クルドとサッカー(2)─アメド・スポルと民族憎悪

トルコ
「フィルゴール」のウェブサイトより

クルドとサッカーをテーマにした、エジプトのスポーツ専門サイト「フィルゴール」の記事2回目です。今回は、トルコのクルド人が住民の大半を占める地域をホームとするチームとそのサポーターたちの話。

前回のダルクルドが世界中のクルド人に希望をもたらす存在である一方、今回の「アメド・スポル」は今日のクルド人の受難を象徴するかのようなクラブです。

本文中、信じがたい、強烈な事件について言及されています。選手がグラウンドに剃刀を持ち込み、それで相手チームの選手を切りつけたとされる事件が起こったというのです。事件は日本でも報道されていました(参考:トルコ3部リーグで選手がカミソリで相手を攻撃 永久追放が決定 – ライブドアニュース)。

本当にそんなことが起こったのか。その後処分が減じられたとはいえ、告発された選手はトルコサッカー連盟から処分を受けていますから、何らかの行為があったのは事実なんでしょう。ただ、日常的に差別的扱いにさらされている選手やチームにとって、この処分がどこまで公正なものであるのかは、留意しておく必要があると思います。

ヨーロッパのリーグでは、サポーターの人種差別的チャントが頻繁に問題とされます。該当サポーターのチームは、リーグやUEFAなどから処分が科せられるのが常です。ところがトルコでは、この「フィルゴール」の記事を読む限り、クルド人を罵倒するチャントや野次がどんなになされても、何も問題視はされていないようです。


 

クルドとサッカー──アイデンティティを体現する二つのクラブ

 

掲載紙:フィルゴール
掲載日:2019年10月16日
執筆者:イスラーム・アフマド
URLhttps://www.filgoal.com/articles/374133

(以下の訳文は逐語訳ではなく概要です。適宜省略、補足を行っています。もちろん原文の文意を変えない範囲でやっているつもりです)

(承前)

ダルクルドは祖国の代表チーム

クルディスタンサッカー連盟会長でスウェーデン在住のカーヤ・イズールはダルクルドがクルド人コミュニティに与える影響について解説する。

「ダルクルドはいわば祖国の代表チームなんです。彼らの成功は、スウェーデンとヨーロッパで生活するクルド人にとって重要なことです。クルド人はダルクルドの活動に共感しています。私もストックホルムの近くで試合が行われるときは見に行きますよ」

そしてこんなエピソードを紹介した。

「クルディスタン地域の主要な放送局の一つが放送する討論番組に出演したときのことです。私は出演者たちにこう言われました。自分たちは毎週、ダルクルドの試合を一緒に(*テレビで)見るために集まっているんだと」

クルドとスウェーデンの架け橋

2015年シーズンのダルクルドは14もの異なる国籍を持つ選手たちで構成されていた。バシャラーウ・アジージー(*前出。同クラブのクルド人選手の一人)は、こう話す。

「サッカーは言葉とは関係ありませんからね。ピッチでは、スウェーデン語でパスをしたり、シュートをする必要なんてないんです。ピッチに立てば必要な言葉なんて、すぐにマスターできますよ」

2016年、二人のクルド人の兄弟が、クラブの株式の49%を買収した。これについてスウェーデンのメディアは、数百万ドルに相当するスポンサー契約となると報じた。

サラカートとクワードのジャウナード兄弟はクラブ買収の目的について、こう語る。

「私たちは、この何年もの間、ダルクルドについて注目してきました。とてもすばらしいクラブだと思います。私たちは、クラブがクルディスタンとスウェーデンの架け橋となるよう期待しています」

ダルクルドFFは、イラク・クルディスタン地域の首都とされるアルビルと、スウェーデン・ダーラナ県ボーレンゲにアカデミーを創設し、そこでは150人もの若い選手たちが学んでいる。新しいクラブのオーナーは、将来ダルクルドの選手たちがヨーロッパチャンピオンズリーグでプレーする日が来ることを待ち望んでいる。

トルコのビッグクラブとの対戦

2017/2018シーズンのヨーロッパリーグ(EL)。スウェーデンのエステルスンドFKはトルコのガラタサライと対戦した。試合は、エステルスンドがホームの第1戦を2−0、アウェーの第2戦を1−1とし、次のラウンドに勝ち進んだ。

6シーズンにわたってダルクルドのユニフォームを着たあと、エステルスンドに移籍していたイラク代表ブルワー・ヌーリーは、イスタンブールでの試合際、SNSを通じて脅迫にさらされていた。ヌーリーがクルド系だという理由からだった。

バシャラーウは、元チームメイトが勝利したときの喜びについて話す。

「ブルワーはぼくたちやクルド人のために、やり返してくれたのです。ガラタサライのサポーターたちは、試合ではクルド人に対する野次しか叫んでいなかったけど、彼はそんな連中を沈黙させたのです」

一方、ダルクルドの創設者の一人、ラマダーン・キージール(*前出)は話す。

「私たちがクラブを立ち上げたとき、長期目標と短期目標を立てました。長期目標というのは、トルコのいろんなチームと対戦することです。クルド人がいるからといって世界が終わってしまうことはないことを彼らにわかってもらいたいからです。ダルクルドがフェネルバフチェやガラタサライと対戦したら、それはきっと大きなニュースになるでしょう。まだ実現していませんが、私たちはあきらめていません」

2018年シーズン、アルスヴェンスカン(スウェーデンのトップリーグ)に昇格したダルクルドだったが、1年でスーペルエッタン(2部リーグ)に降格してしまう。だが、彼らの名前をリーグの歴史に刻み、クラブが掲げる大義を社会に知らしめたのだった。

トルコのクルド人チーム

ダルクルドは、世界中のクルド人を惹きつけるているが、トルコではクルド人は、いくつもの困難な状況に置かれている。

シリア国境から120キロのところにあり、人口100万人のトルコ南東部の都市ディヤルバクル。住民の大半はクルド人で、アメド・スポルは、この町をホームとするサッカークラブである。

クラブの創設は1990年だが、2014年、名称をディヤルバクルのクルド語名である「アメド」に変更している。

アメドの中心的なサポーターの一人、マフスーム・カージーキーは、サポーターグループの名前を「ムカーワマ(抵抗)」と名付けた。クラブが直面していた人種差別問題に対抗するためだった。

イギリスBBCが放送したアメド・スポルに関するレポートの中で、カージーキーは、こう語っている。

「ムカーワマ(抵抗)でわれわれはきっと勝利する、という言い伝えがあるんです」と話している(*この部分意味不明ですね)。

トルコ人とクルド人双方のサポーターに関する差別的扱いについては、

「トルコ人はそんなものはないと言います。しかし、ぼくたちクルド人サポーターは、(*スタンドで)バナー(*チームを応援するための横断幕やゲーフラなどのこと)一つ掲げることもできないんです。だからと言って、ぼくたちはアイデンティティやたたかい方を変えるつもりはありません。同じやり方をつづけるだけです。だって、ぼくらは合法的なクラブなんですから」

トルコリーグの強豪でも何でもないクラブにかけられているここ数年間の圧力は、彼ら「ムカーワマ(抵抗)」にも及んでいる。アミド・サポーターと対戦チームのサポーターとの間で発生したいくつかのトラブルを理由に、アミドのサポーターたちは、2019年3月までスタジアムに入場して応援することを禁じられてしまったのだ。

(下の写真:テュルキエ・クパス(トルコのカップ戦)でフェネルバフチェと対戦するアメド・スポル=赤いユニフォーム。2017年1月25日イスタンブール。本文とは関係ありません)

Embed from Getty Images

ヘイトスピーチとカミソリ事件

アミド・スポルの選手の一人、マンスール・カーラールは2019年3月に行われたサーカーリヤ・スポルトの試合で、相手選手を剃刀(カミソリ)で切りつけたとして告発された。

当時のトルコのメディアはカーラールのことを「剃刀テロリスト」を報じ、トルコサッカー連盟は、同選手を永久追放処分とした上、罰金4500ドルを科す処分を行った。その後、処分は20試合のみの出場停止処分に減じられた。

カーラールは自らについて、「ぼくはクラブに対する政治的キャンペーンの犠牲者です」と述べる。

「ほんとバカバカしいですよ。サッカー選手がどうやったら剃刀をピッチに持ち込み、相手選手を切りつけられるっていうんですか。絶対不可能です」

カーラールは試合中、相手選手がケガをしたことについて弁明している。

「あの試合はダービー戦だったので、気持ちは攻撃的にはなっていました。でも、(*剃刀で切りつけられたとされる選手の)傷痕は爪で引っかかれたあとですよ、剃刀によるものではありません。ぼくは当時ギターを習っていて、それで爪が少し長くなっていたんです」

その上で、こうも話している。

「あの試合、ぼくらが控室を出てピッチに入ると、相手チームのファンたちは、ぼくらに対して大きな声で人種差別的なチャントを叫んできました。アメド・スポルはすさまじい圧力にさらされていたんです。ぼくたちはそんな状況で試合にのぞんでいました」

(下の動画:アメド・スポルのカーラールが剃刀を持ち込み、相手選手を切りつけたとされる地元メディアの動画)

サッカーは政治闘争の舞台

当時、トルコのさまざまなクラブのサポーターたちは、(*アメド・スポルに対して)「クルド人と外国のテロリストは出て行け」「ここはトルコだ。お前たちの土地ではないぞ」といったチャントを叫び、同様の横断幕を張り出していた。

2016年には、首都アンカラでのMKEアンカラ・ギュジュ戦の前、アメド・スポルの複数のスタッフが、数人により殴打されるという事件が起こっている。

2017年には、過去にクルディスタン労働者党(PKK)を支援したとして有罪判決を受けたことのあるクルド系ドイツ人選手で、当時アメドに在籍していたデニス・ナキは、分離主義的宣伝を行ったとして、永久追放処分を受けている。

アメド・スポル会長のアリー・カルカースは、「トルコでは、サッカーは政治闘争の中心なんです」と話す。

「一部の人たちは、自分たちの政治的意見の表明の道具としてサッカーを利用しています。ピッチでの出来事は、そのことの反映です」

潜在的犯罪地域

トルコでは、1980年代以降、PKKと政府治安部隊との間で戦闘と暴力行為がくり返されてきた。

PKKによるトルコ政府に対する武装闘争により約4万人が死亡した。

2016年2月、クルディスタン地域での暴力が頂点に達した時期、アメド・スポルの選手たちはこんな横断幕を掲げてピッチに入場してきた。

「子どもたちを殺すな。試合はスタンドに観客を入れて行え」

だが、サポーターやチームは、これが「テロ活動を扇動した」とされ、制裁を受けることとなるのである。

チームのサポーターは過去3年で、アウェーゲーム60試合以上のスタジアム入場禁止処分を受けている。

アメド・スポルの女子チームは、トルコ女子トップリーグに参戦しているが、同チームのライターン・アキユールは、これらの事実をこう解説している。

「クルディスタン地域やクルド人としてのそのアイデンティティーこそが、私たちがトルコ政府に対して敵対的な言動をとっているとみなされる主な理由なんです。私たちの大地が、潜在的犯罪地域とみなされ、禁止措置や制裁を科せられるのには、もう慣れっこになりましたけどね」

(この記事つづく)

コメント

タイトルとURLをコピーしました