現在、世界で最も有名なエジプト人選手といえば、おそらくすべてのサッカーファンは、イングランドのリバプールで活躍するムハンマド・サラーの名をあげるでしょう。だが、しばらく前までは、それはムハンマド・アブトレイカ選手(2013年に現役引退している)でした。今回紹介するのはこのアブトレイカについての記事。
ずっと気になっていた選手です。クラブW杯にアフリカチャンピオンとしてたびたび来日しており、一度はわがサンフレッチェ広島とも対戦したことのある選手だから、というわけではありません。引退後のことですが、彼はエジプト政府からテロリストと指定され、裁判で懲役刑と財産凍結の判決を受けているんです。
世界的なスター選手がテロリストとして罰せられるというのは、かなり衝撃的なことです。このことは日本でも報道されていましたが、その衝撃度に反し、ほとんどベタ記事扱いでした。なので、事件やアブトレイカの詳細を知りたいとずっと思っていましたが、何しろこの件に関するアラビア語の情報量は多すぎて、アラビア語学習者にとって、適当な記事がどれなのかわかりませんでした。世界のサッカー活動が停止している今、目を引くニュースもないことなので、ごく初歩的な情報からみつくろっていくことにします。
下の写真説明:ロンドンオリンピック男子サッカーの決勝トーナメント1回戦、日本対エジプト戦(2012年8月4日・マンチェスター)キックオフ前、握手を交わす吉田麻也とムハンマド・アブトレイカ(Photo by Joern Pollex – FIFA/FIFA via Getty Images)。試合は日本が3−0で勝利した。
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ムスリム同胞団支援でアブトレイカ テロリスト指定
掲載紙:BBCアラビア語版
掲載日:2017年1月18日
URL:https://www.bbc.com/arabic/middleeast-38659452
エジプトの元サッカー選手ムハンマド・アブトレイカの弁護士によると、エジプト当局が、ムスリム同胞団に関与した容疑で同元選手の名前をテロリスト名簿に記載したという。エジプトではムスリム同胞団をテロ組織と認定している。
エジプトで2015年に制定された「テロ対策法」の規定では、テロリスト名簿に名前を記載された者は、国外渡航の禁止、パスポートの押収、金融資産の凍結などの罰則が科せられる。アフリカ最優秀選手にも選ばれた同元選手のテロリスト指定について、エジプト当局はまだ公式発表していない。
テロリスト名簿には1400人以上の名前が記載されており、前大統領ムハンマド・ムルシー、同胞団の導師ムハンマド・バディーウ、ムハンマド・ムフディー・アーキフ、同副導師ハイラト・シャーティル、実業家のサフワーン・サービト、元大統領補佐官バーキナーム・シャルカーウィーらの名前も含まれている。
アブトレイカは現在、放送局beIN SPORTSでのアフリカネイションズカップの解説の仕事のため、カタールの首都ドーハに滞在しているとみられる。
アブトレイカの弁護士ムハンマド・ウスマーンは、いつアブトレイカが帰国するかについての言及を避けたが、今回のカイロ刑事裁判所の裁定については反論することになるだろうと述べた。また、2013年7月、激烈な抗議運動を受け、軍がムハンマド・ムルシーを大統領職から解任した後、彼が属していたムスリム同胞団はテロ団体に指定されているが、アブトレイカは、自らの同胞団活動への関与を否定している。
同胞団の資産凍結を管轄している委員会は2015年、すでにアブトレイカの資産も凍結を決めているが、その後、行政裁判所は、アブトレイカの名前が「テロ対策法」に基づき作成されるテロリスト名簿に記載されていないとして、この決定を取り消す判断をくだしている。
これより前、2012年の大統領選挙にムルシーが立候補した際、アブトレイカはムルシー支持を表明していた。
アブトレイカは、アルアハリーの元スター選手で、2013年に引退。その後、自身の政治的立場について公の場で語っていない。
アブトレイカについて
1978年11月7日、ギザ県の貧しい家庭のもとで生まれる。カイロ大学文学部歴史学科を卒業。サッカー選手としてのキャリアをテルサーナSC(*ギザを本拠とするクラブ)のジュニアチームからスタートさせる。その後同クラブのトップチームに上がると、チームをエジプト・プレミアリーグ昇格に導く。
2003年、アルアハリーに移籍すると、そこで数々のタイトルを獲得する。2006年にクラブW杯3位入賞、アフリカチャンピオンズリーグ優勝5回、アフリカスーパー杯優勝4回、エジプト・プレミアリーグ優勝7回、エジプト杯優勝3回、エジプトスーパー杯優勝4回。
2012年、UAEのバニーヤースにレンタル移籍、湾岸クラブ選手権でチームを初優勝に導いた。アブトレイカのプレースタイルは、フランスのスター選手ジュネディーヌ・ジダンに似ていると評され、「マジック」と呼ばれている。
国際舞台では、2004年にエジプト代表に招集される。「ファラオ」(*エジプト代表チームの愛称)を2006年、2008年のアフリカネイションズ杯優勝に導いた。また、2009年のコンフェデレーションカップにも出場、エジプトは、当時世界王者だったイタリアに勝利、3−4で敗れたもののブルジルとも接戦を演じた。アブトレイカは、長いサッカー人生において、レッドカードを1枚ももらったことがない。
サッカー史に残るストライカー
アブトレイカは、エジプトおよびアラブ、アフリカにおいて絶対的な人気を博し、「ハートの王子」とも呼ばれている。
アフリカサッカー連盟が選定するアフリカ最優秀選手に4回選ばれているが、それは今日までアブトレイカ以外、達成していない。
アフリカチャンピオンズリーグで33ゴールを記録、大会史に残るストライカーである。また、エジプトの首都をホームとするチームどうしの対決、カイロダービーにおいて、ザマーレクのゴールに13ゴールを決めているが、これはアルアハリーの選手としての最多ゴール数である。さらに、エジプト・プレミアリーグでは、2005年、2006年の2回、得点王に輝いている。
2008年、BBCアフリカ最優秀選手賞を受賞、また、アルジェリアの「ハッダーフ(*ストライカーという意味)」誌の投票で、2007年と2008年にアラブ最優秀選手に選ばれている。
2012年のロンドンオリンピックでは、当時オリンピック代表監督をつとめていたハーニー・ラムジーにより、オーバーエイジ枠でチームに招集され、ブラジル、ベラルーシ戦で1ゴールずつ記録している。
2008年のアフリカネイションズ杯でのエジプト対スーダン戦でのアブトレイカの行為が大論争を巻き起こしたこともあった。ユニホームの下に「ガザに連帯しよう」と書かれたシャツを着ていたのである。アブトレイカはこれでイエローカードをもらってしまった。
アブトレイカは敬虔深さでも知られている。クラブあるいは代表チームで、ゴールを決めたときには、ピッチにひれ伏して祈りを捧げることでも有名だ。このことからエジプト代表チームは「サージディーン(*祈りを捧げる人たち)」というニックネームで呼ばれることもある。
引退後のこと
アブトレイカは、エジプトおよびアラブ、アフリカにおけるサッカー史に残る選手としての多彩なキャリアを歩んだ末、2013年に34歳で現役を引退。2014年、アフリカサッカー連盟のアフリカサッカー大使、さらには、国連世界食糧計画(WFP)大使にも選ばれる。
引退後、サッカー指導者の道に進む意向を示し、コーチライセンスを取得するため、ヨーロッパに渡った。
2015年3月、エジプト当局は、アブトレイカの資産を凍結する決定をしたと発表。当時ムスリム同胞団の全資産を凍結管理していた委員会によると、アブトレイカがオーナーをつとめる旅行会社の一つが、同胞団の活動に関係している事実が判明したのだという。だが、同年6月、行政裁判所は、アブトレイカの資産凍結の決定を撤回する裁定を行う。
アブトレイカは、2012年のエジプト大統領選挙に、ムハンマド・ムルシーがムスリム同胞団から立候補した際、ムルシー支持を表明していた。
そして(*今年=2017年)1月17日、エジプト当局は、ムスリム同胞団の活動に関与した容疑で、この元有名選手の名前をテロリスト名簿に記載した。エジプトでは同胞団はテロ組織に認定され、活動を禁止、組織のすべての金融、不動産資産を凍結されている。だが、アブトレイカは、同胞団関与の事実を否定している。