ハイサム・クッジュとジハード

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(写真:http://www.dp-news.com/pages/detail.aspx?articleid=132460より)

ハイサム・クッチュという名のストライカーをご存じの方はいないと思います。シリアの北東部、イラクとの国境のまちカーミシュリー市をホームとしているジハードというクラブがあります。ハイサムはこのクラブの伝説的な選手です。国内リーグで連続して得点王となり、シリア代表にも名を連ねたキャリアの絶頂期、遠征途中に交通事故に遭い亡くなったことで、かれの印象はサポーターの胸により強く刻印されているようです。

ジハードのホームタウン・カーミシュリー市はいわばシリアの最深部で、首都ダマスカスから最も遠いまちです。一帯はクルド人が多く居住する地域で、カーミシュリーもクルド人のまちとして知られています。

ぼくが2009年、ダマスカスから夜行列車で訪れたときの第一印象は、小さくてかわいらしいまち、というものでした。そして人々のあたたかさにやられました。シリア人は旅行者に親切な国民性を持ちますが、カーミシュリーのホスピタリティの度合いは、ダマスカスなどより1ランクも2ランクも上という感じです。

偶然ハイサム・クッチュという選手のことを知り、この選手についてもっと知りたくて、かれが所属していたカーミシュリーを訪問したのですが、まち自体とても気に入りました。

2011年からの戦争でカーミシュリーも戦場となりました。現在、イスラム国(アラビア語での略称「ダーイシュ」)の支配地域はすぐ近くにありますが、同市はクルド人組織が防衛しており、なんとか治安が保たれているようです。というか、カーミシュリーで戦闘があったというニュースは伝わってきていないというだけで、実際はどういう状況なのかわかりません。

ぼくが訪れたときはすでに国内リーグは終了していて試合を見ることはできませんでした。その代わりジハードのホームスタジアムに許可を得て、入れてもらいました。1万人も収容できない小さなスタジアムで、ピッチはでこぼこ、客席も老朽化しているのが明らかで、質のいい施設とはとうてい言えないなあと感じたことを覚えています。

このスタジアムで最も印象的だったのは、バックスタンドの後部中央に、バッシャール・アサド大統領の巨大な肖像画が設置されていたことでした(これはシリアに限らずアラブ諸国の公共施設ではよく見られるものです)。サポーターたち(みんなクルド人)はこのアサドをどんな思い見上げているんだろうと思いました。

元記事

عشر سنوات على رحيل اللاعب هيثم كجو | الرياضة السورية | رياضة | دي برس

D Press 2012年10月7日

ハイサムクッジュの死から10年

D Press – SANA

ジハード・クラブのフォワード、故ハイサムクッジュはシリアサッカーリーグ史上もっともすぐれたストライカーであり、またシリア代表のスター選手のひとりでもある。かれは1999年、アラブ得点王に輝いた。かれのサッカー人生は、輝かしい栄誉と才能、戦術的、技術的な独創性にあふれていた。

その死から10年経過しているが、ハイサムクッジュはジハードの若い選手や子ども選手、そしてカーミシュリー市の子どもたちにとっても、理想の選手であり続けている。カーミシュリーでは、スポーツウェアを販売するあらゆる店で、かれのポスターやかれの名前が入ったシャツが展示されているのを見ることができる。また、ハサカ県の様々な町、とりわけカーミシュリーでは、かれの名前を冠したサッカーの大会が開かれている。

故ハイサムクッジュは、ハサカ県の学生代表チームの主軸フォワードとして注目されはじめて以来、突出したテクニック、卓越した技術をもつ第1級のストライカーだった。かれはジハードの各年代別カテゴリーのすべてでプレイした。そしてかれの名前は、1993年から96年の4年連続で、シリアリーグにおいてユース年代のストライカーのトップ選手として記録されている。

その後ハイサムクッジュはショルタに移籍、その短い所属期間で20ゴールを挙げた。1998年、トップチームに加わるため、古巣ジハードに復帰、この年、18ゴールを挙げリーグの得点王争いの2位に入った。得点王を獲得したイッティハードのフォワード、アニス・サーリーとは1ゴール差だった。

次の年もハイサムクッジュのサッカー人生は順調に進み、合計23ゴールを挙げ、シリアリーグとアラブ地域の各リーグの得点王を獲得した。国内リーグでの得点王のタイトルは2001年まで保持した。同シーズン、所属するジハードはリーグで優勝争いをする強豪チームとなっていた。かれは1994年から継続して、ユース年代の代表にも入った。同時期、シリアはアジア・ユース選手権で優勝。2000年のはじめには、フル代表にも招集されている。

故ハイサムクッジュは1976年、カーミシュリーで生まれた。ジハードの年代別カテゴリーに所属してから2002年10月15日に他界するまで、ジハードに所属した。ジハードの遠征チームがリーグ戦の試合のため、カーミシュリーからデリゾール県に向かう途中に起こった痛ましい交通事故により亡くなった。

コメント

  1. […] したことがあります。そのなかで、ハイサムを擁するシリアがアジアチャンピオンになったと、自分で書いていました(ハイサム・クッチュとジハード | 中東 フットボールと人びと)。 […]

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