(写真:http://aranews.org/2015/03/شهداء-12-آذار-الاسم-الجديد-للملعب-الب/より)
(写真:http://aranews.org/2015/03/شهداء-12-آذار-الاسم-الجديد-للملعب-الب/より)
シリア北東部のトルコ、イラクの国境近くにあるカーミシュリー市は、クルド人のまちとして知られています。このまちについては別のところでも書きました。2011年にシリアで反政府運動が起こる7年も前に、ここでは反政府暴動が起こっています。
このまちをホームタウンとするのが、ジハードという名のチーム。クルド人で構成され、地元では絶大な人気を誇っています。前述の暴動はジハードの試合のさなか起きたトラブルがきっかけとなり、各地に拡大したものでした。暴動は徹底的に弾圧されました。
2009年にジハードのホームスタジアムを見学したことがあります。バックスタンドにはバッシャール・アサド大統領の巨大な写真が掲げられていたことに、アイロニー感じたものでした。
ときは移り、現在カーミシュリーはクルド人の組織により統治され、彼らの民兵組織がイスラム国(ダーイシュ)などからまちと住民を防衛しています。まちのスタジアムは自治を獲得した現在、名称を2004年の民族暴動で犠牲となった人々を記念するものに変更され、バックスタンドにはアサド大統領に代わって、クルド労働党指導者アブドゥッラー・オジャランの巨大な写真が掲げられるようになったということです(これはこれでまた問題じゃないかと思うのですが)。
カーミシュリー市を含むハサケ県の情勢は複雑で、シリア政府は戦争の早い時期に、国内北東部のクルド人地域の支配から早々に手を引きクルド人組織の自治に任せている地域と、引き続き政権軍が管理している地域とがあります。またイスラム国(ダーイシュ)支配地域もあります。
政権軍とクルド人組織はある程度連携はしていますが、ときどき両者の間で戦闘が行われています。他方、クルド人勢力は反政府武装勢力と共同して、イスラム国(ダーイシュ)と戦ったりと、容易なことでは理解できない事態が進行しています。
ただし、たとえ政権軍との間で多少の妥協があったとしても、長年に渡って、いじめられてきた彼らからすれば、アサド政権は自分たちの仲間にはなり得ない存在だろうと、想像します。
元記事
‹شهداء 12 آذار› الاسم الجديد للملعب البلدي في مدينة قامشلو – آرانيوز
ARA News
2015年3月13日
新しい名前は「3月12日の殉教者」に
カーミシュリー市のスタジアム
民主連合党(PYD)が宣言した「自治政府」は、シリアの北東にあるカーミシュリー市の地方スタジアムの名称を、「4月7日スタジアム」から「3月12日の殉教者スタジアム」に変更した。2004年の「3月12日のインティファーダ」の犠牲者の記憶を確固なものとするための措置である。
自治政府は昨日木曜の朝、「3月12日のインティファーダ」から11周年を記念して、新しい名称となったスタジアムの開所式を、民主社会運動(TEV DEM)の旗のもと、ジャジーラ地区と提携諸政党の幹部らが出席して開催した。スタジアムには1999年以来トルコで囚われの身となっているクルド労働党指導者アブドゥッラー・オジャランの写真と、自治政府所属の人民防衛部隊と女性防衛部隊の旗が掲げられた。
また、ジャジーラ地区の諸団体の指導部とリーダーがあいさつし、その中で「3月12日のインティファーダ」直後のシリアの治安部隊の活動を批判した。治安部隊の活動により、数十人が死傷し、数千人が逮捕された。
開所式では、スポーツや芸術の演目とともに、「ルージュ・アーファー」(シリアのクルド人の大半が居住する地域)チームとトルコの「アーミド(ディヤルバクル)・スポーツ」チームとのサッカーの試合が行われた。また、音楽の演奏が行われ、何人かの詩人が朗読、大勢のクルド人歌手が歌った。
式典出席者の一人、ハサン・ウスマーン氏はARA Newsの取材に対し、ルージュ・アーファーとアーミド・スポーツとの試合は2−0でアーミドが勝った」と話した。
カーミシュリー市では2004年の今日、大規模なデモが発生した。ファトワ(訳注:サッカーのチーム名)のサポーターがジハード(訳注:同)のサポーターを襲った直後、同市の地方スタジアムの外にいた群衆に対し、シリアの治安部隊が発砲した後のことだった。デモは、ハサケ県の複数の都市とコバーニー、イフリーンの両市、また、アレッポやダマスカスにも広がった。当時のクルド諸政党グループの声明によると、これにより30人以上が死亡、数百人が負傷し、数千人が逮捕された。
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