レバノン・シャティーラでパレスチナ・シリア難民選手権

今回紹介するのは、ドイツの国際放送局DW(ドイチェ・ヴェレ)アラビア語版が2017年11月29日付けで報じた、レバノンの難民キャンプで行われているサッカー大会に関する記事です。

数日前、レバノンのシリア難民の数が3年ぶりに100万人を下回ったと報じられました(3年ぶり100万人以下に=レバノンのシリア難民:時事ドットコム)。

減ったとはいえ、岐阜県と同じくらいの面積の場所に、2011年以降の短期間に100万人近い人が押し寄せているわけで、尋常な事態ではないと思います。また、レバノンの場合、古くから大勢のパレスチナ難民が暮らしていますので、さらに込み入った問題が生じているのではないかと想像されます。

ところが、今回紹介する記事では、パレスチナとシリアの難民どうし、意外に仲良くやっているようです。レバノンにはパレスチナ、シリアからだけでなく、アジア、アフリカの国々から大勢の難民がやってきており、日本でも名が知られているシャティーラ難民キャンプのグラウンドでは、毎日そんな彼らによる「ミニワールドカップ」が行われているんだそうです。このこと自体、痛ましい現実の反映ではあるには違いありませんが、なかなか愉快なエピソードではないでしょうか。

本文記事の補足。シャティーラ難民キャンプには、大きなサッカーコートと複数の小さなコートがあり、「難民キャンプ選手権」は毎日曜日、ここの大きなコートで行われています。

それとは別にキャンプ内には、地元自治体が運営する小さなグラウンドがあります。設備はすばらしいようですが、使用料が高すぎて、地元の難民はほとんど利用できず、NGOが運営する学校も別の小さな広場で授業を行っているとのことです。

記事には、いくつものグラウンドが出てきて、その関係を記事を一読するだけでは理解しづらいのですが、整理するとおそらく以上のような関係になっているんだと思います。

(下の写真は、2015年11月撮影されたシャティーラ難民キャンプの様子。記事にあるように建物が「蜂の巣」に見えないこともない。同キャンプは1949年に設立された)
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元記事URL http://www.dw.com/ar/كرة-القدم-في-مخيمات-اللاجئين-بلبنان/a-41569854

 

レバノン難民キャンプとサッカー

掲載紙:DW(ドイチェ・ヴェレ)
掲載日:2017年11月29日

(文中の*は訳注)

 

ベイルートでは毎週、国内の難民キャンプのサッカークラブによる「難民キャンプ選手権」の試合が行われている。この大会は13年前に設立された当時のような、パレスチナ人だけのリーグ戦ではもはやない。

日曜日の夜、ベイルートを日没の大気が包み込む頃、シャティーラ難民キャンプをハイウェイが分断するエリアにある市の公園のはずれのサッカーコートを、まばゆい照明が照らす。

サッカーコートの片隅では、一人の男性が、ピッチに広げたカルミル・クラブのオレンジ色のユニホームの上でひざまずき、ひれ伏している。礼拝をしているのだ。芝生に敷いたユニホームは「じゅうたん」である。礼拝後、男性はユニホームを着用し、サッカー選手となり、「キャンプ選手権」の試合前の準備運動を始めた。

10チーム以上が参加

2004年、パレスチナ難民のためのこの大会は、ベイルートで立ち上げられた。当初は、6チームの参加だった。

「それが今は12チーム以上に増えているんです。シャティーラ、サブラー、それにブルジュ・バラージュナの難民キャンプのチームが参加しています」とターリクさんは、チームが所在する難民キャンプの数をかぞえあげる。

ターリクさんは、シャティーラ難民キャンプにあるカルミル・クラブで20年以上もコーチをしている。彼は、近くにいる大人の男性や若者たちを見ながら「本当にみんな大きくなったものですよ」とほほえむ。

たとえば、シャティーラ難民キャンプで生まれたムウタッズくん(18歳)は、トラック運転手として働く。同じくシャティーラ生まれのムハンマドくん(18歳)は、現在料理学校で学ぶようになっている。また、オマルくんは、年齢も仕事も明かすことを望まなのかったが、彼にとってサッカーは人生そのものなんです、と彼らを手助けする人たち(*おそらくこの「キャンプ選手権」を支援するNGO団体の人たちのことだと思います)は言う。

潰えたプロ選手になる夢

ゴールキーパーグローブを着けているひとりの屈強な若者も、この意見に同意している。彼はシャティーラ生まれではない。ターリクさんはこの選手ほどの高い技術を持つものをこれまで見たことがなかった。

「われわれのチームのゴールキーパーはシリアのラッカから来ているんです」とターリクさんは言う。

そしてこのキーパーにアラビア語で通訳しながら、彼がシリアのトップリーグのプロ選手の道を進むことを夢見ていた若者だったと話した。だが、戦争が始まり、「ダーイシュ」がやって来た(*「ダーイシュ」はIS=「イスラーム国」のアラビア語での略称。ラッカはシリア北部の都市で2017年10月までISの拠点都市の一つだった)。ラッカでサッカーだって? とムハンマドくんは苦々しく笑う(*前出の料理学校で学ぶムハンマドくんではなく、シリアから来たこの若者のことだと思います)。今は、彼は、建設現場で働きながら、シャティーラ難民キャンプのはずれにあるアパートで暮らし、日曜日になるとサッカーをする。

パレスチナ人とシリア人、ともにプレー

パレスチ難民のサッカー大会は、ここ数年で、シリア人とパレスチナ人の大会と化した。

ターリクさんがコーチをつとめるカルミルのレギュラーには5人のシリア人選手が占める。シリア人でレギュラーを構成するチームもいくつかあるくらいだ。

「何も問題はありませんよ。われわれは難民キャンプで一緒に生活しているんですから。われわれはサッカーが好きで、ともにプレーしているということです」とターリクさんは話す。

ターリクさんによると、シリア人だけのチームはないというが、そういうチームが出てくるのも時間の問題である。

蜂の巣

最近、シャティーラ難民キャンプはシリア難民のキャンプになったのかという議論がある。それまで約2万3000人いたパレスチナ人に加え、シリア革命が暴力的に弾圧され出して以降、シリアから大勢の人びとがやって来て、キャンプの人口は5万人に達した。

いまキャンプは、狭い空間に家々がひしめき合う小さな町のようになっている。アパートはまるで蜂の巣のように見える。

このような狭い場所で、ストリートサッカーをするのは不可能なことだ。デンマークNGO「ゲーム・レバノン」が週に1回、シャティーラ難民キャンプの路上で、ストリートサッカーの大会を開催している。

スポーツ

シャティーラには高いフェンスに囲まれた唯一のグランドがある。その入口は、自転車用の錠前で施錠されている。このグラウンドの環境はすばらしいものだ。人工芝の状態は良い。ピッチにはFIFAの国際基準に準じたラインが引かれている。ゴールも自立している。また、明るい照明設備まである。

だが、グラウンドの鍵を開けてくれたムハンマドさんによると、このグラウンドは夜間をのぞき、昼間は誰も使用していないのだという。

「これがレバノンです」

「あそこのグラウンドを使うには、使用料を、1時間に20ドル払わないといけないんです」とカルミル・クラブのコーチ、ターリクさんは言う。

「だから難民キャンプのあのグラウンドを私たちはほとんど予約することができないんです。子どものチームのために1時間、大人のチームのために1時間予約しているだけです。それから、われわれは6対6の(*ミニゲーム形式の)練習をしています」と続け、こう強調する。

「使用料がわれわれには高すぎるんですよ」

グラウンドは市が運営しており、使用料を課しているもの市だ。「これがレバノンですよ」とターリクさんは言う。

不合理なことだ。複数のNGOが難民キャンプの子どもや若者のスポーツ活動に資金提供を行っているが、この小さくて見事なグラウンドの周囲には使用料支払いというフェンスが張りめぐらされている。

シリアのNGO「微笑みとオリーブ」が運営する学校には700人もの子どもたちが通っているが、小さな運動広場を利用している。学校にとって近くにあるそのグラウンドの使用料が高すぎるからだ。

あらゆる場所に光が

いずれにしても、難民キャンプの古くからの住民と新たにやってきた住民とは、お互い理解し合っている。毎日曜日になると、「キャンプ選手権」の試合で難民キャンプ前の大きなサッカーコートを使用することができるのだ。

「ここは使用料を払う必要がありません。わたしたちは、レバノン人たちと互いによく理解し合っています」とターリクさんは言う。

この大きなコートの近くにいくつかの小さなコートがあり、そこは明るいライトで照らされている。レバノンのチームとアジアやアフリカの難民たちがここでともにプレーしているのだ。毎日にように「ミニワールドカップ」が行われている。ピッチには、メッシやロナウド、ネイマールの真似をする選手でいっぱいだ。ときには、シュバインシュタイガーのユニホームを着たものさえいる(*おそらくドイツのメディアの記事だからシュバインシュタイガー選手の名前を出しているんだと思います)。

パレスチナ・シリア難民キャンプ選手権では、ドレスコードがあり、各チームとも独自のユニホームを着用している。このことは、団結と参加意識の向上に役立っている。

(トゥーム・マウストルーフ)

フリーライター/書籍編集者。アラビア語学習者。サンフレチェ広島とザンクト・パウリ(ドイツ)を愛す。シリアに平和が戻れば、アル=ジハードというちいさなクラブを追っかける旅をしてみたいと思っている。趣味はシーカヤック。京都市在住。

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