シリア北部の都市ラッカは、2014年はじめから「イスラーム国」の支配を受け、住民は過酷な生活を強いられてきました。2017年10月、クルド人民防衛隊(YPG)を主力とするシリア民主軍が、町を奪還しました。徐々にではありますが、ラッカはかつての日常を取り戻しつつあるようです。
今回紹介するのは、そのラッカでサッカー大会が開催されたという記事です。
ラッカに、あるいはシリアに限ったことではないと思いますが、メディアは「イスラーム国」が伸張し、欧米諸国にとっても大きな脅威となっていた時期は、ある程度報道を行います。しかし、彼らが去った後、人びとはどういう状況にあるのかということには関心が十分向けられていません。
今回もAFPの記事ですが、ラッカ市民の今の姿を垣間見ることができます。現地取材をしているようなのですが、大会の様子を伝える写真が掲載されていないのが残念です。
元記事URL:
ISのもとで監獄だったラッカのスタジアムでサッカー大会
掲載紙:ハヤート(AFP配信記事)
掲載日:2018年4月17日
(*は訳注 小見出しは訳者によるもの)
投獄されたスタジアムのピッチで
「イスラーム国」(ダーイシュ)が監獄として使っていたラッカ・バラディー・スタジアム。数年前、ここに拘留されていたアジーズ・サージル選手が、チームメートとともに、隣のタブカ市(*サウラ市)からやって来たライバルチームとの待ちに待った試合にのぞんでいる。シリア北部の地元の大会の一戦だ。
大きなスタジアムの観客席はほとんど無人だが、それでも両チームの数十人のサポーターが観戦している。彼らは、ゴールが決まりそうになったり、決まったりするごとに興奮した声を上げている。
チームメートとともに芝のはげたスタジムのピッチに入る前、アジーズさん(25歳)は話す。
「監獄だった時代は過ぎ去りました。終わったんです。今、ぼくたちは不安から解放されて幸せな気持ちです。アッラーのおかげです」
この若者は約3年前、スタジアムの1室にひと月間拘留されていた。その間、釈放されるまで、「イスラーム国」のメンバーらから、彼がシリア政権軍を離反したことについて、取り調べを受けた。
アジーズさんはこう言う。「(*「イスラーム国」に支配されていた)3年間は別として、昔の暮らしはすばらしいものでしたよ。しかし、スポーツする機会をぼくたちは奪われたのです。スポーツは禁止されていたわけではありませんが、やつらはスポーツを嫌悪していましたから」
監獄と化したスタジアム
「イスラーム国」は、シリア北部の都市ラッカを2014年はじめから支配した。同時に、シリアと隣国イラクの広範な一帯を支配下に置いた。クルド人とアラブ人の部隊で構成され、アメリカの支持を受けた「シリア民主軍」が「イスラーム国」を放逐する2017年10月まで、ラッカはシリアにおける彼らの最も重要な拠点だった。
町が「イスラーム国」の支配下にあった期間、彼らは服装を含め市民生活に厳しい統制を課した。スポーツや娯楽はほぼ完全になくなった。
アジーズさんは「やつらは、たとえばレアル・マドリードやバルセロナといったロゴが入った服を身につけることすらも禁じました」と説明する。「また、ぼくらのチームのユニフォームも奪われました。ぼくらはすそが膝の下まであるウェアを着なければなりませんでした」
この過激派組織はスタジアムを大きな監獄に転用した。そこは、ラッカが(*シリア民主軍によって)完全に制圧したとの声明が発表されるまで、「イスラーム国」のラッカでの最後の拠点だった。彼らが支配していた頃、市民はスタジアムに入ることも近づくことも禁じられていた。
スタジアムのバックスタンドには、あちこちに明らかな破壊の跡が見られる。ピッチには空の薬莢が放置されていた。フェンスには、「カリフの国」などといった「イスラーム国」のスローガンが書かれたままになっている。監房として使用していたスタジアム内部の部屋の壁には、神を讃える多くの落書きが書かれていた。
選手たちのドレッシングルームやリラックススペースとして使われていた場所は、「イスラーム国」の尋問部屋となり、見る影もない状態だ。
取り戻されたスポーツ
観客席には、両チームのサポーターが、「イスラーム国」時代では聞くことのなかった熱狂的な歓声を上げている。地元ラッカのチーム、ラシードの選手たちは白、対戦相手のタブカ市からやってきたサッドの選手たちは黄色を基調としたスポーツウェアを身に着けている。
この両チームによるゲームは、ラッカ文民評議会のスポーツ青年局が主催した大会の一戦である。同評議会は「シリア民主軍」の管理下、市民生活に関する運営を担っている組織だ。大会には、「シリア民主軍」が掌握するシリア北部、東部の多くの地域から8チームが参加している。
ラッカスポーツ課(*前出のラッカ文民評議会スポーツ青年局の下部機関だと思われる)のナシュワ・ラマダーン・シャイハーン共同代表は、この試合を観戦しながら次にように話した。
「これは、市が過激派ダーイシュの支配から解放されて行われた初めてのサッカー大会です。…私たちはスタジアムをスポーツの場として取り戻すことができたのです」
今後、女子のスポーツ活動の取り組みも行う予定だという。
ゴールが決まるごとに、観客の男性や若者、それに子どもたちが、ジュースやお菓子を手にしながら歓声をあげる。サポータの一人がドラムを叩きながらサッドチームの応援の指揮をとっている。試合はサッドの勝利で終わり、決勝進出を決めた。サポーターたちは、歓喜のあまり踊り出しながら歓声をあげている。
サッドチームのハーリド・カーシム監督(34歳)は、試合後次のように話した。「私たちはこの大会を契機に、町のスポーツ活動が再び活気付くことを願っています」
スポーツは生活の一部
ラッカから「イスラーム国」を放逐して6か月、いまだ多くの地区は破壊されたままで、生活上の諸問題があるにもかかわらず、数万人もの住民が帰還してきており、それとともに、町は活力を取り戻しつつある。市場や商店も徐々に営業を再開し始めている。
試合を甥っ子と一緒に観戦したラッカ市住民の一人ムハンマド・ハールーニーさんは、「ヒスバ(*住民の日常生活を取り締まる「イスラーム国」の宗教警察)は「やつらはぼくらに、ジハードは最高のスポーツだと言っていましたよ」と話し、こう続けた。
「アッラーのおかげで、やつらから解放され、ふだんの生活を取り戻すことができました。スポーツは生活の一部であり、楽しみです」