アラブ初の女性監督はスーダンから

今回は、男子チームを指導するアラブ、そしてアフリカで初の女性コーチの紹介記事です。

中東地域、あるいはイスラーム圏では、女性の社会進出が遅れているというイメージがあります。それが地域的な慣習によるものなのか、宗教的制約によるものなのかは別として、たしかにヨーロッパの一部の国ぐにに比べると、遅れている面があると思います。

しかし、湾岸諸国は別として、多くの分野で日本よりは社会進出は進んでいるように感じます。

とはいえ、男子サッカーチームを指導する初の女性指導者がスーダンから生まれていたとは、意外でした。彼女がコーチに就任したのは草サッカーチームなんかではなく、れっきとしたプロリーグのチームで、報酬も男子コーチと遜色ないと言うから、驚きです。

国内には女子サッカーチームも、女子サッカーを管轄する公的組織もない中、逆に女性がサッカーに関われるのは指導者になるしかなかった、という発想が面白いですね。

今回の記事、肝心な点ではっきりしないことがありました。英語でもそうですが、アラビア語でも「監督」のことを「コーチ」と呼びます。この女性がコーチになったとはいうものの、それが監督のことなのか、それともアシスタントコーチなど監督以外のことなのか、判断できませんでした。

おそらく、国内2部リーグでは「監督」だったと推察しますが、現在のアル=アハリーというクラブでは、監督ではなくアシスタントコーチかなんかではないかと思います。というのも、このアル=アハリーは、1部リーグのクラブで、Wikipediaなどで調べても、彼女の名前が監督欄には記載されていないからです。

アル=アハリーという名前のクラブはスーダン国内に複数あるみたいなので、1部リーグ以外にも同名のクラブがあり、もしかしたら彼女はそこの監督をつとめているのかもしれません。


元記事URL:
http://gate.ahram.org.eg/News/1860333.aspx

アラブ、アフリカ初の女性監督

掲載紙:アルアハラーム(AFP配信)
掲載日:2018年4月3日

(*は訳注 小見出しは訳者によるもの)

http://gate.ahram.org.eg/News/1860333.aspx より

スーダンの女子代表チームの結成は、未だ達成されていない夢である。だが、サルマー・マージディーは、この人気スポーツに対する自らの情熱を満たす方法を見つけ出した。男子チームの監督になるという方法である。

監督になるまで

サルマー・マージディー、27歳。国際サッカー連盟(FIFA)のホームページによると、彼女は、アフリカおよびアラブ世界において男子チームの監督に就任した初めての女性である。この分野におけるパイオニアだ。

この道を選んだ理由について尋ねるAFPの取材に対し、サルマーはこう答えている。「サッカーは、わたしが一番大好きなものだからです」

スポーツウェアに黒のヒジャーブを身につけて、褐色の肌をもつこの若い女性は、首都ハルツームの東、ケダーリフ市にある土のグラウンドで、アル=アハリークラブのトレーニングを指揮している。選手たちは彼女のことを「おねえさん監督」と呼んでいる。

サルマーは明かす。「わたしが指導者になったのは…スーダンには今も女性サッカーというものが存在していないからです」

思春期の頃から、退職警官を父に持つ彼女は、サッカーに夢中になっていた。そして、16歳でアル=ヒラール・クラブのサッカースクールに通う彼女の弟につきそっていたところ、コーチという仕事に関心を持った。そして練習の間じゅう、技術的なことや動き方、ポジションについて、注意深く観察するようになったのである。

ケダーリフ市のグラウンドの猛暑の中、AFPの取材に対し、彼女はこう話す。「練習が終わるといつも、練習で監督が用いた技術的なことについて、監督と話し合っていました。そして、わたしのサッカーへの情熱を認めてくれた監督は、一緒にチームを指導する機会を与えてくれたのです」

「世界で最も影響力のある100人」

サルマーはアル=ヒラールの育成年代(13歳以下と16歳以下のカテゴリー)の監督に就任した。アル=ヒラールは、ナイル川をはさんでハルツームの向かい側、東岸にあるオムドゥルマン市のクラブである。

当初、サルマーのサッカーに関する知識や戦術的な見識を疑問視する見方があったが、時が経過するにしたがって、消えていったんだと、サルマーは、自信を秘めるかのようなか細い声で強調する。

イギリスの放送局BBCは2015年、その年の「世界で最も影響力を持つ女性100人」の一人に、サルマーを選んだ。彼女は数々のチームのコーチに就任していく。主なものでは、ナスル、ナフダ、ナイル・ヒルファー、マウラダなどがある。これらは、スーダンの国内リーグ2部のチームである。

また、サルマー・マージディーは、アフリカサッカー連盟(CAF)のカテゴリーBのコーチライセンスを取得している。これは、アフリカのどの国のクラブのトップチームでも指導することを認められたライセンスだ。

サッカー界で活躍したことで知られるスーダン人女性には他に、レフェリーのマニーラ・ラマダーンがいる。マニーラは1970年代、男子チームの試合でマッチコミッショナーの任に就いた。

保守的社会とイスラーム法にはさまれて

スーダンは1948年に国際サッカー連盟に加盟、また、エジプト、エチオピア、南アフリカとともにアフリカサッカー連盟の創立メンバーとして知られている。だが、この国のサッカーレベルはあまり成長をとげることがなかった。男子の代表チームが1970年に、アフリカ・ネイションズカップに1回優勝しただけである。

1983年、スーダンにイスラーム法(シャリーア)が適用されることになって以来、国内の女子サッカーは、大きな困難と規制に直面することになった。

スーダンは、法律的には女子サッカーを禁止しているわけではない。だが、社会の保守的な特性と、シャリーアの適用は、サッカーの普及やプレーすることを難しいものにした。女性が競技しようにも、公的な組織や女性チームが存在しないのである…。いつの日か国外のチームを指揮したいと希望しているサルマー・マージディーはこう話す。

「女子サッカーに関して多くの障害はありますよ。でも、わたしは成功することを決心したんです」

「コーチが女性で何が悪い?」

サルマーの歩みは、平坦なものではなかった。大学の会計学と経営学の学士号を持つこの若い女性はこう話す。

「スーダンは部族社会です。…いくつかの部族は女性の役割は家庭内のことに限定されるべきだと信じ込んでいます」

忘れることができない出来事について、サルマーは話す。

「わたしの指示を聞くことを拒否する一人の選手がいました。彼はわたしにこう告げたのです。自分は、男というものは女からの命令に従ってはならないと教える部族の出だ、と」

最終的にこの選手がサルマーのことを監督として認めるまでには長い時間を要したと言う。

「今は彼はとてもいい選手になっています」とサルマーは言う。彼女は現在フルタイムでチームを指導をしており、男性コーチと同等の報酬を得ている。

サルマーが指導するチームのFWで、バルセロナとアルゼンチンのリオネル・メッシのファンでもあるマージド・アハマドはこう話す。

「世間では人びとは、ぼくたちのことを、サルマーの子どもたち、と呼んでいます。でも、学校でぼくたちは女性教員から学んできたではないですか。ぼくらのコーチが女性であることの何が問題なんですか」

「女性にチャンスを与えて」

練習の後、サルマーは(*取材者に)お茶の準備をし始めた。そして、今も男性で独占されているこの世界での困難な経験について続ける。彼女は自分がやってきたことは、「男性社会に対するメッセージの始まりにすぎません」と強調し、こう話す。

「女性たちに、彼女たちがやりたいことをするチャンスを与えて欲しいんです」

サルマーの父親ムハンマドは、オムドゥルマンにある土とレンガできた自宅で、AFPの取材にこう答えている。

「いつか、サルマーのおじが、観客のヤジについて怒ったことがありました。彼らは試合の間じゅう、ずっと、サルマー、サルマーと彼女の名前を叫び続けていたんです。だから今は、親戚じゅう、サルマーを助けてくれるようアッラーにお祈りしています」

母親のアイーシャ・シャリーフは、サルマーが幼い頃から自分たちの世代とは違っていることに気づいたという。

「サルマーはいつもズボンを履きたがっていました。…そして、道端でサッカーをしている男の子たちがいると、立ち止まってその子たちのことを見つめているような子でした」

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