金と腐敗と抵抗と 中東サッカー魅惑の世界

今回紹介するのは、アル=アフバール(レバノン)が2016年9月19日に配信した、中東全域のサッカー事情を取材した新刊本の紹介記事です(كرة القدم في الشرق الأوسط الرياضة أفيون الشعوب؟)。

紹介されているのは、The Turbulent World of Middle East Soccerという英語で書かれたルポルタージュです。かなりの長文、これまで本ブログの記事の中ではダントツで最長記事です。記事執筆者は、パレスチナ人の作家。あちこちのアラビア語紙に寄稿しているようなので、中東では知られた人なのかもしれません。

指摘される個々の背景事情についてはほとんど知らないことだらけで、不明な点も多いのですが、金と権力、腐敗と暴力、抵抗と連帯──にあふれる魅惑の中東サッカーの世界(?)について垣間見ることができました。原著を読んでみたいと思います。

今回も記事の見出しと本文の内容が一致しませんでしたね。


元記事URL:
http://www.al-akhbar.com/node/261593

中東のサッカー
スポーツは民衆にとってアヘンなのか

 

2016年9月19日
アル=アフバール(レバノン)
ジヤード・モナー
(小見出しは訳者がつけた)

スポーツ以上の存在

ジェイムズ・ドロシーは主要なアメリカの有名ないくつもの新聞でコラムを執筆するジャーナリストである。シンガポールのナンヤン大学付属「ラジャラートナーム・スクール・オブ・インターナショナル・スタディーズ」上級講師、「ヴュルツブルグ・サポーターズ文化学院」共同代表、同付属スポーツ科学研究所上級講師をつとめる。

ドロシーの新著『混沌とした中東サッカーの世界』(ロンドン・ハルスト社発行、2016年)のテーマは、スポーツとして以外にも様々な機能を有す、中東におけるサッカーについてである。クラブやサポーター、とりわけウルトラスと呼ばれる熱狂的な人びと、あまり多く言及されていないがサッカー選手たち、彼らはみんな、マグレブ諸国からイラン、トルコに至るわれわれの国ぐににおいて、ある意味サッカーとはちがう目的を実現するため、この競技やスタジアムにかかわっている。

The Turbulent World of Middle East Soccer

総じて、中東諸国の政治家たちは、政策の実現や物心両面での利害のためサッカーを活用してきた。また、互いに攻撃するためにクラブを活用してきている。殺害されたリビアの指導者カダフィは次のように言っている。

「実際、サウジアラビアチームの選手たちは、王室がアフリカから買い付けた奴隷じゃないか!」

サッカーという競技は、スポーツとは別の役割を担っている。あとで述べるように、政治家たちは、宗派的、民族的、宗教的な宣伝のため利用している。一方、スタジアムは、2012年にポートサイドで起こった惨劇のように、帳尻合わせの舞台としての役割を果たしている(訳注:社会的停滞感の発散の場といった意味か)。

2大クラブが象徴していること──エジプト

事実、中東のサッカーは19世紀の初め(訳注:20世紀初めの間違いだと思う)以来、様々な政策に関わっている。

エジプト人指導者ユーセフ・ウラービーは1907年、植民地主義に反対して、エジプトの愛国的なチームとしてアル=アハリーを創設した。これは、イギリスの植民地政府が、イギリスが創設したチームにエジプト人が入ることを禁じたことに対抗するものだった。これにより、このチームは愛国的な植民地主義に抵抗する象徴と見なされるようになった。おそらくこれは、ガマール・アブドゥル・ナセル大統領が1952年7月23日のエジプト革命後、クラブの第1目標として掲げたものだろう。

一方、敗北を喫し続けて自殺したアブドゥル・ハキーム・アーメル元帥は、植民地主義を支持し、王室と占領の象徴して設立されたアル=ザマーレクの指導部を担った。

これらは著者が、イランやトルコとともに、様々なアラブ諸国に関して言及した数多くの事例の一つであり、サッカーという競技や、一般のサポーター、熱狂的なウルトラスが、政治や社会において果たしている機能の反映である。

いや、その前に、ヨーロッパ諸国においても同じように、サッカースタジアムは、スポーツとは別の役割を持って利用されていることを思い出す必要がある。国内リーグにおける、熱狂的なサポーターによるいくつかのチャントは、その社会の混迷した状況や人種差別問題を反映している。それは1980年代、最終的にベルギーやイギリスにおいて悲劇的な事件を引き起こすに至った。

また、サッカーの試合を原因としてエルサルバドルとコスタリカとの間で戦争が勃発したことも忘れてはならない。

ここではこのことだけを指摘して、話をこの著作に戻したい。

サッカーで追い詰められた権力者たち──バーレーンとカタール

一般的に、スポーツというものは、権力者たちの武器だと見なされている。だが、それは逆に権力者たちに対抗する武器になるかもしれない、と著者は言う。

マンガのようなバーレーン政府がモータースポーツのF1を開催したのは、サウジアラビアがバーレーンを占領し、民衆の運動を弾圧していることを隠蔽する狙いからだった。ところが、外国メディアは、レースについて報道する代わりに、デモ隊に対する政府の残虐行為を強調する報道を行ったのだった。

王族出身のサルマーン・ビン・イブラーヒーム・アール・ハリーファ(訳注:当時バーレーンサッカー連盟会長)のアジアサッカー連盟の会長選出についていうと、世界中から嵐のような抗議を引き起こした。サルマーンが国内の選手たちの逮捕、拷問に関わっていると告発されていたからだ。

同様に、イギリスの裁判所は2014年11月、バーレーンの「王子」ナーセル・ビン・ハマド・アール・ハリーファの外交特権の剥奪を命じた。バーレーンのスポーツ関係者および選手ら数百人を逮捕したと告発されていた。逮捕された中にはサッカー代表チームの複数の選手も含まれている。

カタールが2022年のワールドカップ開催国に選ばれたことについていうと、投票(訳注:FIFA会長選挙)を買収したとして、カタールやカタール政府、そして同国内の腐敗に反対する猛烈な運動が起こった。それは、とりわけ、ムハンマド・ビン・ハマーム(訳注:当時アジアサッカー連盟会長)のFIFAの役職辞任とFIFAでの永久資格停止処分という事態に至った。

また、スイス(訳注:FIFAの本部所在地)は2015年5月、2022年のワールドカップの開催地に選定されたことの公正性について司法捜査を行うと発表している。

カタールが開催地に選定されたことで、同国の外国人労働者の処遇の問題に関しても非難キャンペーンが巻き起こった。選定される以前からカタールの外国人労働者の処遇は変わっていないのであるが。この問題についてはあと触れたい。

国際オリンピック委員会はロンドンでオリンピックが開催される機会をとらえ、ワッハーブ派(訳注:イスラム教スンナ派の中の厳格な一派)3か国、サウジアラビア、カタール、ブルネイに対し、性差別を禁じる各競技の規定に従うよう強制した。

アイデンティティを強化する道具

著者によると、サッカーとスタジアムの活用は様々な形態をとる。

たとえば、支配層の権力を強化すること、また、経済的、社会的諸問題から国民の目をごまかすこと。政府や体制・国家の腐敗に対するデモ。スタジアムや試合を通じて行う宗教的な思想的宣伝、または宗教の役割を強化するための宣伝などがある。

また、スタジアムや試合は、パレスチナ人に対するヨルダンのアル=ファイサリークラブのファンたちの言動に見られるように、国民のある階層に向けた扇動の場として利用される。これについてもあとで触れたい。

最後になったが重要ではないということではないのだが、スポーツ一般、とくにサッカーの利用の目的は、ラマラの行政事務所で民兵の指導部が行っているように(訳注:どんなことをやっているか知りません)、国民としてのアイデンティティーの証明である。国民としてのアイデンティティーの他にも宗派的、宗教的なアイデンティティーの証明としても利用されるのである!

上記に加えて、著者は、アラブの統治者たちが、クラブの代表に国民の父親的な立場と家族の庇護者としての役割(!)を与えることによって、クラブのトップたちを利用している多くの事例を明らかにしている。ユーセフ・ウラービーはエジプト人全員の父親と見なされていた。彼の妻はウラービーの亡命時代、エジプト人全員の母親のような役割を演じていた。

追放された二人の大統領、チュニジアのザイン・アル=アービディーン・ベン・アリー、エジプトのホスニー・ムバーラクも同様だった。

王室とパレスチナのあつれき──ヨルダン

著者は、この大部の著作に中東におけるスポーツでの最も重要な出来事の年表を掲載している。これをざっと見るだけで、著者の分析の妥当性、スポーツ一般、とりわけサッカーの現場における忌わしさが浮き彫りになる。

サッカー以外の目的のため、この競技が利用されていることについての様々な側面について、一瞥しておこう。

ヨルダン:一握りの東ヨルダン人(訳注:おそらくパレスチナ人以外のヨルダン人という意味だと思います)のパレスチナ人に向けられる悪意は、アル=ファイサリーの熱狂的なサポーター、ウルトラスがパレスチナ人に対して行う発せられるチャントに代表される。周知のことだが、このクラブは、裏切り者でイギリスの諜報機関の工作員アル=フセイン・ビン・アリーの名前に由来する(訳注:常識的に考えてそんな人物に由来する名前などつけるわけないので、このクラブに対する筆者の反感が表れた比喩的説明だと思います)。

このクラブとパレスチナ人のクラブ、アル=ワフダートのサポーターの間では、衝突が絶え間なく起こっている。人種差別的なチャントも歌われている。なかには、ラニア王妃(訳注:王妃の出自はパレストナ。ヨルダン国王の名前はフセイン)にも関わる内容を持つものもある。

「おい、アブー・フセインよ。彼女と離婚してしまえ。そしたらおれたちがお前のために2人の女を与えてやろう」

ウィキリークスが公開した公文書により、ヨルダン政府がこの出来事で衝撃を受けたことが暴露されている。よく知られていることだが、政府は、1986年、国王と王室に対するこのアル=ワフダートのサポーターのチャントを理由に、このクラブを解散させているが、1991年活動の再開を認めた。

アル=ワフダート、このクラブの名前は、首都アンマン南部にあるヨルダン最大のパレスチナ人難民キャンプの名前からつけられているが、同クラブのサポーターのチャントも、政治的性格を免れない。

「アッラーよ、ワフダートよ。エルサレムはアラブのものだ。ヨルダンと西岸の英雄」そして、「アル=ファイサリーはできそこないだ。お陀仏だ。リーグ戦はアル=ワフダートの緑(訳注:チームカラー)一色だ」

これに対し、SNSではこんなチャントが書き込まれている。「エルサレムはユダヤ人のものだ!」

また、アル=ワフダートのサポーターたちのチャントはこんな民族主義的なものになって拡散している。

「エジプトのみなさん、ごきげんいかが。悪徳シーシー(訳注:現大統領)はムバーラクとおんなじだ!」

反体制的チャント──エジプト

エジプトの状況もあまり変わりがない。なので、エジプトのふたつのクラブ、アル=アハリーとアル=ザマーレクのチャントについて言及するだけにとどめておこう。これらは、政治情勢へのサポーターの関与や、競技や試合への浸透度合いを反映したものになっている。

アル=アハリーのウルトラスのチャントにはこんなものがある。

「おれたちは前から独裁者に言ってきた
自由はやってくるに違いないと
自由は神に定められたものだ
政府よ 明日お前は思い知るだろう
両手で人びとを一掃するつもりか
夜、ひっくり返る兆しがある
心騒ぐものがある
おれたちの権利をどう要求してやろうか
支配者よ バカものよ おれたちの願いを思い知れ
自由 自由
自由 自由

おれたちはとどまる お前は消え去れ 圧制者が倒れんことを祈っている
自由 自由 自由 自由」

これ以外にも、パレスチナに対するこんな特別な歌とチャントも用意されている。

「おれたちに魂と血で、お前のために殉教しよう。おおパレスチナよ」

アル=ザマーレクの「ホワイトナイト」と呼ばれるウルトラスの歌とチャントにもまた、政治的な事柄が含まれている。たとえばこんな歌だ。

「パレスチナはアラブの大地だ」

これはパレスチナのチームのサポーターがこのエジプトのクラブを称えるときに歌った特別な歌に対する返礼のチャントである。

アルジェリアとエジプトの一戦(訳注:2010年南アフリカワールドカップのアフリカ予選のプレーオフの試合のことだと思われる)が、いかに両チームのサポーターたちによる最低レベルの応酬を引き起こしたことを、われわれは忘れないでいたい。これにはエリートたち、政治家たち、さらにはエジプト人文学者たちまでが、劣化した知性の言語と専門用語で応酬に加わった。

買収、不正、宗派的すみ分け──レバノン

さらに、著者は、レバノンのスポーツとその政治化についても様々な側面から扱っている。たとえば、レバノンサッカー連盟事務局長ラヒーフ・アラーマに関する記述である。ラヒーフ事務局長は、サッカー賭博や審判団への報復といった競技内部の「スキャンダル」の意味するところについて語っている。

本書は、レバノンのクラブチームの宗派的特徴や、クラブを買収したり、サッカー賭博によって、競技やリーグに政治家たちが介入していること、さらには、クラブを政治的な道具として利用していることも明らかにしている。

たとえば、1945年創立のアル=ナジュマを所有する、殺害されたラフィーク・アル=ハリーリー(訳注:レバノンの実業家、政治家。2005年の殺害時首相をつとめていた)は、著者によると、自らの支持を集めるため、このクラブのファンたちを利用している。これと同じことは、トラーブルス、アル=アンサールの2クラブについても、また、「港」のロゴの入ったユニフォームを選手たちが着用するアル=アハドの設立についても言える。

さらには、宗派的な区分けもある。シャバーブ・アル=サーヒルとアル=マバッラの2クラブがそうだ。ハマントマンについていうと、このクラブはアルメニア系、サーグリースとサラーム・ザグラターはマロン派系クラブである。

デモの先頭に立つウルトラス──トルコ

トルコについても事情は変わらない。著者は、レジェブ・タイイブ・エルドアンが、2011年にアラブ諸国で起こったことから学んでいることを強調している。それは、デモ隊に対峙した際の警官隊の暴力行為が、さらなる怒りやエネルギーをかき立てかねないということである。

事実、イスタンブールのタクシム広場やゲジ公園のデモがそうだった。このとき、いくつかのスポーツチームのウルトラスが、デモ参加者を防衛した。また、彼らは胡椒ガスなど様々な道具を使用する機動隊との攻防戦に突入した。警官隊との対峙では、「チャルシュ」と呼ばれるベシュクタシュ(訳注:イスタンブールの人気サッカーチーム)のサポーター集団が中心的役割を果たした。彼らはバリケードを築き、唐辛子ガスや催涙ガスからデモ参加者を救出する役割を担った。ガスマスクも配っていた。

また、エルドアン大統領と彼の政敵ファトフッラー・ギュレンとの間で、フェネルバフチェ(訳注:これもイスランブールの人気サッカーチーム)をめぐって抗争が勃発している。

競い合う湾岸の王室──カタールとUAE

もし、中東のサッカークラブのほとんどが、血族的もしくは宗派的な背景から設立されたとしたら、ペルシャ湾岸諸国の統治者たちは、自らの私的なクラブとしてチームを設立していると、著者は述べている。われわれはすでに、そのことによりもたらされた否定的、肯定的結果について見てきた。

UAEは、弾圧およびこの競技の政治化という面でカタールと競い合っている。また、ドバイとアブダビというUAEのふたつの首長国どうしもまた、世界のスポーツ界における地位を高めるため、互いに競い合っている。

FIFAはすでにアブダビでの多くの試合開催をアレンジしている(訳注:近年クラブワールドカップや育成年代のワールドカップがアブダビで開催されている)。同様に、国際クリケット評議会は2005年、本部をロンドンからドバイに移している。

しかし、これらの首長国(訳注:おそらくドバイ、アブダビとともに、カタールも含んでいると思います)は総じて、労働者の処遇については抑圧的なことを特徴としている。周知のことだが、これらの首長国の市民権を持つ住民は、住民全体の中のごくわずかな数でしかない。このため、スポーツの試合において重要な役割を占める観客の数が、少ないという結果を生んでいる。

著者によると、湾岸の首長国でのスポーツクラブ設立の目的は、当初はビジネスのためだったが、今は政治的理由に変わっているという。そのため、様々な形での腐敗や政治利用から逃れられないことになっている。

パレスチナに「連帯」しすぎたサポーター──アルジェリア

マグレブ諸国に関することについては、ここでは次のふたつのことを指摘するだけとする。アル=タルジクラブの立ち上げと、パレスチナに連帯する歌とチャントを発するこのアルジェリアの愛国的なチームのサポーターのことである。このチームのサポーターの一部は、最近パレスチナのチームとの試合が行われたのだが、その際、パレスチナには勝たないよう選手たちに警告を発するほどだった!

宗教指導者の無理難題と反政府運動の震源地──サウジアラビア

サッカーの宗教的あるいは宗派的な活用に関していうと、サウジ王族のシェイフの一部は、サウジのクラブチームに所属する3選手がイラクでの「ジハード」に参加する許可すら与えている。

また、シェイフのリーダーの一人は、選手たちに、「ファウル」「ゴール」「ペナルティ」といった用語の使用を禁じるファトワーを出している。また、選手たちに普段着もしくはパジャマを着用すること、得点を決めた選手に対してつばを吐きかけることを命じている! そして、ピッチにラインを引くことも禁じ、試合中の意見の相違を、国際的なルールに基づくレフリーのジャッジではなく、イスラム法によって解決することを求めている!(訳注:現実にそんなこと考えられないので、それくらい宗教指導者がやりたい放題しているということを言っているのだと思うのですが、断言できません)

これに加え、すでに、エジプト生まれのワッハーブ派のあるシェイフは、男性に対しいかなる競技も厳しく禁じると命じている。ただし、妻や子ども、ラクダとやる場合は例外と見なされている!

サウジのスタジアムでは、アル=ヒラールとアル=イッティハードとの試合で起こったように、人種差別的な事象がみられる。このとき、アル=ヒラールのサポーターが、アル=イッティハードのムハンマド・アル=カルニー、ファハド・アル=ムワッラドの2選手に対し、「おい、奴隷、おい、奴隷」というチャントを歌ったのだ(訳注:前者のムハンマド選手はアル=ヒラール所属なので誤記と思われる)。このふたりは黒人選手だった。おそらくこれは、殺害されたリビアの指導者ムアマル・カダフィが、「実際、サウジはアフリカから選手を買い付けているじゃないか」と言ったことに呼応したものだろう。

ところで、著者は、スタジアムが、権力者一族に対する敵意の表現の場と化すようになっていることを強調している。このため、サウジの当局者の一部は、他の競技のため、サッカーの地位を低めることを検討している。王室一族のある人物は、次のように言っている。

「この国の革命は、モスクからではなくスタジアムから始まるかもしれない」

ソマリアのアルシャバーブ(訳注:同国のイスラム過激派組織)はテロランキングのトップに位置する組織だが、彼らは試合を観戦しようとした人びとを処刑している。

中東を知りたければスタジアムへ行け

著者は、アフガニスタン、パキスタンからマグレブ諸国まで、サッカーが持つ内的要因により広範囲に広がっているこの競技をめぐって展開されている宗派的な議論について、また、スポーツ一般の利用の実態、さらにはその腐敗について取材している。その対象は、東はイランから西はモロッコまで、北はシリアから南はイエメンまで、中東のいかなる国、首長国においても例外ではない。

本著が発するメッセージをまとめると次のようになる:

中東諸国について何か知りたければ、サッカースタジアムを訪れ、そこでサポーターたちがくり返し発する歓声やスローガン、チャントに耳を傾けるべきだ。

これは、中東と北アフリカを担当するCIA元長官が率直に語ったことだ。実際彼は、情報収集のためスタジアムに工作員を送り込んでいる。

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