前回に続き、シリア代表をめぐる「政治とスポーツ」の議論を扱った記事、イナブ・バラディーが2017年9月10日に掲載したمتلازمة الرياضة والسياسة في سوريا.. هل يمكن الفصل؟ – عنب بلديの後半部分です。
反体制派による代表チーム結成をはじめとするスポーツ戦略が行き詰っている事情が語られています。
今回の記事の中で興味深いのが、掲載紙のイナブ・バラディーがインターネットを使ってアンケート調査をしている部分です。現在のシリア代表チームを念頭に、政治とスポーツの関係について、読者の考えを聞いています。
イナブ・バラディーはその設立経緯、および論調から見て、明らかに反政府系で、調査に協力する読者もその支持者が多いと推測されますが、こういった取り組みは意味があると思います。
しかし、失敗に終わっているとはいえ、反体制派がめざす「自由シリア代表チーム」結成の取り組みは大いに疑問ですね。一方では、現在の代表チームを「アサドの代表」「樽爆弾チーム」と批判しておいて、自らも完全に政治的意図から別個にチームを結成するという行為は、明らかに矛盾していると思います。政治によるスポーツの悪用に対する批判は、どんどんやるべきだと思いますが、自分たちから分裂を持ち込み、国民間にさらに溝を作ろうとしているかのような行為にうつります。
前回投稿の前半部分同様、散漫に感じるところは適当に圧縮して日本語にしています。
また、記事には最後、識者の評論も併載されているのですが、なんだかこのテーマの記事を読むのにくたびれてしまったので、割愛させていただきました。
元記事URL https://www.enabbaladi.net/archives/171950
シリアにおける「スポーツと政治」症候群 切り離すことは可能か?(2)
掲載紙:イナブ・バラディー
掲載日:2017年9月10日
執筆者:イナブ・バラディー調査班
(小見出しの一部は訳者 文中の*は訳注)
読者アンケート:
7割が切り離しは不可能と回答
本紙(イナブ・バラディー)は、シリアにおいて政治をスポーツから切り離すことの可能性について意見を聞くため、ウェブサイトを通した読者アンケートを行った。
約550人が回答を寄せた。設問は、「現在のシリアにおいて政治をスポーツから切り離すことはできると思いますか」というもの。
回答を寄せた大半(69%)が、シリアにおいては切り離すことができないと考えている。代表チームを所管する機関が、シリア政府に従属し、「政治団体化」しているので、不可能だとしている。
タラール・サフィーヤさん(*回答者の一人)は、「切り離すことはできないと思います。というのも、代表を所管する機関は、この国のスポーツの発展をはかる中立的なものではないからです。それどころか、政権に従属する機関になっています」と説明し、こう続ける。
「だから試合に勝ったとき、彼らは指導者の写真を掲げ、いつものスローガンを叫んだのです。たとえば、なぜ、前代表監督のファジル・イブラーヒームは、記者会見でバッシャール・アサドの写真が入ったシャツを着なければならないんでしょう。これは政治的メッセージですよ」
マフムード・ファフドさん(*同前)は、「重要なのは指導部の意見なんです。指導部が切り離せと言えば、彼らは切り離すだろうし、切り離すなと言えば切り離さない」と皮肉っぽく解説する。
その他、体制側は、シリアでは自分が唯一「正統性」を持っているんだと主張するために、代表チームの躍進や反体制派の二人の選手の代表復帰を、自らの有利になるよう悪用しようとしている、とみる意見もある。
独立機関創設が解決策
逆に、回答者の31%は、シリアでスポーツが政治化しているという見方を否定している。彼らは、代表チームは「国民を代表しているのであって、政権を代表しているわけではない」ととらえている。
ハンザル・ムハンマドさん(*同前)は、「政治とスポーツは切り離されるべきです。両者は関係ありませんよ」と話し、続ける。
「政治については、誰でもそれぞれの意見を持っています。しかし、スポーツには国民共通の目標があります」
一方、代表チームの所管を、政権側とも反体制側とも関係を持たない独立機関に移譲すべきだという意見を支持する人びともいる。
ハーリド・マラーさん(*同前)は、「政治とスポーツを切り離すことなんてできません。しかし、体制側と関係を持たない外部機関が、チームを管理するようにすることは可能だと思います。そして個々が好きな旗を掲げるなど、選手やコーチ陣に判断をすべてゆだねたらいいと思います」と説明する。
なぜ革命勢力は代表チーム結成に失敗したか
「シリアスポーツ機構」は、ダルアー、ダマスカス郊外、アレッポ、そしてイドリブといった県の12のスポーツ連盟と4つの(*スポーツ組織の)執行委員会によって結成された。また、シリア国内外の140以上のクラブも加盟している。
機構は、2014年3月の創立以来、シリア国内外でいくつかの大会を組織してきた。また、イドリブでは今年(*2017年)8月、サッカーの第1回リーグ戦が開催されたが、その際機構は、イドリブ県の各クラブをレベルごとに編成するなど、支援している。
サッカーの代表チーム応援に関する国民の分裂(革命の支持者たちは応援する人たちのことを、体制側に加担する行為だとして批判している)は、シリア革命側が独自の代表チーム結成に失敗していることについて、いくつかの疑問を投げかけることになった。
代表チームは、反政府勢力としてシリアのスポーツ分野の活動を牽引するはずだった。「シリアスポーツ機構」は、体制側の支配が及ばない地域、あるいは隣国でのスポーツ活動の支援には成功しているものの、現在のところ、「自由シリア代表」の結成には至っていない。
冷淡なFIFA、IOC
代表チーム結成の試みは、過去、さまざまな理由ですでに失敗してきた。シリアスポーツ機構会長を務めるズィアール・ムアッレムは本紙の取材に対し、その理由をこう説明している。
「行く手を阻む多くの障害があるのです。もっとも大きな障害は、シリア国内外から選手を集めることの難しさです。物質的な支援や国際社会の協力が弱いこと、また、選りすぐりのプロ選手を集めて、トルコなどシリア国外で試合を組織する際、選手たちのビザ取得の問題もあります」
また、ムアッレムは代表チーム結成の意気込みを語ったが、「しかし、招集する範囲をハマからアレッポまでにしか広げることができていません。というのも、ダルアー、ホムス、グータなどそれらの地域の大半を政権側が封鎖しており、これらの地域から選手を呼ぶことができないからです」(*ダルアー、グータは反体制武装勢力圏にある。ホムス県でもまだ反体制派が支配を握っている地域が残っている)
その上でこう強調する。「今日まで、アサドに従属していない代表チームが承認されるには至っていません。しかし、もし、国際社会が、われわれのチームの承認に動いてくれれば、政府側、シリア革命側、そしてその連立のチームが承認されることになるわけです」(*連立チームが何を指すのか不明です)
FIFAからの承認を得るため、機構は過去数年もの間、国際競技連盟と調整を続けてきたが、いまだ回答を得られていない、とムアッレムは言う。
「この5月(*2017年)も、トルコで国際オリンピック委員会の委員たちと議論しました。トルコで行われる卓球の世界大会への正式な招待状を受け取った後のことです。しかし、回答はこうでした。各国からひとつの委員会しか承認することはできない、とね」
支援提供団体に振り回される
「自由シリアサッカー連盟」会長ナーディル・アトラシュによると、「バランスに欠き、支援の提供を行う財団やその他の団体の意向に振り回されている機構の活動」が、代表チーム結成を阻んでいる主要な理由だったという。
現在の、(*反政府勢力の)代表チームの承認をめぐる状況をみると、実現の可能性は見出せない。というのも、アトラシュによると、「国際サッカー連盟は、まったく公平性に欠いているだけでなく、腐敗と私利私欲にまみれているからです」ということだ。
「自由シリアサッカー連盟」は、過去に、体制側のサッカー連盟と共同活動するために、同連盟と協議を行うことを求めるFIFAからの提案を拒絶した、とアトラシュはいう。「われわれはどんな決定をしようが自由ですからね」
常に政治的な思惑が持ち込まれてきたスポーツ界
スポーツをきっかけに世界政治が変わったことを示す一番の事例は、1971年、日本で行われた卓球の世界選手権を、中国が利用したことだ。中国はこのとき、アメリカ代表を親善試合開催のため自国に招待したのだ。このときのアメリカ代表選手たちは、20年以上に及ぶ断交期間を経て、中国を訪問した初めてのアメリカ人となった。このアメリカ代表の訪問が、翌年のリチャード・ニクソン大統領の中国訪問の道を開いた。
政治家たちにとって、これまでのツケを帳消しにすることができるお気に入りの選択の場とみなされている最高のスポーツの舞台、といえばオリンピックである。1920年、第1次大戦直後にベルギーで開催されたオリンピックでは、ドイツ、オーストリア、ブルガリア、トルコ、ハンガリーといった敗戦国には制裁として、招待状は送られなかった。
1980年のモスクワ・オリンピックでは、アメリカのジミー・カーター大統領の呼びかけにより、61か国がボイコットしている。ソ連がアフガニスタン戦争に介入したことが理由だった。
そして、1984年のロサンゼルス・オリンピックでは、ソ連とその同盟国がボイコットしている。
シュメリングとムハンマド・アリー
スポーツの政治利用は、世界政治レベルにとどまらない。それは個人に対する圧力として、たとえば、政治的見解に対する制裁、あるいは、過激なイデオロギーの宣伝という形でも行われている。
1937年、ドイツは、ドイツ人ボクサー、マックス・シュメリングがアメリカの黒人ボクサー、ジョー・ルイスに勝利したことを、アーリア人の優位性、およびアーリア人が世界の指導者にふさわしいことを示した証拠だとして宣伝した。アドルフ・ヒトラー総統は、(*アメリカで行われた試合から帰国した)シュメリングを出迎え、高位の勲章を授与し、民族の英雄として讃えた。
ところが、ジョー・ルイスが、リターンマッチでシュメリングに勝利すると、ドイツメディアはラジオでの試合の実況放送を打ち切り、ナチス政権は敗れたシュメリングを見捨てた。
1964年、アメリカは、ボクシングの世界チャンピオン、ムハンマド・アリー・クレイから、タイトルと賞金、およびボクシング選手のライセンスを剥奪した。ベトナム戦争に対するアリーの立場と、従軍を拒否したことが理由だった。
アルジェリア民族解放戦線代表チーム
(*政治とスポーツをめぐる)過去の政治的歴史的な出来事の事例は、アラブ世界にもある。とくに、1958年、フランスの植民地主義に対する抵抗運動のさなか、大きな成功を収めたアルジェリアの事例に言及しなければならない。革命を指導するアルジェリア民族解放戦線は、サッカーの代表チームを結成した。チーム結成の目的は、親善試合を通じて、アルジェリアの実情を世界に知らしめることだった。
フランスが、国際サッカー連盟(FIFA)に圧力をかけ、このチームの承認を妨害することには成功したが、チームは東ヨーロッパ、アフリカ、アジア各地で親善試合を80試合行った。独立後、この代表チームをもとにアルジェリアサッカー連盟が立ち上げられた。
紛争から7年経ち、シリアでは、体制側が有力選手たちを引きつけることに成功するまでになっている。反政府系の人びとは、反体制派組織を内部の不和や怠慢を理由に批判しているが、このアルジェリアの経験から学ぶ必要があるだろう。
政治利用の果てに
アメリカの国立科学アカデミーが2010年に発表した研究では、選挙前の10日以内に行われたスポーツの試合で、その国あるいは地元の代表チームが勝利したことと、投票率の間には関係性があることを示している。すなわり、チームが勝った場合投票率はより高くなり、そのチームのファンが多ければ多いほど投票率は高くなるという。
スポーツはおそらく今後も人びとにとって歓喜がもたらされる唯一の場であり続けるだろう。とりわけアラブ諸国にとってはそうである。だが、政治家たちによる人びとの感情を震わす感動的な選手や出来事の利用は、結果的にスポーツを、多くのサポーターたちが望む純粋なものからかけ離れたものにするだろう。(この記事以下略)