湾岸チーム監督の永遠なる悲哀

(以下の文章は2015年2月3日付けでFacebookに投稿したものです)

自分の勉強をかねて、湾岸諸国のサッカーに関するWeb記事を翻訳(抄訳)してみました。アギーレ監督の解任が発表された時期と重なり、いいタイミングです。ちょっと強引な箇所もあるが(タイトルからしてそう)、大意は間違っていないと思う。


元記事 syrian soccer :: موقع الكرة السورية

湾岸チーム監督の永遠なる悲哀

 

syrian soccer.com 2014年11月25日
ムスタファ・アルアーガー

ムスタファ・アル=アーガー(http://www.syrian-soccer.com/?page=show_det&select_page=1026&id=707)

代表チームの監督が、チームの敗戦の責任を負うのは世界どこでも当然のことだ。だが敗戦の理由をすべてを監督に負わせることはできないし、1度や2度負けたくらいでやめさせることもできない。

とはいえ、ベンゲルのアーセナルやファーガソンのマンチェスター・ユナイテッドのように、われわれは何年だって我慢するぞとは言えない。

湾岸地域においては、監督の経歴や実績がどうであれ、ポストや価値だけなく、その人の経験や才能までもおとしめようという人たちがいる。過去こうした目に遭った監督は数十人ではきかない。数百人はいるだろう。

指導者として働く者は、自分の運命がおそらく数試合の間で変わってしまう可能性があることをはっきりと認識している。だが、監督の交替が問題の解決を意味するのか。

ハマド監督(バーレーン)

バーレーン代表の監督をつとめたイラク人のアドナーン・ハマドの契約問題がほとんど1年も長引いたのはいかにも不合理なことだ。アジアカップ開催まで2か月足らずの時点で、過去7試合無敗だった(ハマド監督を解任する口実として)、サウジ戦でのたった1試合の敗戦が必要だった。

ビエルサ監督(イラク)

イラク代表監督をつとめたブラジル人のビエイラもオマーン戦での5連続ゴールによる敗戦のあと、まさにハマドと同じ目に遭っている。わたしはビエイラの経験と地位にケチをつける意見を数十人もの人びとから聞かされた。彼らは文字通りこんなことを言い合っていたのだ。

「ビエイラが何を成し遂げたっていうんだ? (2007年の)アジアカップで優勝した以外何もやってないじゃないか」

かれらはW杯で優勝する以上に監督としての業績があるとでも考えているのだろうか。ビエイラのイラク代表チームには、(イラク戦争の影響で)国内でプレイしている選手は基本的にはおらず、みんな世界各地に散らばっていた。そんな困難な状況の中かれはチームとともにアジアカップを獲得したのだ。言わばかれは実現不可能なことをやってのけたのである。

(下の写真:アジアカップ2007優勝を祝う人々とともに喜ぶイラク軍兵士。2017年7月29日イラク・バスラ)

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カロ監督(サウジアラビア)

もっとも苛酷な運命に見舞われたのはサウジアラビア代表の監督、スペイン人のロペス・カロである。多くの人たちがカロから「理解」さえをも奪い取った(訳注:人間性を無視する罵り雑言を浴びせたというような意味合いだと思う)。そして今、同じ状況がイラク代表監督の同国人ハキーム・シャーキルの身の上に起こっている。

ルグエン監督(オマーン)

また以前はオマーン代表監督のフランス人ポール・ルグエンの身にも起こっていた。ルグエンは第21回、第22回の2度のガルフカップ(原文では第20回、第21回となっているが誤記だと思う)において、なんの成果を得られず敗退した。人びとはかれの解任を要求したが、冷静で視野の広いそのオマーン人(サッカー協会幹部のことか)が存在し、オマーン人たちは自分たちが求めているのは現在の成功ではなく、「建設」であることを証明して見せたのである(長期的な見地に立ち、性急にルグエン監督を解任しなかったという意味)。

そしてくり返される物語

あらゆる大会において、敗戦を喫してしまうと、人びとは監督を追い出そうと画策しはじめる。すると、メディアやサッカー協会は過去と現在の問題点をほじくり出し、施設や育成、栄養、指導者、国内リーグやプロ意識、報道や忠誠心などあらゆる問題についての議論がはじまるのである。

するとおそらくその問題解決のための各種委員会が設置されることになる。その後、その各種委員会の進捗状況を検証する各種委員会が設置され、またさらには、その各種検証委員会が行ったことを検証する各種委員会が設置されることになるのである。

しかし、相手が隣国チームであれ弱小のアウェーチームであれ、ひとたび大勝利を収めると、すべての活動は終了する。すべての委員会は消滅し、物語ははじめからまた始まるのである。最後に同じ結末を迎えるまで。

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