこの試合で2点目のゴールを決めています)。このうち、カッサーブは後で触れますが、2014年に政権側に容疑不明のまま逮捕され、その後消息不明となっていたところ、2016年に死亡が発表されています。
この試合に出場したのは当時のシリア国内ではみんなスター選手だったはずです。それがわずか数年後には4人も反体制支持を表明していたとはちょっと驚かされました。
わたし自身、現在の反体制派に対し共感するところはほとんどないのですが、記憶にとどめておくべき事実だと思います(4人以外にも同様の立場を表明していた選手がいるかもしれません)。
なお、GKのバルフースは、2011年に反体制デモを支持し、反体制派をかくまった容疑で逮捕されたとの報道があります。ただ、その後経緯は不明ですが、代表チームへの復帰を果たしています。そしていったん現役を退いたものの、今シーズン復帰し、数試合だけですが、カラーマのゴールを守っています。国内ではとても人気のある選手です。
3 驚きのシリアサッカー(サッカーなんかしている場合か!)
わたしがシリアに関するアラビア語のサッカー関連記事を読んできて、驚かされたことがいくつもありました。
シリアサッカーの実力
そのことをお話しする前に、シリアサッカーの実力について述べておきます。ふだんから日本代表の試合に関心を持っておられる方なら周知のことだと思いますが、率直に言ってシリアはアジアでも強豪国というわけではありません。
また、そのサッカー自体、とくだん魅力的というわけでもないと思います。代表の試合を見ていると、とにかくあまりコンビネーションとか策を弄さずに、縦にどんどん攻め込んでいくといった力まかせの攻撃をよくやっているようです。
FIFAランキングを見てみますと、現在(2020年7月)79位で(日本28位)、最高が73位(2018年8月)、152位(2015年3月)にまで下がったこともあります。ワールドカップには1度も出場したことがありませんし、アジアカップにはこれまで6回出場していますが、すべてグループリーグで敗退しています。注目されるのは、さきほど動画で紹介した、2006年のAFCチャンピオンズリーグでカラーマが準優勝したくらいでしょうか。
アジアでも2番手、あるいは3番手グループの位置にいるといったところになると思います。
戦火の中でもサッカー
さて、シリアのサッカー関連の記事を読んで、わたしが一番驚かされたのが、「今世紀最悪の人道危機」などと呼ばれる戦争をしているというのに、国内ではリーグ戦がずっと継続されていたという事実です。
騒乱が始まった2011年(2010/11シーズン)こそ途中で中断してしまっていますが、戦争が本格化し、政権が崩壊するのではないかと言われていた瀬戸際の時期でも、あるいは実際に砲弾がスタジアムの真上を飛び交う中でも国内リーグが続けられていました。「イスラーム国」が猛烈な勢いで伸長し、アルカーイダ系のイスラーム武装勢力が主要都市を制圧するといった、はたから見れば、いまサッカーなんかしている場合ではないだろうという時期でもやめることはなかったのです。
これは、よく言えば、シリア人のサッカーへの並なみならぬ情熱の表れだと見ることもできますが、一方で、政権側がサッカーを政治的「カード」として利用している一面にも留意しておく必要があると思います。つまり、国内でリーグ戦が行われていることを示して、「シリアは平穏です。サッカーだってやっていますよ」と国内外にアピールしたいという意図があったのではないでしょうか。
反体制派の「シリア代表」
体制側だでなく、反体制派のサッカーへの情熱も相当なものです。元選手、指導者らが中心となって、2015年、反体制派の主要拠点の一つ、シリア北部の都市イドリブで、「自由シリア」と呼ばれるシリア代表チームを結成しているのです。国内外から120人を招集し、トルコで数次にわたるトレーニングキャンプを行っているというニュースがありました。また代表チーム結成に先立ち、同じくイドリブでは国内リーグも創設していますし、2018年にはプロ選手養成アカデミーも開設しています。
反体制派は自分たちの代表チーム、リーグこそが正当なものだとしてFIFAに認めるよう働きかけていたようですが、その後関連するニュースは流れてきていませんので、おそらくうまくいっていないのではないかと思います。
「難民リーグ」
難民も同様です。難民となって国外に逃れた人たちの中には、現役サッカー選手、元選手も多く混じっており、彼らが中心となって、いくつかの難民キャンプでは「難民リーグ」が立ち上げられています。また、ベルリンではシリア難民による「自由シリア」代表(イドリブのそれとは別チーム)が結成され、地元の4部リーグのチームとチャリティーマッチを行ったりしています(2017年)。関係者は、自分たちこそが将来の正規のシリア代表チームの土台となると言って活動しているようです。
また、難民となって逃れてきた若手選手の中には、避難先の国のクラブと契約しようと頑張っている人もいます。有名なヨルダンのザアタリ難民キャンプで暮らすムハンマド・ハルフもそのひとりです。かつてダマスカスのマジドというクラブでプレーしていた選手ですが、ヨルダンの2部リーグのチームと正式契約にこぎつけ、特別な許可をもらって、キャンプからチームの活動に参加しているんだそうです。
4 「リーグ継続」の裏の過酷な実情
ただし、いくらサッカーへの尋常じゃない情熱があっても、現実にはどうすることもできない課題が少なくありません。
選手の大量流出、低すぎる報酬
たとえば、2011年の戦争勃発後、数年間で数百人もの選手が国外に流出したと言われています。正式な手続きを踏んで国外クラブへの移籍を果たしたという選手もいますが、しかしそれは少数派で、多くは難民として国外に逃れたと言われています。
また、シリア国内でサッカー選手として生活していくのは経済的に難しいのが現状です。2017年の時点で、主力選手でさえ、月200ドルもらえれば良いほうで、最高でも年3万ドルほどだと言われています。
追記(2020/10/17):2020年9月23日付け「R T」に掲載されたAFP配信記事によると、「選手の平均月収は、約150万シリアポンド(約750ドル)に達し、何人かは400万シリアポンド(約2000ドル)である」とのことです。2017年時点からわずか3年間で数倍にもなっていることになります。シリアの経済状況を考えると、そんなにも好転するとは思えないのですが、確かなことはわかりません。(参照 経済危機でも活発な移籍市場 – シリアサッカー事情)
コーチの報酬はさらに悪い。元シリア代表として100試合以上出場したキャリアを持つターリク・ジャッバーンという元有名選手がいます。2017年当時、彼はシリア代表のアシスタントコーチを務めていたのですが、報酬は月100ドルしか受け取っていませんでした。
このアシスタントコーチに関して、泣けてくるというか、いかにもシリア人だなあと思わせるエピソードがあります。
2017年当時、ターリクはダマスカスで妻と4人の娘さんとともに暮らしていました。そこへBBCの取材班がインタビューにやってきます。なにしろ月100ドルしか報酬をもらっていませんから、当然生活は厳しいはずです。しかし、ターリクも家族も取材班を厚くもてなしたのです。4人の娘さんたちは朝から彼らのためにケーキを焼いて待っていたとのことです。
インタビューを終えて、取材班が辞そうとしたとき、ターリクは彼らに「シリアがワールドカップに出場したらぜひまた会いましょう」と温かい言葉をかけたそうです(BBCの取材当時、シリア代表はアジア最終予選をたたかっている最中だった)。
スタジアムがミサイルの標的
リーグ戦は開戦後しばらくは、ダマスカス、ラタキアという比較的治安が安定していた2都市で行われていました。しかし、戦争中にサッカーの試合をやるわけですから、いくら治安が安定しているといっても、試合をやること自体、危険に身をさらすこともありました。比喩ではなく、実際に砲弾が飛び交うなかで試合を開催しようとしたこともあったようです。
2013年2月20日、ダマスカスのティシュリーン・スタジアムでワスバ対ナワーイールの一戦が予定されていました。スタジアムはいくつものスポーツ施設が集合する「スポーツシティー」と呼ばれるエリアにあり、選手たちはシティー内にある宿舎から会場に向かうところでした。そこに反体制武装勢力が放った2発のミサイルが着弾しました。ワスバに所属するユースィフ・スレイマーンという当時23歳のFWの選手が犠牲となり、他4選手が負傷しました。サッカーの試合会場に向かう選手らを狙った攻撃だと見られ、FIFAもこれには強い衝撃を受けています。
行方不明だったスター選手の死
一方、政権側は戦争勃発以降、大勢のサッカー選手を含むスポーツ選手を逮捕したり、殺害したりしていると言われています。
ジハード・カッサーブというシリアのレジェンド的な選手がいます。1975年ホムス生まれ。ボジションはDF。カラーマというホムスをホームとするチームの所属で元シリア代表のスター選手です。カッサーブが逮捕されたのは、2014年8月19日。容疑は不明です。その後カッサーブの身柄はどこに移されたかすら明らかにされず、行方不明となってしまいます。
それが2年後、2016年9月、突如死亡が発表されたのです。それも発表したのは、政府や警察、あるいは刑務所などではなく、なぜか地元の複数のモスクでした。死因も結局なんの容疑だったのかも明らかにされないままです。しかもまだ遺体は見つかっていません。関係者の中にはまだ生きているんじゃないかと信じる人もいるようです。
シリア人ジャーナリストのアナス・アンムによると、シリア政府はこれまで、殺人や、砲撃、あるいは拷問によって少なくとも各競技合わせて、1部リーグ2部リーグの選手38人、それ以下のカテゴリーの選手数十人を死に至らしめている。少なくとも30人以上の選手が行方不明となっているのだそうです。
主要都市が反体制派の手に陥ちる中で
リーグ戦は確かに戦火の中で続けられていましたが、しばらくは変則的な形での開催を余儀なくされていました。
シリア国内のトップリーグは、シリア・プレミアリーグというんですが、通常は14チームで構成され、ホーム&アウェーで1年間たたかいます。ところが、戦争が始まり、国内の多くの都市が反体制武装勢力や「イスラーム国」あるいはクルド民族主義勢力に奪われる中、従来のシステムでの継続は不可能となってしまいました。
それで、比較的治安が安定しているダマスカスとラタキアのみで開催するようになり(ダマスカスのみで開催するシーズンもあった)、また、全体を2つのグループに分けたりしてリスクを軽減していたようです。しかも、無観客での開催でした。その後、一部観客入場が認められるようになりましたが、スタンドには閑古鳥が鳴く光景が続いていました。
戦争前は、リーグ戦には、毎週合わせて9万人ほどの観客が集まっており、1試合で5万人ものファンが詰めかけることもあるほどだったそうです。リーグは14チームで構成されていましたから、毎週7試合が行われていたはずなので、1試合平均1万数千人ものファンを集めていたことになります。
シリアリーグにはカタールやサウジのように世界的な人気選手がいるわけではありません。それでもこれだけ集客力があったのが事実だったとすれば、中東地域、いや、アジア全体でもかなりの人気を誇っていたリーグだったことになります(毎週9万人という数字、ちょっと誇張があるような気がしますが、人気リーグだったということは間違いないと思います)。
ところが、戦争が激化してからは、国民は電気、水道などのインフラの不備に苦しめられ、日々の生活を送るのが精一杯な状態でしたので、とても国内リーグの試合会場に足を運ぼうということにはならなかったようです。当然試合会場がテロの標的にされないとも限らないという危惧もあったことでしょう。
それでも代表の動向や、スペインのクラシコ(レアル・マドリー対バルセロナ戦)など国際的に注目される試合へのファンの関心は高く、試合当日のスポーツカフェは大変賑わっていたようです。
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(ロシアW杯予選アジアプレーオフで、シリア代表を応援するサポーター)
サッカー人気の復活
2015年9月、ロシアが戦争に介入して以降、戦局は大きく変わり、シリア政権軍が軍事的に優勢に転じるようになります。ホムスやハマ、あるいはアレッポといった主要都市を反体制武装勢力から次々と奪還していきました。
それにあわせて、国内リーグも徐々に正常化に向かい始めます。2015/16シーズンから観客入場が再開。また、2016年4月には、かつて「革命の首都」などと称され、反政府闘争の震源地だったホムスで、試験的にですが6年ぶりに試合が開催されています。2016/17シーズンより1リーグ制に戻ります。
また、ハマ、ホムスでも試合が常時開催されるようになり、2017年1月には6年ぶりにアレッポでダービー戦(イッティハード対フッリーヤ)が行われています。その前の月、長い激闘の末、政権軍がアレッポ市から武装勢力を撤退させており、アレッポダービー開催はその直後ということになります。
2017/18シーズンからほぼ戦争前のレギュレーションで正常化しました。ただし、ハサカ、デリゾール、カーミシュリーでの開催は依然認められていません。これらの都市をホームとするチーム(ジャジーラ、フトゥーワ、ジハード )は大きなハンディを背負った状態でリーグ戦をたたかわざるを得ず、みんな苦戦しています(ジャジーラ、ジハードはプレミアに昇格したもののダントツの最下位で1シーズン限りで降格しています)。
リーグが正常化するに伴い、スタジアムには徐々にサポーターも戻り始めています。今シーズンのスタジアムの雰囲気は、冒頭、動画で紹介した通りです。現在ここまで熱狂が戻ってきているということです。
5 ロシアW杯予選でシリア人の心が一つに?
シリア国内でサッカー人気が復活しつつある背景には、ロシアW杯アジア最終予選でのシリア代表の躍進があることは間違いありません。シリアはこの予選でアジアプレーオフまで進み、史上最高の成績を挙げるとともに、W杯出場寸前というところにまで到達しました。
「サッカーの政治利用」批判
ところで、アジア最終予選をたたかうシリア代表が話題となるとき、きまって上がってくる論点がありました。それは「スポーツの政治利用」についてです。
シリア代表というが彼らはいったい誰を代表しているのか。独裁政権であるアサド政権を代表しているんじゃないか。代表チームは政権によって都合よく宣伝材料に使われている。代表が勝ち進むことによって、政権が自国民を殺害している事実が隠蔽されてはならない、といった主張があります。
これに対して、確かにアサド政権下での代表チームではあるが、だからと言って政権の代表ではない。彼らはすべてのシリア人の代表だ。政権支持不支持はいったん置いて、代表チームを応援しようではないか、といった反論があります。
時の政権がスポーツを自らの宣伝に利用するのは珍しくない話で、日本でも頻繁に見られることだと思います。とくだんシリアに限った現象ではありません。というより、いい悪いは別として、総力戦を戦う政権が国民的な人気スポーツを利用してやろうと、考えない方がおかしいでしょう。
「革命の裏切り者」
それはともかく、シリア代表が予選を勝ち進むにつれて、この「スポーツの政治利用」論争も盛り上がっていきます。それに拍車をかけたのが、予選最終盤になって、二人のスター選手が代表チームに復帰してきたことです。
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(ロシアW杯予選アジアプレーオフ第2戦で先制ゴールをあげたオマル・スーマ)
フィラース・ハティーブとオマル・スーマの二人です。国民から大きな人気を博す彼らはともに、戦争勃発直後、反体制派支持の立場を表明し、反体制派から大喝采を受けていました。
フィラース・ハティーブは1983年ホムス生まれ。シリア代表の歴代最多ゴール記録保持者。カラーマ(ホムス)を経てクウェートのクラブなどでプレー。 2019年引退。2012年、クウェートでシリア反体制派が開いたイベントで「シリアのいかなる場所でも砲撃がなされている限り、代表でプレーするつもりはない」とスピーチしています。
オマル・スーマは1989年デリゾール生まれ。フトゥーワ(デリゾール)を経てクウェー ト、サウジアラビアリーグでプレー。現在サウジのアハリー所属です。サウジでの人気も高く「サウジ帰化」の声も強かったようです。2012 年、クウェートで行われた西アジア選手権でシリアが優勝した際、「革命旗」を掲げ、優勝を自由シリア軍に捧げたとされています。また、シリアの治安機関の手配犯737764番として、 両親とともにリストアップされたと報道されたこともありました。
二人は反体制支持を表明して以来、長く代表に名を連ねることはありませんでした。それが、詳細は明らかにされていませんが、2017年3月以降、体制側から赦免され、代表チームに合流してきたのです。二人の復帰は多くの国民から熱狂的に歓迎される一方、反体制派からは「革命の裏切りだ」と激しく批判されました。
代表に5年ぶりに復帰する決断を行った前後、ハティーブが苦悩する姿を追ったアメリカの大手メディア、ESPNのルポがありますので、お読みいただだけたらと思います(ロシアW杯予選最終盤 シリアで起こっていたこと:独裁者の代表チーム(1) – シリアサッカー事情)
国民の心を一つにしたゴール
ただ、最終予選も最後の局面、イランとの最終戦の頃になると、世論は大きく変わってきます。ふだんは政権に批判的な論調のAFPやCNN、あるいはクドゥス・アラビーといった有力メディアの報道でも、反体制派が支配する地域の住民の中でさえ、シリア代表の勝利を祈るといった声が強いことが伝えられるようになっていました。
代表への思いが最高潮に達するのが、最終戦のイラン戦の終了のホイッスルが鳴った瞬間でした。この試合、シリアは勝てばワールドカップ初出場が決まる可能性がありました。しかし対戦相手のイランはこの予選、別格の強さで早々にW杯出場を決めている超強豪です。しかも会場はテヘランのアザディスタジアム。アウェーチームが勝つことは至難の技と言われる「魔境」です。下手をすれば完膚なきまでに叩きのめされる可能性だってあるのです。
試合開始早々、シリアのターミル・ハーッジ・ムハンマドが幸先よく先制点を挙げたものの、その後はイランのペース。イランのエース、サルダール・アズムンの2得点であっさりと逆転され、ゲームは終盤を迎えてしまいます。このまま終わればシリアの予選敗退が決まりますが、引き分けに持ち込めば、オーストラリアとのアジアプレーオフに回ることができ、まだワールドカップへの道がつながります。
そして最後のワンプレー。「革命の裏切り者」と批判を浴びていたスーマが、イランのゴールネットを揺らしたのです。劇的な同点ゴールです。そのまま試合はタイムアップ。
スーマのゴールとアナウンサーの正気を失ったかのような実況を次の映像で確かめてみてください。なお、この映像ではイランのGKがちょっと間抜けに見えて気の毒です。この選手はアリレザ・ベイランヴァンドといって現在アジア最高のGKの一人と言われており、わたしの好きな選手でもあります。スーマのタイミングを見計らったシュートがすごかったと見るべきでしょう。
またこの日、ダマスカスのパブリックビューイング会場で試合の行方を追っていた人々を描いた短い動画があります。シリア人の喜びがよく伝わってくる映像です。こちらも見てみてください。
サッカーの政治利用は成功したか
アジアプレーオフに進んだシリアでしたが、結局2試合合計2-3で負けてしまい、初出場の夢は潰えました。それでもオーストラリアとの死闘は見るものを感動させるもので、試合後、シリア代表を讃える声は多かったようです。
シリア政権側のサッカーの政治利用は、結局のところ大成功したと言えると思います。戦争で不幸のどん底にある国の代表チームが、世界を驚かすような躍進を見せた。現在のアサド政権には問題点が多々あるのかもしれないが、シリアもなかなか頑張っているじゃないかと感じた人は大勢いたと思います。反体制派が言うように、代表チームもハティーブやスーマなどのスター選手も、うまく独裁政権の宣伝に利用された、という面もあるかもしれません。しかし、それだけではないとわたしは思います。
オーストラリアとのプレーオフを、わたしは2試合ともネット中継でリアルタイムで見ていました。2戦目は90分が終わった時点で1−1の同点、2試合合計2-2となり延長に突入します。しかし延長に入って、日本でもおなじみのティム・ケーヒルがヘディングシュートを決めてオーストラリアがリードを奪います。
一方シリアの方は中盤の要として機能していたマフムード・マワースという選手を後半終了間際に退場で失い、以後完全に攻め手をなくしてしまいました。シリアに勝機があるとすれば、セットプレーでなんとか同点に追いつき、PK戦に持ち込む以外ないという状況でした。
そして延長もまもなく終了というギリギリの時間帯で、シリアがオーストラリアゴール前でフリーキックを獲得します。絶好の位置。キッカーはスーマ。蹴る直前、カメラはスーマの表情をアップでとらえます。このとき、映像を見ていただければおそらく驚かれると思うのですが、スーマはほとんど泣いているように見えるんですね。そして何かつぶやきながらシュート態勢に入っていきます。
しかし、彼の右足から放たれた強烈な弾丸はゴールポストを直撃し、ピッチの外へ転がっていき万事休す。これがそのときの映像です(フリーキックのシーンは14分10秒くらいから)。
わたしはスーマの表情を見て、胸が熱くなり息苦しくなりました。おそらくこのシーンを見守っていたすべてのシリア人は何かしら心を揺さぶられたのではないでしょうか。独裁政権に利用されたとか、革命の裏切り者といった批判などとはまったく違うものをスーマの表情から、あるいは圧倒的な不利な条件のもと、ボロボロになりながらも長い予選をたたかい続けてきた選手たちの中に、感じ取ったのではないかと思うのです。
サッカーが政権の宣伝に使われたのは事実でしょう。しかしあの瞬間、体制側の思惑を超え、様々な立場の国民の中に一体感も生み出したのではないかと思うのです。それがスポーツ、あるいはサッカーの持つ力、可能性ではないでしょうか。そんなことを感じました。ご清聴ありがとうございました。(寺園敦史 2020年9月26日)