2017年1月に、5年ぶりに復活したアレッポダービーの政治的背景を指摘する記事の2回目です(あと1回続きます)。
シリアの代表クラスの選手たちは、この戦争において政権から絶えず利用されてきました。同時に、反体制側も、サッカーの政治利用はやめろと批判するわりには、反体制派支持を表明した選手を称賛し、「革命のシンボル」みたいに祭り上げるなどして、政権側同様に自らもおおいに政治利用しています。
今回は、16歳以下シリア代表で活躍した元選手が出てきます。彼は代表から離脱しようとするや当局からひどい脅迫を受け、またチームにとどまっていると反体制派からは「敵」とみなされ砲撃されたと言います。実際殺されたチームメートもいるようです。
この元選手、ムハンマド・ジャードゥというんですが、年代別の代表の主力として国際大会で活躍し、将来を大いに嘱望されていました。しかし、悲しいことに、結局難民としてヨーロッパに逃れていってしまいました。避難先でプロ選手として再起しようと頑張っているようですが、法的にいろいろクリアしなければならない問題があるようで、あまりうまくいっていないみたいです。
5年ぶりのアレッポ・ダービー アサド政権のイメージ戦略(2)
掲載紙:SYRIA UNTOLD
掲載日:2017年5月30日
URL:https://syriauntold.com/2017/05/30/كرة-القدم-في-حلب-ضوء-على-مناورات-النظا/
執筆者:カリーム・ザイダーン
(小見出しの一部は訳者によるもの)
ピッチの上の政治劇場
この6年間、シリアは少しずつ戦争の地獄に突き進んで行った。それは2011年アラブの春に始まった、自由のための血なまぐさい紛争だった。紛争は、多様な勢力、アサド政権軍や様々な反体制派などが入り乱れたものとなった。各勢力は支配をめぐって争いをくり返し、広範な地域で破壊が行われ、社会は分裂した。紛争の影響は、人々の日常の暮らしのあらゆる方面に及び、シリア社会の奥深くにまで入り込んでしまった。
数十万人もの命を奪い、数百万もの人々の住処を奪いながらも、バッシャール・アサドは政権を維持した。体制側支配地域において影響力を行使してきた。もちろん、スポーツ、そして人気の高いサッカーの国内リーグも完璧に支配してきたのである。
ただし、国内におけるアサド政権の支配地域が地理的に制約されていることから、リーグ戦は基本的に、ラタキアとダマスカスの両都市に限って開催されている。ここ数年間、アサドは統一され、隆盛をきわめたプロスポーツの姿を示そうとくり返し試みてきたが、現在のシリアサッカーにかつての面影はない。
「政府はサッカーを見せ物のようにしか考えていません。質なんか重要ではないのです」
こう話すのは、シリア人ジャーナリストで、サッカーの政治的側面について取材しているムハンマド・ファーリスだ。
「リーグは家族を抱える選手たちにとって生計を維持する場なんです。もし、リーグが中断してしまえば、選手とその家族は収入源を失ってしまう。また、今日のような状況下で何人もの選手たちが命を落としているというのに、国家もサッカーを政府のイメージづくりのために利用しているのです。そして、選手たちは何も問題が発生していないかのごとくピッチに立たなければならない。なにしろ独裁制ですから。国家にとっては、選手が死のうがどうしようがどうでもいいんです。選手たちが国家のイメージを守ってくれさえいてくれればね」
過去数年間のアレッポとホムス両都市への爆撃によって、16歳以下シリア代表選手を含め数十人ものシリア人選手が犠牲となった。かぞえきれない数の選手たちが、反体制組織に加わっている。彼らのうち、あるものは戦場に倒れ、またあるものは反乱と離反を理由に投獄された。なかには蜂起が始まった当初に、たんに民主主義の理念に賛意を示しただけで、裏切り者として投獄された人もいる。
「お前のサッカー生命は終わりだ」
こういった状況は、リーグ内部においても、アサド支持派と弾圧にさらされる反体制派との間で深刻な亀裂を生んだ。そして最終的には、反体制派に与した人々は避難先を求めて、家族を連れて地中海を渡るという危険な旅に出たのだった。そんな中の一人に16歳以下シリア代表の元キャプテン、ムハンマド・ジャードゥもいる。
ジャードゥは「ブリーチャー・レポート2015」のインタビューの中で、こう話している。
「シリア政府は、もしぼくがトレーニングキャンプに参加しないのなら、ぼくに懲罰を加えて、ぼくのサッカー生命を奪ってやると脅迫しました。…また彼らは、もしぼくがチームを離れたら、徴兵忌避者として訴えるぞとも脅かしてきたのです」
未成年者であろうとシリアのサッカー選手たちは、その愛国的なイメージから体制側のターゲットにされたのである。
恒常的に人々を監視し続け、恐怖を与えているのはシリア政府だけではない。反体制武装勢力側による数々の迫害もあった。
ジャードゥは、もし自分がチーム(*おそらく16歳以下シリア代表チームのこと)でプレーしていたときに、革命軍の手に落ちれば、死んでいた可能性がある、と考えている。移動中、チームが双方からの攻撃にさらされたことがあるからだ。「爆弾と砲弾がぼくらが乗っていたバスの近くに落ちました」
つまり、ジャードゥは代表チームの一員である限り、反体制側からも敵とみなされていたのだ。事実、彼のチームメートたちは「革命軍」による爆破攻撃を受けたことがある。
FIFAの制裁で金庫は空っぽ
シリア・プレミアリーグ開催地の地理的な制約とは別に、リーグは経済状況の悪化に加え、制裁措置によって、シリアサッカー連盟は、金庫が空っぽになるという苦境に喘いでいる。国際サッカー連盟(FIFA)はシリアサッカー連盟に対する225万ドルの資金支出を差し止めているのだ。FIFAからの資金がバアス党の政治活動や軍に使われることを懸念しての措置である。
リーグがそんな悲惨な状況にあるにもかかわらず、2017年においてもバッシャール・アサドは、リーグをシリアの誇りと民族主義をかき立てるショーとして提供し続けている。体制側が奪還したアレッポでのサッカーの復活は、プロパガンダのためにサッカーを利用するという体制側の戦略の典型例に他ならないのだ。(続く)
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