今回紹介するのは、シリアにおける数少ない反体制派支配地域になったイドリブで将来のプロ選手を育成するアカデミーが開校したという記事です。
このアカデミーは、戦火で傷ついた少年、青年たちにひとときの安らぎなりケアを与えることを目的としたものでなく、あくまでアスリート育成を主眼に置いた機関のようです。
アカデミーの名前が「ACミラン」と聞くと、権利関係は大丈夫か、というかどこまでこれは本気のプロジェクトなのかという気がしますが、この記事を読んで改めて感じたのは、ひと口に反体制派支配地域と言っても状況は多様だということです。
日本のシリア支援を行っている団体の宣伝物を見ると、劣悪な環境でのテント暮らしをしていたり、医薬品や食糧の欠乏に苦しんだりしている人たちの様子が強調されがちです。しかし、その同じイドリブには、プロサッカー選手になることをめざしている若い人たちがおり、それを支援しようとする取り組みがあるということです。
シリアのイドリブというと、反体制派の数少ない牙城で、市民が酷い生活をしているというイメージと、シリア全土から筋金入りの武装戦闘員が集結してきているというイメージが強いのですが、当たり前のことかもしれませんが、こういったイメージには収まらない実情を記事から読むことができます。
記事の最後、アカデミーの代表者がこのプロジェクトの実施を阻む「この地域の内部事情に属する問題」があると言っていますが、この点こそ具体的に明らかにして欲しいですね。
元記事URL:
https://www.enabbaladi.net/archives/232583
イドリブでサッカーアカデミー開校 その名も「ACミラン」
掲載紙:イナブ・バラディー
掲載日:2018年6月3日
(*は訳注)
イナブ・バラディー(イドリブ)
シリア北部イドリブ県でスポーツアカデミー「ACミラン」が、ラマダーン月明け(*2018年のラマダーン月は6月15日に明けるとみられる)に開校する。これに合わせて、入校希望者を受け付けている。イドリブ県において、この種のスポーツ選手育成機関は同アカデミーが初めてとなる。
約2か月前、イドリブ県の青年スポーツ機構は、シリアのウマイイヤSCの元プロ選手ラーイド・アブードさんが指導者するスポーツアカデミーを設立した。アカデミーは、イタリアの名門クラブにちなんで、「ACミラン」と名付けられた。
アカデミーの代表のラーイド・アブードさんは「イナブ・バラディー」紙の取材に答え、このスポーツ組織の立ち上げは、「プロ選手の育成、とくに世界で最も人気のある競技で熱心で才能豊かな子どもたちの夢を実現すること」を目的としている、と話す。
アブードさんによると、アカデミーは複数の専門スタッフが指導にあたることになっており、理論実践の両面から高いレベルで行われる技術、フィジカルに関するそのトレーニングプログラムにより、選手たちの能力を可能な限り向上させることをめざす。
アカデミー「ACミラン」は、5歳から16歳までの選手を受け入れるが、可能な場合、最年長で22歳までの選手も受け入れることもある。
スポーツ、とくにサッカーは、シリア全土で現在も続く戦争の結果、反体制側、体制側双方支配する地域との間で、公然とした深い亀裂と分断を生じさせている。その結果、反体制武装組織が支配する地域では、スポーツ活動やスポーツイベントは顧みられなくなっている。
アブードさんによると、アカデミーは、「トレーニングを積んだり各メンバーの持つ様々な個性に接したり、決められたルールを守ることなどを通して、仲間やコーチ、運営者に対する敬意を高め、教育、社会性、健康、文化、スポーツの面での理解の向上」をめざす、という。
一方、アカデミーでは、16歳から22歳のカテゴリーに属している選手でも、希望者に対しては特別トレーニングメニューを実施する予定だ。というのもこの年代の選手たちは、(*今日のシリアの現状の中では)年齢を理由に競技を続けることが困難になっているからだ。
また、アカデミーは、「選手とコーチ、そして選手間の絆や関係を深めることにより、この場が選手たちにとって『第2の家族』のような存在になる」ことも意図している。
アカデミー立ち上げの理由について、アブードさんは次のように話す。
「現在の情勢は不安定です。しかし、サッカー連盟(*正規のシリアサッカー連盟ではなく、反体制派が設立した連盟のことだと思われる)や真面目な若者たちのグループとともに、シリア北部の解放区におけるサッカーの発展のためのひとつのステップとして始めたのです」
そしてこう続ける。「われわれはスポーツが発展するよう努力しています。しかし、立ちはだかる多くの問題があります。それらはこの地域の内部事情に属する問題です」
ラーイド・アブードについて
ラーイド・アブードさんはイドリブ県サルミーン市生まれのシリアのサッカー選手。1部リーグ(*実質的には2部リーグに相当)ウマイイヤSCでプロ選手となった。サルミーンクラブでプレーした後、ウマイイヤの育成年代のチームに移籍、同クラブのトップチームに昇格するまでそこでキャリを積んだ。ウマイイヤでは2003年から2011年に引退するまでプレーした。
2007年、DFとしてオリンピック代表に招集されたが、アブードさんによると、「代表チームでトレーニングを積むには多くのコネが必要だったため、代表入りを断念した」
2011年にシリア革命が始まると引退し、ウマイイヤのコーチとなり、シリア北部で行われているリーグ戦の設立を実現した。その後アカデミー設立に尽力した。